カテゴリ:山口素堂資料室
素堂消息『素堂句集』、子光編。享保6年 辛丑 1721 (前文略)隠逸山口素堂信章は、江上の北東浅草川(隅田川)の傍ら、下総の国葛飾の郡の内に於て廬を結び、歳月を経て久し。稟性野志多く、固より貨財を以て世事を経ず。心偏らず雪月花の風流を弄ぶ。 弱冠より四方に遊び、名山勝水、或いは絶れたる神社、或いは古跡の仏閣とあますこと無く歴覧す。 亦かぞうるに叶ふ師なり。詩歌を好み猿楽を嗜み、和文俳句及び茶道に長けたるなり。その作、蓑虫記は風俗文選に載す。俳句を載せここに俳諧糸屑して行く世なり。 天質疎通強記、往く所の詩歌和文等の作は、みなこれ胸中に於て暗じ、人が紙硯を具えて之を請えば則書き、而してここにその筆書を与える也。 左の如き草稿(芭蕉庵再建勧化簿)写してここに貴顕これを召し、好事者は最も鐘愛す。招きに従り他人の寓にとどまること或いは三五日或いは十日、然れども阿邑諂諛の意もなく与人に非ず対話し、則ち黙しては泥塑の如し。人に説く話は、固より言多からず。 その庵中に蔵する所の書は数巻及び茶器に爨炊の鍋釜、而して己に又一力助あり、薪水の労なり。予は幸い親灸既に十余年を得る。其の和文・詩歌・俳句等数十帋悉く匣底に蔵す。 然るに其れ蠹害を患う。旦に好欲の者の頗った蒐輯は冤にして、以て写し別け猪(紙)を積みて一帙を成す也。恨むらくはその他の文詩は人の手の在りて得ず。矚者に亦た多くの許しをえん。嗟嘆。此の人これ謂ゆる善き隠逸者なるべし。享年七十余にして嬰病享保元年丙申歳八月十五日夜遂に世に謝す也。武江城の北東の隅谷中感応寺中瑞院内に於て痊ず。号して廣山院秋厳素堂居士と為す。享保六年辛巳年氷壮中旬 子光 誌
『素堂句集』、子光編。所収概要 一、芭蕉との蓑虫句文 一、記行二編、「甲山記行」・「東海道記行」 一、俳文十編 一、漢詩、二十八首 一、俳聨二巻 一、和歌十首 一、発句十六句 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月18日 11時25分09秒
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