カテゴリ:山口素堂資料室
水間沾徳年譜
◇貞享二年(1685)二十五才 ● 九月十九日、風虎没。
◇貞享四年(1689)二十七才 〇 九月、芭蕉の帰郷に際して露沾邸で、其角等と餞別歌仙を巻く。(『句餞別』所収) 〇 十一月十三日刊『続虚栗』(其角撰) に発句三、露沾・其角・虚谷・嵐雪等と一座。
◇元禄二年(1689)二十九才 〇 三月、芭蕉の奥羽旅行に餞別吟「松島や名にとめられぬ春の旅」を贈る。
にうつし」合歓堂と称した。「市に出てねるを我名ぞ合歓の花」
◇元禄三年(1690)三十才 〇十一月上旬、合歓堂に望月・且水・栢舟・沾化・沾蛄・亀翁・春水を呼び集めて歌仙興 行。発句は「霜の後の梅しる人よ白髪迄」(『一字幽蘭集』所収) ○ 『華摘』(其角撰) に発句一。 ○ 『其岱」(嵐雪撰) に発句四。
◇元禄四年(1691)三十一才 ○ 亀翁の一夏百句の吟稿五十一句に跋を附して、路通撰『俳諧勧進牒」に送る。尚同書 に発句七、岩泉・岩翁・午竿・路通・横儿・遠水・尺艸と一座する五十韻一。 (『嵐亭誹話』に再録) 〇 九月十九日、風虎七回忌追悼吟「水の月汲てひろはむ梨葡萄」 〇 十二月九日、露沾邸に西国を迎えて未陌・遠水・沾荷と共に歌 仙興行。(『豊西俳諧古哲伝草稿』所収) ○ 『雑談集』(其角撰) に発句一。 ○ 『渡し舟』(順水撰) に発句一。 ○ 『西の雲』(ノ松撰) に発句二。
◇元禄五年(1692)三十二才 *七月七日、素堂の母の喜寿の祝に芭蕉・嵐蘭・曾良・杉風・其角と共に招かれ、万葉七 種の題詠を行う。「布に煮て余りをさかふ葛の花」 *九月下旬、処女撰集『誹林一字幽蘭集』(露沾・素堂序) 三冊、江戸佐藤四郎右衛門から 出板。発句八十九、露沾・遠水・未陌・横儿・虚谷・午竿等参加の独吟百韻一、歌仙一収 録。〔註〕本書によりそれ以前に、閘幽に発句を乞うて万句興行をしている事がわかる。 素堂から硯を贈られたのもこの時か。その他、午竿と両吟があつた事、荻生徂徠と交際が あつた事等もわかる。 ○ 『北の山』(句空撰) に発句一。
◇元禄六年(1693)三十三才 * 四月廿九日附、荊口宛芭蕉書簡に 「ほとゝぎす声や横ふ水の上」と申候に、又同じ心にて 「一声の江に横ふやほとゝぎす」 水光接天白露横江の字横句眼なるべしや。 ふたつの作いつれにやと推稿難定処、 水沼氏沾徳と云もの吊来れるに、 かれ物定のはかせとなれと、 両句評を乞。沾曰く、 横江の句文に対て考え時は 句量尤いみじかるべければ、 江の字抜て水の上とくつろげたる句のにほひ よろしき方におもひ付べきの条申出候。 兎角する内、山口素堂・原安適など 詩哥のすきもの共入来りて、 水上の究よろしきに定りて事やみぬ。」
と見える。 〔註〕本書簡のこの部分は『笈日記』にも探録されているが、この内容に対して詐六は 「自得発明弁」及び「鶯杜鵑の弁」(『篇突』所牧)に於て、 徳と云者一生真ンの俳諧なし。 かれが判、おぼつかなし。 という意味の反迫をしている。 叉『玄々前集』は「沾徳の徳ともしるべきにや」と称揚している。 原安適とは歌道の方で共に山本春正門であるなじみから後迄交際があつた。 ○ 『薦獅子集』(巴水撰) に発句三。 ○ 『桃の実』(兀峯撰) に兀峯・琴蔵との三物一。 ○ 『流川集』(露川撰) に其角・支考・岩翁・遠水・横几と一座する歌仙一。
◇元禄七年(1694)三十四才 ○ 歳旦吟「礼数や海見る広間藪の梅」 〇 五月、轍士を迎えて其角・東潮・介我等と共に歌仙興行。(『七車』所収) 〇 六月廿四日、専吟・其角と盧を河辺に結んで歌仙興行。(『句兄弟』所収) 〇 十月十二日、芭蕉没。追悼吟「落葉見し人や落葉の底の人」 〇 十月廿三日、其角の留主宅にて介我・神叔等と芭蕉追悼の歌仙興行。(『枯尾花』所 収) ○ 『炭俵」(野坡・孤屋・利牛撰) に発句一。 ○ 『芳里袋」(友鷗撰) 下巻に発句一入集。 ○ 『其便』(泥足撰) に発句三入集。 ○ 『句兄弟』(其角撰) に跋を与える。又、発句四、一座する歌仙一。 ○ 『枯尾花」(其角撰) に発句一、一座する歌仙一。 ○ 『東潮独唸披露集」(嵐雪撰) に発句一。 ○ 『七車』(轍士撰) に一座する歌仙一。
◇元禄八年(1695)三十五才 ○ 歳旦吟「四方拝母の前にて先おかし」 ● 春、露沾岩城へ隠退。 ○ 秋、桃隣主催の芭蕉新画像開きの会に出席、其角・嵐雪・介我・東潮・神叔・氷花等 と百韻興行。(『陸奥鵆』所収)
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最終更新日
2020年08月17日 18時39分51秒
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