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2020年08月24日
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全国俳句風土記 埼玉県俳句地誌

落合水足氏著 

『俳句』特集 全国横断俳句地誌

昭和55年 第29巻 第14

角川書店 一部加筆

 

 日本の真中の日本橋に生まれ、関東平野の真中の浦和に住んだ長谷川かな女の俳句には、埼玉の風土(県木は欅)を母にしたような、空間のひろがりとのびやかさがあって、あくまでも明るい。

 

生涯の影ある秋の天地かな    かな女

       (浦和市祠官神社境内、句碑)

  曼珠沙華あっまり丘を浮せける  かな女

         (浦和市別所沼畔、句碑)

  母思ふ二月の空に頬杖し     かな女

 

長谷川秋子の俳句には、埼玉のどの地に行っても見られるような野の川の勢いにも似た潔さがある。

 

春の川指を流してしまひたく   秋子

 

埼北は利根川の堤を遠望する田園の中にある。野の川も多い。昔は紺屋の水で藍色に染まったものである。「ホトトギス」の発行所を一時預ったこともある岡安迷子は加須市の出身だが、一所不住、秩父の二合庵、那須の好日庵に住まうなどして、孤高の俳境をゆ く。

 

 清秋の澄みて本来無一物     迷子

          (加須市香積寺、句碑)

 

埼北は『田舎教師』の舞台。

「絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな、まことなる生活を送れ、運命に従ふものを勇者といふ」

の精神風土を堅持した作家に山田素雪角田紫陽の二名がいる。哲学の果てに句を見る思いがする。

 

絶え絶ぇに畦を焼く火の暮れにけり 素雪

  石段に並べてありぬ落椿      紫陽

         (加須市八幡神社、句碑)

 

埼玉には、所沢の斎藤俳小星を初めとして農民の生活を詠う作家が多い。行田の埼平石墳群にほど近い種足村に生涯を送った塩崎脱紅里もその一人。田園の香りが高い。

 

麦埃掃きつつ客を通しけり     俳小星

  一枚の沼の倦怠早稲の花      晩虹里

 

埼北には野の花も多い。自然堤防の松林にのぼれば野生のおもいぐさにも出合う。羽生市の三田ケ谷湿原のむじな藻、加須市の浮野の朱来鷺草なども格別。埼北には川島奇北・石島雉子郎・田口孤雁・寺井英一郎・荒川あつし等俳人は多いが、すべてが写生道を貫き平穏で、植物的である。

 

二歳駒買はれて来たり春渡船    奇北 

      (羽生市新郷助兵衛松、句碑)

螢追ふ子等にふたつの流れかな   富宝

        (鷲宮町鷲宮神社、句碑)

大銀杏おのが落葉の中にたつ    桂花

         (浦和市岡神社、句碑)

この巨犬幾度雪に救ひけん

        (行田市忍川堤畔、句碑)

雛作る町中の揚雲雀かな      浮月

      (岩槻市吉田浮月庵、句碑)

美しく老いたし峡の鰯雲      白陽

       (神川村金神社、句碑)

散るさくら故郷海を持たざりき   冬男

形代をはこぶ水千烏帽子かな    紫

 

 秩父は山国である。光と影の交錯する所。豪毅と忍耐と御詠歌とを内蔵する霊地。困民党・秩父音頭・秩父夜祭(燦然たる山車と冬花火)、三十四番札所、一万作に及ぶ水子地蔵……。

魂の源郷を思わせるに十分。秩父の風土は金子兜太の俳句そのもの。デモンの大きさ。秩父にはまだ神秘がある。

  ここに我句を留むべき月の石    虚子

        (長瀞、句碑)

神の燈の仄と明るき夜霧かな    迷子

        (宝登山神社、句碑)

柿干して祭近づく秩父かな     紫山

        (武甲荘庭、句碑)

馬追が機の縦糸切るといふ     銘仙

鮎掛の厚き胸板瀬をよぎる     青邨

霧の村石を投らば父母散らん    素十

山奥に稲刈ってまた産まんかな   春邑子

桑解いて女も畑に出でそめぬ    移公子

薮椿水子地蔵のみな同じ

        (小鹿野町地蔵寺、句碑)

熱畑や湯気のむかうに祭見え    千絵

一天を削り武甲を眠らせず     水尾

 

 比企・入間路は、小京都を思わせる風土で、小江戸を思わせる町並もあって、貴重な遺跡が多い。東松山の森林公園、越生の梅林、平林寺の欅林、狭山丘陵の茶の花等、自然にも恵まれており、武蔵野の探勝の地として欠かせない。

ことに、小川町の和紙造り、飯能市の竹寺・川越喜多院の五百羅漢・日高町の高麗神社等には多くの俳人が訪れており、秀作をものしている。

  枯うつ隣りに寒き旅寝かな     子規

       (川越市料亭八百勘庭、句碑)

  むさし野の空真青なる落葉右    秋桜子

          (飯能市観音寺庭句碑)

  蕭条と枝垂れ桜の枯れにけり    青邨

  からからに枯れてかがやく落葉かな 素十

  散紅葉深きところに踏み入りぬ   風生

  永く居て薄き秋日にあたたまる   草田男

  万緑を顧みるべし山毛欅峠     波郷

             (刈場坂峠句碑)

  山かけて万緑しぼる竹眼鏡     不死男

 

春日部は、加藤楸邨(しゅうそん)が、粕壁中の教員として八年間過ごしたところ。浪漫的抒情を生む風土がそこにはあった。行田から川口にかけて、足袋・紺屋・鯉幟・桐ダンス・皺造り、煎餅・盆栽・鋳物・植木と職人気質、美意識の高さと律気さの残る古い町がつづき、野の川を挾んで、蓮華、菜の花、梨の花、藤の花、桐の花と咲き乱れ、白子鳩が飛ぶ。

𠮷利根の流れには、奥の細道行脚の芭蕉の足音を近くに聞く思いもするが、それは、ひとり、楸邨の青春のみを潤すものではなかつたであろう。店頭の道行姿の雛の目が懐旧の情を誘う。

棉の実を摘みゐてうたふこともなし  楸邨

行きゆきて深雪の利根の船に逢ふ   ゝ

 

大宮以来の市街は、郊外に景勝の地(例、田島ヶ原の桜草)を残すとはいっても、すべて都市化の波の中にある。保守、前衛入りまじりながら、常に俳壇の一歩前をゆく気概に満ちている。戸田に一一年間住んでいた高柳重信。そして、関口比良男・阿部完市・星野紗一・磯貝碧蹄館・岡田口郎等、いずれもバイタリティに富む作家であり、今までの埼玉の風土にはなかった海や火山のエネルギーを内包しているといってよい。






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最終更新日  2020年08月24日 13時03分30秒
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