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2020年08月17日
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小野家家伝と修験

すなわち小野家初代玄貞は中条(現、韮崎市中田町)生れの和合院でその三代目盛呂院から分家し医家として出ている。二代伯安、三代丹下をへて四代目通仙が秀樹ら四人兄弟の父親である。浅尾新田で「薬王寺あと」といっているのは、薬王寺の敷地内に分家し出来た医業小野家を含めてであることが分る。村松学佑(8)の『甲州儒医列伝』にはこの間の事情を理解する上に示唆を与える。

「本邦の古医道所謂皇国医道の淵源は遠く神代にありて、薬方禁厭並び行われたり。奈良朝仏教の隆盛に随い加持祈祷倶に療病の法行われ、(中略)天正中法印法眼法橋の僧侶位階を拝するを以て、医家の最高官位となし、(中略)徳川氏の初期に至り、神職僧侶にして医業兼業の者民間に多く、(中略)神職又は修験にして禁祷禁厭と倶に兼業せる者逸見(へみ)筋及び郡内領に多し、云々」。

逸見筋は近世における甲斐の行政区画の一つで浅尾新田も是に属した。小野家が医業として分家した事情も了解がつく。

秀樹は薬王寺のこと及び修験宗の系譜については全然言及していない。これには二つの理由が考えられる。一つは、修験は、維新と共に明治政府の弾圧をうけて廃止され、無力化した為であろう。

 すなわち神仏混淆の修験は甲州では山岳宗教として栄え、特に信玄は修験に相当の保護を与え、江戸幕府は慶長以来、聖護院、(本山修験)三宝院(当山修験)のいずれかに凡ての修験を分属させ、薬王寺の属する当山派は幕末特に北巨摩部下に勢力をもっていたことは学佑の解説にもあった通りである。併し今やそれも無力になっていたので言及しなかったという推測である。も一つの大きな理由は秀樹が当時の国情を顧みて「宗教は無能なり」といっているように、宗教界を侮蔑していたためであろう。

 とも角、彼が真言修験の系譜を知らなかった筈はない。甲府の徽典館で漢学修業中、民心灼々たる幕末を回想し

「余は家の系図を見たるに、田原藤太秀郷の後裔なりと知り、和漢の歴史に照らして、世は乱世と変ずべし、然らば先祖に継ぐべき時は来らんと思へり……」

といっている。彼が見た系図というのは次のようなものであろう。

巨摩郡浅尾新田当山派修験宗、黒岩山薬王寺住職秀光が慶応元年(一八六八)年甲府寺社御役所に提出した報告書(明細書)は本堂、本尊、宝物、付属建物などの詳細な報告の中で、

「寺号 薬王寺 宗旨之儀真言修験宗にて、京都醍醐三宝院宮御支配ニ而代々修験宗相続仕候、別系譜左之通りご御座候 天児屋根命二十一代大職冠門大臣鎌足公三代正一位太政大臣房前公五男正二位左大臣魚名公五代従四位鎮守府将軍兼武蔵守田原藤太藤原秀郷朝臣三十代小野角助藤原秀家後ニ不動院卜改/初代 不動院法印権大僧都盛厳秀栄……中略……九代 和合院法印阿闇梨大越家淳桑秀蓖」(10)と書かれており、秀樹の先祖和合院より分家した不動山金剛寺(浅尾新田に現存)の由来書にも

「北巨摩郡朝神村修験職の祖先は藤原秀郷の後胤小野寺角左衛門角助と云う者あり、下総国小野寺に居住す、因て村名を以て氏とす、徳川氏に仕へ戦功采地三干六百町歩を賜わる、三代将軍家光公寺の字を以て小野と改めしむ、姓小野を冒す所以なり、角助は武門を去て上京し、醍醐山に登り近士戒を受け不動房と称す、後又去て甲斐国に来り、巨摩郡中条村に住す、今本村内(浅尾新田)に不動房と称する地ありと云ふ、慶安年中浅尾新田開拓の砌、用水浅尾堀(堰)新設にあたり役人等の諸願に応じて之れが祈祷をなし、堰鎮守岩屋大権現を安置して、和合院小野秀賢と称したり、その二代小野秀伝の弟秀永、永録中不動尊を安置し一宇を建て清学院と称す、当家の開祖とす」(11

とあって、永峰の始めの姓小野の由来及び徳川の武士が修験僧として甲斐の巨摩郡で開山した経過を述べている。この二つの記録から秀樹が後に武士を志す動因となった田原藤太秀郷のこともさることながら、修験の祖先については十分知っていた筈であることが分る。又この「明細書」は小野家が薬王寺より分家、その屋敷内に任した事実をも明かにしている。

「一、坊附居屋鋪 三反二畝歩/内壱反六畝八/分家医師小仙江分配仕候」(12

 さて、自伝のこの欠落部分が秀樹の生涯においてもつ意味は何であろう。






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最終更新日  2020年08月17日 13時19分24秒
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