2307550 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年09月02日
XML
カテゴリ:山口素堂資料室

山口素堂の和歌をめぐって 三

  

 清水茂夫氏著 山口素堂の研究(七)    

昭和三十四年山梨大字学芸学部研究報告第十号

   一部加筆 山口素堂資料室

 

 次に素堂の和歌的教養が俳諧特に発句の上に如何に反映しているかを検討して見ようと思う。

  

初鰹またしとおもへば蓼の露

 

(六百番発句合、延宝五年1677収)

 「とくとくの句合」には上五が「夜鰹や」とある。素堂が後に改めたのであろう。何時の頃‐初夏のころはじめて漁獲痩された鰹が初鰹で、江戸時代は殊に賞味し、相州ものの来るのを争い求めたと言われる。特に鎌倉から夜に入って江戸に運ばれたものが夜鰹であった。

蓼は 手に乾く蓼摺小木の雫かな 其角(五元集拾遺)に窺えるようにその辛味が調味料として用いられ、

そのために栽培されたのである。

この句の意味は

初鰹を待っていてもなかなか来ないので、

もう待つまいと思うと蓼の葉には露がおりて

またも待つ心を刺戟するというのである。

 

ところで句合の判詞の中で素堂は

「来ぬ夜あまたといふ古歌をとりて」

と述べているから、この句は拾遺和歌集巻第十三恋三題しらず 人麿

たのめつゝ来ぬ夜数多になりぬば

またじと思ふぞ待つにまされる

によっていることがわかる。

  

峠涼し沖の小島のみゆ泊り

 

『六百番発句合』、(汀戸広小洛)

 「とくとくの句合」には箱根と詞書があり、その判詞に

 

実朝卸のはこね路を今朝越えくればと詠じ玉ふを

峠のしゆく泊にとりのこされて一興あり。

所は山路ながら沖の小路のと侍れば、

泊の字を用ひてもくるしかるまじきにや

 

とある。金塊和歌集に見える実朔の歌によっている。

  

富士山やかのこ白むく土用干

(『六百番歌合』)

句合には上五が「山姫や」とある。

伊勢物語に

ふじの山をみればさ月つごもりにゆきにいとしろうふれり

いつとてかかのこまだらに雪のふるらん

とあるのや、新古今集巻第三夏歌 題しらず

持続人皇御歌

春過ぎて夏来にけらししろたへの

衣ほすてふあまのかぐ山

 とあるのによって作られた句である。

富士山があるいは真白にあるいは鹿の子まだらに雪をいただいて切夏の天に明らかに聳えたっているさまを土用干しに見立てたのであって、そこに談林俳諧の面白さがあったのである。

 

廻廊にしほみちくれば鹿そなく

(『素堂家集』そのI)

 

「誹枕」に「宮島にて」という詞書きして

 

廻廊や紅葉の燭(ともしび)鹿の番

 

とある句と同時の作か、改作したものであろう。判詞に

 

いつくしまの景気は廻廊に汐みち来る時なるべし。

あしべをさして田鶴鳴きわたるおもかげもそひて……

 

とあるところからすると萬集集巻六の山辺赤人の

「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る」

が意識されていたのでありた。

  

  其十 一水一月千水千月といふ古ごとにすがりて

我が身ひとつの月を問

   

袖につまに露分衣月幾つ

  

其十一 答

   月一つ柳ちり残る木の聞より

(「其袋」元禄三年1690刊)

 

白蓮集解説では其十の解説に当って雲葉集巻第一八 

水上月といふ月を小辧

うつしとる水なかりせば久方の

月を一夜にふたつ見ましや

を引用し、其十一に対しては続拾遺集巻第十九

影はまたあまたの水にやどれども

澄ける月はふだつともなし

を引用して

これ自問自答にして実相の月は只ひとつなりと心月を掲出するの意なり。

と記しているが、引用の二首を本歌と見るのはやゝ問題であろう。

  

桓根破るその若竹をかき根哉

(「いつを昔」元禄三年刊)

 

とくとくの句合に

八雲の神詠をかりて一ふしなぎにあらず 

とあるから、須佐の男命の

八雲起つ出雲八重桓妻ごみに

八重桓作るその八重桓を

によっているのである。

   

むかし此日家隆卿七そじなゝのと詠じ給ふは、

みづからを祝ふなるべし。

今我母のよはひのあひにあふ事をことぶぎて

猶九そじあまり九つの重陽をも

かさねまほしくおもふ事しかなり。

   

めでたさや星の一夜も朝顔も

(「韻塞」元禄十年1697刊)

 

この句は墨吉物語(竹堂清流編、元禄八年1695刊)に家母七十寄蕣賀として

    

あさがほの星と一度にめでたけれ

 

があり、『韻塞』の句は改作である。

家隆については古今著聞集巻第五家隆七十七歌事の条に

   家隆卿七十七になられける年七月七日、

九条前内大臣(教実)のもとへつかはしける 

おもひきや七十七の七月の

けふの七日にあはむものとは

 

とあり、これが発想の時意識されていたのである。

 

七草の根さへかれめや冬ごもり

(『冬かつら』元禄十三年1700刊)

 

前書に

 

予が母七そちあまり七とせに成給ふころ、

文月七日夕翁(芭蕉)をはじめ七人を催し、

万葉集の秋の七草を一草づつ詠じけるに、

翁も母君もほどなく泉下の人となり給へば、

ことし彼七つをかぞへてなげく事になりぬ。

 

とあり万葉集の旋頭歌に寄せていた心の程も窺われる。

万葉集の歌を心にして吟じた句に

 

    椎の葉にもりこぼしけり露の月

(素堂家集そのI)

 

がある。その詞書には

   

投椎木堂 むさしとしもつふさの中に流れたる

川のほとりにすみ所求てすむ人あり。

川むかひに年経たる椎の木あり。

是に月のうつるけしき、たやすくいひがたし。

ちかきわたりに、牛頭山・すみだ川、もまた遠からず。

まつち山もはひわたるほどにして、

入くる人にその心をのべしむ。

予も萬葉御代のふるごとを旅ごこちして

 

とある。

万葉集巻二の

 

家にあれば笥に盛る飯を草枕 

旅にしあれば椎の葉に盛る

 

によって作られた句で談林的傾向の著しい句である。

 

    芭蕉の塚に詣して

 志賀の花湖の水それながら

(『そこの花』元禄十四年1701刊)

 

「とくとくの句合」には

粟津が原にてばせをの塚を弔ひて

 

という詞書があり、判詞に

 

粟津が原はむかひに、

志賀の花折とらば手ぶさにけがるの心をとり

前の湖水をそれながらといへるにて、

手向になすぞ加茂川の水とよめる心をとるなるべし

 

とある。大和物語に

折つればたぶさに穢る立て乍ら

三世のほとけに花奉る

の歌があり、一休に

山城の瓜やなすびをそのまゝに

たむけになすぞ鴨川の水

の詠がある。

 

句は芭蕉に対する深い追憶の感慨から自然に生まれ出た句のようでありながら、しかも実際は上の二首を媒介としているのである。

   

ばせを老人行脚帰りのころ

  蓑虫やおもひしほどの庇より

(「素堂家集」そのI)

 

句合の判詞に

 

康頼入道の都帰りのころ、

思ひしほどはもらぬ月かげと詠じ給ふを、

おもひしほどのと云て猶荒たるけしき有るにや。

 

と述べている。すなはち平家物語巻三少将都帰の条にある康頼入道の歌

故郷の軒の板間に苔むして

思ひし程は洩らぬ月かな

を心にしての吟である。                          一

  

あれて中々虎が垣根のつぼすみれ

(『素堂家集』そのI)

詞書に「大磯にて」とある。白蓮集解説によれば

  俊成卿五社百首に 

いにしへ籬の野らのつぼ菫

むかし恋ひてや露けかるらむ 

堀川百首権大納言公実

昔みし妹がかきねはあれにけり

茅花まじりのすみれのみして

……此の歌によりての吟なるべきか、

昔の虎御前の住たる籬も荒果て

すみれ咲たるは中々に物うき春辺なるとや。

むかしゆかしき心なるべし。

……荒てといひ壺すみれといひ虎といひたる

詞のしをり庸作の及ぶ所にあらず

 

と述べている。

 

鴫たつ沢の西行堂に投ず

何となくそのきさらぎの前のかほ

(『素堂家集』そのI)

 

『とくとくの句合』には上五が「命長し」となっており、

『東海追記行』によると

 

まことや此本尊のみくしは文学(覚)のきざみたまふと

きけばいますがごとく思はゆるなるべし。

と注記されている。

山家集春歌

ねがはくは花の下にて春死なむ

そのきさらぎのもち月の頃

によっていることは明らかである。                     

 

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年09月02日 12時42分11秒
コメント(0) | コメントを書く
[山口素堂資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X