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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年08月28日
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時代が重なる 素堂と柳沢吉保

 

武田の血を引く武家の中でも山ロ素堂と面識が有ったと推察できるのは将軍網吉に仕えた柳沢吉保である。芭蕉の「奥の細道」を清書した素龍は元禄十二年には吉保の歌方に就任していると伝わる。吉保が着実に江戸幕府の要人としてその地位を確立していくのと、素堂が漢学者として隠士としての名を不動のものにしていく時代は重なる部分が多い。将軍とともに国学に造詣深い柳沢吉保も諸侯を前にして講じているのであり、素堂と人見竹洞の関係からも「林門の三才の随一」と唱われた素堂と吉保の面識は十分あったと考えられる。

 しかしこれは素堂と吉保をつなげる資料は何もなく推察の領域ではあるが、今後の調査に待つしかないが、素堂と老中となった秋元但馬守との関係からも当時の素堂の地位が窺われる。

 山梨県では一般的には柳沢吉保の業績に付いては殆ど語られずにいて、地域住民の心の外にいる。淋しい事ではないか。異例の出世を遂げた吉保は多くの人に妬まれた事も多かったし後世「悪者」扱いされた時期もあった。しかしその果たした業績は大きいものがある。祖地とする甲斐でも一方付かずに「実録、柳沢吉保」として歴史を問い正して見る必要があるのではないかと思われる。






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最終更新日  2020年08月28日 06時07分57秒
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