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2020年08月24日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

老中 土浦城主、土屋但馬守数直の祖は甲斐出身

 四月二日 老中土浦城主、土屋但馬守数直卒、年七十二。

 土星数直は、忠直が二男なり。元和五年西丸につけられて近仕し、

寛永元年十二月叙爵、大和守にたり、

寛永五年、総州にて五百石の地を賜ひ、

九年十一月進物番、

十八年七月五日、書院番組頭、

慶安元年十月二十七日、小姓組番頭になり、但馬守に改め、

承応五年元月十八日、 側の衆となり、

明暦三年十二月、前々より禄しばしばまして五千石になり、

寛文二年二月二十二日、若年寄になり五千石を加へ(一万石)、

三年十二月二十三日、老中に列し、四品に進み、

六年七月二十八日、地をまして(三万五千石)、

六月、又一万石をまされ、土浦城を賜ひ、

十年十二月侍従に進み、此の日卒す。

さりし寛永九年に、台徳公上洛の時、数直罪を得て屏せしが、

僣かに登りて、京の西仮に寓居せしを、

公より召されて、其の罪をゆるして、元の如く近仕せしむ。

 

【割注】〔土屋相模守〕

 

武田勝頼の最期に劇的に活躍した武将、土屋惣藏を祖に持つ家系で、武田家では譜代家老衆を勤めた。

甲斐大善寺、神変堂(役所者堂也。元禄十三年(1700)土屋相模守建立と伝え云う。

 

土浦藩主土屋数直の長男として生まれ、父の死後に家督を相続する。

その後、駿河田中藩を経て土浦藩に復帰する。

漸次加増をうけ、最終的に九万五千石となる。

奏者番、大坂城代、京都所司代を経て老中に就任、

元禄十一年(1698)に老中首座となり四人の将軍に仕えたが、

側用人政治を展開していた新井白石と間部詮房には内心反対し、

七代将軍徳川家継の後継者争いの際、

側用人の廃止を条件として徳川吉宗の擁立に尽力する。

吉宗は将軍になると老中達に口頭試問をしたが、

なんとか恥を掻かずに済んだのは三問中二問を答えることができた政直のみだったという。

 

 享保四年(一七一九年)、

老中を辞任・隠居して四男の陳直に家督を譲り、

三年後に八二歳の高齢で亡くなった。

隠居後も特に前官礼遇を受けていた。

茶道を嗜み、小堀遠州流の門人の一人でもある。

また、元禄赤穂事件の関係者であった従甥の土屋逵直の次男好直を養子に迎えている。

 






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最終更新日  2020年08月24日 08時26分09秒
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