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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年08月28日
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白州町の歴史上の人物、(馬場美濃守・曲淵勝左衛門・山口素堂)

 

 白州町には歴史的に有名な人物が四人いる。一人は先馬場美濃守信房公、一人は曲淵勝左衛門、そして山口素堂であり、白須甲斐守である。馬場美濃は山口素堂と同じ北巨摩郡白州町下教来石(巨摩郡教来石村)の出身とされ現在でも「教来石民部の屋敷跡」の標識がある。これは推察されたもので、素堂と同じで歴史的根拠を持つものではない。

曲淵家は現在の中巨摩郡昭和町の出身で、現在も昭和町には曲淵の地名が残っている。白州に残る伝承は徳川時代に曲淵清蔵(武川十二騎)が片颪(現在の白州町花氷)を知行したことによる。その後も曲淵を名乗る人物の多くは江戸幕閣で活躍している。

 白州町の歴史上の人物で最も大きな影響を与え活躍した武将に白須を領地とした白須貞信(上野守)の存在を忘れてはならないが、その事跡や人物像は解明されてはいない。白須上野守・白須蔵人などの名が歴史資料にも見える。白須家は中世に集団で甲斐国都留邸に移住をされ、現在でも郡内地方には白須を名乗る家は二百家を下らないし、資料にも名が見える。しかもその初祖を馬場美濃守としている家系もある。長い間現在の白州町白須を中心に活躍した白須家は大きな時代の波に晒され、武田信玄が白須一帯を信濃との戦いの最前線とした時に、白須家もその存続を馬場美濃守との縁組みに頼ったと考えられる。  

江戸時代にも白須家は幕府の要職を勤めているが、九州の鹿児島地方にも白須を名乗る人達も居るので関連を含め今後調査をしてみる必要がある。尚、白須家の一部は文明年間に白須村から下吉田に移住したと伝える資料もある。

 白須貞信は南北朝時代、北朝の足利尊氏について南朝方との戦いに参加したと伝わり、(『太平記』)当時白須家に応援を求めた南朝の宗良(むねなが)親王は白須松原において

  

かりそめのゆきかいじといゝしかど   

いざやしらすのまつひともなし

 

の御歌を残しておられる。しかし『信濃郷土史』には言い伝えとして「親王は白須の戦いに敗れた」とも記されています。

 白州町は元来大きく分けて三地域に分かれ、

  1. 横手・大坊地域。(旧駒城村 こまき)

  2. 白須・台ケ原地域(旧菅原村)

  3. 島原・松原・荒田・下教来石

    ・上教来石(含山口)・大武川(旧鳳来村)

     

    横手と大坊は隣の武川村との交渉が深く、かっては武川村柳沢地域と合併し

    た事もある。繊手は武田信玄の家臣の横手源七郎や天保騒動の折りには横手彦左衛門の名が見えて、横手にその屋敷跡が残っていて「御所」の地名も残る。 

    大坊地域は一世を風靡した「馬八節」の発祥の地として有名であるが、時代風化と共に忘れ去られ現在は武川町に顕彰碑が建っている。

     白須地域は別述するとして島原の石尊神社の参道の赤松並木は素晴らしい景観を今も保ち当時の面影を伝えているが現在は病気に罹り枯れ死が目立っている。宿場として栄えた台ケ原はかっては鍛冶屋集落があり武川村と交渉も深く周辺には鍛冶屋の神を祀る神社もあり、「三吹・日野(火野)・富野」などの地名も残る。又一部の歴史紹介書にはアイヌ地名が残る地域として「おしら」「うとろ」「うとう」などの地名をあげている。

    下教来石には「教来石」・「教化石」と呼ばれる大石が三つあ、どれが本物か定かではないが「きよらいし」と呼び「清ら石」などを充て、歴史史跡書には必ず紹介されている。昔の呼び名は「けふらいし」である。隣の武川村を流れる「大武川」・「小武川」の川名も不思議である。「むかわ」をワープでロ叩くと「鵡川」・「武川」とでるが、多くの河川名は地名の下に「川]の名をつけるのが常である。「川」を取っても地名として通用するのであるがこの「大武川」・「小武川」から「川]を取ると「大武]・「小武」となり地名としては「おおむ」・「こむ」となり通用しない。又釜無川上流の白州地内には大武川集落があるが「小武川・大武川」とは関係しない。「武川」を地内を流れる二筋の川に「大」「小」をつけたとすれば「大武川川」「小武川川」になる筈である。古書には古代の歴史の中から「ヌカワ」からとする説などがあるが、見受けられるが、伝説の分野である。武川の地名は古くからあり、その地名に大小を付けたとするのが妥当か。

     

    白州には他にも江戸に出て活躍した人物には河西九郎須(下教来石)・古屋徳兵衛(上教来)又俳人として塚原甫秋四代や辻嵐外との流があった北原台眠、などがいるが、既に風化してしまった人物も多い。

     






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最終更新日  2020年08月28日 06時01分19秒
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