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2020年08月13日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂歌集 総武之間かつしかの隠士 素堂稿

素堂は、推柳が赤非公から芭蕉の自画賛をおくられたことなどを聞き、所望されて一文を草した。

   

津山の住柳子のもとへ

赤井氏より我友芭蕉の翁か絵かきて

みつから賛せるを送らせたまふに

   二月中旬瓜をすゝむといふから

歌の心をとりて句につらね、

報せられしを、感吟にたえす、

   予をしてこれに申せとの仰ことあるにより

   金玉の声に瓦石をもって答ふるならし。

   

いつはらぬはせをの絵とやきさらきの

瓜の花見て心うこかす

          総武之間かつしかの隠士

                  素 堂 稿

上の文中の「二月中旬瓜をすゝむといふから歌」

とは王建の詩をさしている。

 【註】はせを=芭蕉


「正徳丙申とし」は正徳六年(一七一六)のことである。 

同年六月二十二日、享保と改元された。

 

 とし月芭蕉翁の手跡をしたひ侍りしこゝろさしを

 赤井公にきかせたまふて、ひめ置せ給ひし

 自画自賛の一幅をくたしたまひぬ。

 挑隣の撰集に入し瓜の花の句をしるしてゑかける風情、

 又よにまれなるものなり。

 見るに、めさむる心地して朝夕身をはなたす、

 終に家の重宝となし侍りぬ。

 外にたくひも、もたせたまはぬにめくみ給し

 御心さしの切なること、身にあまり、

 ありかたふおほえしまゝ

 つたなき一句をつづりて友部氏まて奉るならし。

                 

  きさらきに瓜の花見る恵かな  推柳上

  

 文中の「桃隣の撰集」とは、さきにふれた『陸奥衛』のことである。

『陸奥衛(ちどり)』は元禄十年(一六九七)の刊行であるので、この文章はその後のものとなる。赤井

公か秘蔵していたものを下賜された。推柳は、それに謝し「きさらきに瓜の花見る恵かな」と吟じて奉っている。自画賛を戴いたのが二月のことであったのであろう。

瓜の花は陰暦二月にはまだ咲かない。珍品を頂戴した喜びを吟じたのである。

芭蕉の自画賛が、瓜の花のものであり、頂戴したのか二月であったので、「二月の瓜」の故事をふまえたものと考えられる。

唐の玄宗皇帝は楊貴妃に時季にさきがけて二月に瓜をすすめたと伝えられている。

王建の「宮前早春詩」に「内園分得温湯水、二月中旬已進風」と見えている。

それより転じて、珍しい物・贅沢な物の意にも用いられるようになったのである。

 

芭焦の自画賛が貴重なものであることはいうまでもない。

それに素堂・露川・推柳の文章の三紙が添えられている。

これだけ揃っているのは珍しかろう。まことに珍重すべき逸品といわなければならない。






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最終更新日  2020年08月13日 17時04分31秒
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