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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月02日
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カテゴリ:山口素堂資料室

山口素堂の和歌をめぐって 二

      

昭和三十四年山梨大字学芸学部研究報告第十号

   一部加筆 山口素堂資料室

 

 素堂が談林の俳諧に熱中していた延宝の頃に、その作品に和歌的教養が豊かに反映している。江戸両吟集(延宝四年)、江戸三吟(延宝六年)の彼の句から、彼の和歌的教養を探ってみると、

「此の梅に」の巻には、

・古今集序(2 57

・伊勢物語り(6・73

・古今集(254077

・後拾遣集(28

・後撰夷曲集(46

・古今著聞集(61)によっている句があり、

「梅の風」の巻には、

・後撰集(35

・浦島伝説(42

・伊勢物語(49

・新古今集(87

・源氏物語(18

によっているものがある。

「あら何ともなや」の巻には、

古今集(23

・源氏物語(62)、

「物の名も」の巻には、

新古今集(9)

・伊勢物語(42

・金葉集(69

によるものが見える。

もちろん謡曲・和漢朗詠集・伝説故事等によるものを加えるとその数は非常に多い。

また延宝八年問の「俳枕」序には

 

能因か枕をかってたはぶれのりとす。

伝へきく唐代の司馬遷は史記といふもののあらましに

三度五岳にわけ入りしとなり。……

ここにも円位法師のいにしへ、宗紙・肖泊の中頃、

朝がほの庵・牡丹の園にととまらずして

野山に暮し鴫をあはれみ尺八をかなしむ。

是みな此の道の情けあるをや。

 

と述べて西行・宗祗・肖柏などの和歌連歌の伝統に深い傾倒を示している。

貞享四年秋の頃の作と推定される「蓑虫記」には古歌・故事・古典・漢籍が極めて巧妙に使用され、余韻余情を深めるのに役立っているのが目立つ。

すなわち枕草紙・白氏文集・古今集・大和物語など、また貰之・和泉式部・定家・寂蓮の歌など、非常に効果的に利用されている。

元禄四年の「俳諧六歌仙」(鋤立撰)序では、

 

……そも花山の僧尼は胃之もはじめに沙汰せられつれば

今なほ是に随はるべし。

君きかずや京極黄門ある人に答へられしことを、

其まことすくなきこそ、他のおよぱざる所なれと。

……次に在中将のこと葉たらざるはいかにぞや。

書にいはずやことばは心をつくさずと。

またいはずや天ものいはず

萬の物の心をこころとして心あるものをや。

常に心あまれりやたらずや、

其のつよからぬも身におもはぬも、なほ辨あらんかし。

其花に休む山人のさま、その雲にあへる暁の月、

他の時を待て今いはず、其のいふ處を、素堂書ぬ。

 

と述べているが、古今集序の六歌仙評によるとともに素堂らしい洞察が施されていて、彼の学識と思索の片鱗がうかがえる。

 

元禄五年秋「三日月日記」序には、

  ……むかしより隠の実ありて、

名の世にあらはるる事月のこころなるべし。

我身はくもれと捨られし西行だに、

くもりもはてず、

苔のころもよかはきだにせよと

かくれまします遍昭もかくれはてず、

人のよぶにまかせて僧正とあふがれたまふも、

なほ風流のためしならずや。……

 

とあるが、西行については山家集秋歌の

すつとならばうき世を厭ふしるしあらむ

我には曇れ秋の夜の月

によっており、遍昭については大和物語一六八段

昔人は花のころもになりぬなり

苔のたもとよかわきだにせよ

によっている。

 

宝永三年刊と推定される斯波園女の「菊のちり」の跋文には、

  

……そもそもやまとの国は才女に富めり。

伊勢小町をはじめ中にも

一条院のおほむ時数をつくして出ける。

まづ清紫赤の三婦人おやこの式部、

そののちおのかねの侍従、

ことうらの丹陵ふし柴の加賀

沖の石のさぬきなともありけり。

 

と記しているが、これは厭人の常識であるとしても、

「東海道記行」に

  ねがはくは花のもとにて春しなむ

そのきさらぎのもち月のころ

という西行の歌と西行の死を聞いて詠じた定家の歌とを併せ掲げているのは、

古今著聞集巻第十三哀傷第十二「西行法師願釈迦入滅日往生事」

 

によっていると思われるし、同じ記行に実朝の歌や「夫木集」にと詞書して歌を掲げているのは彼の和歌的教養の深さを示すものであろう。

西行に対する素堂の尊敬は深く、正徳.冗年成立と推定される「とくとくの句合」には、その序に

  

七そじちにちかき秋のころ、

わらはやみにかかりて、

みつせ川をふた瀬もこえなんとせしが、

たちかへり病のひまあるとき、

昔いひ捨たる狂句を左右にわかち、

西行法師のみもすそ川のまねして、

三十六番の句合となし侍れど、

今の世に俊成卿とたのむべき人なければ、

判者もまた素堂なりぬ。

 

とあるのは、西行の御裳濯歌今宮河歌合に習おうとしたのであった。

 

西行法師の旧庵の跡を尋ねては

  

はなごろもけふきてぞしるよしの山

やがて出じのこころふかさを

 

と詠じたのも西行の(山家集春歌)

  

吉野山やがて出でじと思ふ身を

花ちりなばと人や待つらむ

 

によっており、とくとくの水をむすびては

  

山かげにひとくひとくとなくとりも

岩もるみづのおとにならひて

 

の詠も、西行作と伝えられる歌

  

とくとくと落つる岩間の苔清水

汲みほずほすもなき住居かな

 

によっている。この歌は山家集にも異本山家集にも見えないが、芭蕉の「甲子吟行」にも其角の五元集にも引用されていて、西行の歌と附せられていたようである、

 

さよの中山ては

おもひきやまれなるとしをみにつみて

さよの中山またこえむとは

 

と詠じたが、これも西行の(山家集羇旅歌)

  

年たけて叉こゆべしと思ひきや

命なりけりさやの中山

によっている。いずれも西行への思慕の深さを示すものと言えよう。

 

「蓑虫賛」は恐らくは「蓑虫」と同じ頃に作られたのであろうが、

その中に

  延喜のみこ兼明親王小倉におはせしころ、

ある人雨に逢ふて蓑をかられけるに

山吹の枝をたおりてあたヘ玉ふ、

七重八重やへ花は咲けど山吹の

実のひとつだになきぞかなしき

との御心ぱへにて、かしたまはざりしとや、

また和泉式部稲荷山にて雨に逢ひ、

田夫に蓑をかりけるに、

あをといふものをかしてよめるとなん。

時雨するいなりの山のもみぢ葉は

あをかりしよりおもひそめてき 

あをは蓑のたぐひなるよし。

もし汝にみのをおくらん時山吹の心をとらんや、

  稲荷山の歌によらんや。

 

兼明親王の歌は後拾遺和歌集巻十九雑五に

  

小倉の家に住み侍りける頃、

雨のふりける日蓑かる人の侍りければ

  山吹の枝を祈りてとらせ侍りけり。

心萌えてまかり過ぎてまたの日、

  山吹の心もえざりしよしいひおこせて侍りける

返事にいひ遣はしける

 

とあって七重八重の歌がある。

 

また和泉式部の歌は古今著聞集巻第五和歌第六「和泉式部借田刈童襖同童詠歌事」に出ている。

  

和泉式部忍びて稲荷へ参りけるに、

田中明神の程にて時雨し侍けるに、

いかがすべきと思ひけるに、

田刈りける童のあをといふものを

かりてきてまいりにけり。

下向の程に晴れにければ此あをを返しとらせてけり。

さて次日式部はしのかたをみいだしていたりけるに、

大やかなる童の文もちて佇みければ、

あはれ何者ぞといヘば

此御ふみまいらせ候はんといひてさし置たるを、

ひろげて見れば

時雨する稲荷の山の紅葉は

あをかりしより思ひそめてき

   と書たりけり。

式部憐れと思ひてこの童をよびて、

おくへといひてよび入れるとなん。

 

古今著聞集はしばしば引用されており、和泉式部の歌もこれによったと思われる。

 

これなど素堂の和歌的教養の広さを示す例となろう。

近世の歌人においては木下長子・御水尾院・戸田茂睡に対する関心が深かった。

たとえば戸田茂睡

ちりの世とおもふ心のつもりては

身のかくれ家の山となりけり

とよめるを聞きてよめる

   いろ香あることばの花の世にもれば

身のかくれ家のかひやなからむ

 

 などの詠がある。

 

『嚝野』所収の素堂の句に

    

麥わすれ花に溺れぬ雁ならし

 

があり、その詞書に、

   

誰か華を思はざらむ。

たれか市中にありて朝のけしきを見む。

我東四明の麓に有て、

花のこころはこれを心とす。

よって佐川田喜六の

   よしの山あさなあさなといヘる歌を実に感ず。……

 

とあるが、佐川田喜六は昌俊といい、永井信濃守の家臣で

 

よし野山花さく頃の朝な朝な

心にかゝる峯のしら雲

 

と、詠んだのである。

 

素堂の和歌的教養は彼の作品に当然反映するわけであるが、既述の素堂の歌でも先人の作品を発想の契機としたと思われるものが多い。その一例をあげるならば歳暮と題する。

  

はるの日も夜も長月もあすか川

ながれてとしのけふとくれぬる

 

は、古今集巻第六冬歌春道列樹の

  

昨日としひ今日と暮して飛鳥川

流れて早き月日なりけり

 

によっているのである。






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最終更新日  2020年09月02日 12時36分39秒
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