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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月02日
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カテゴリ:山口素堂資料室

山口素堂の和歌をめぐって 四

  

 清水茂夫氏著 山口素堂の研究(七)    

昭和三十四年山梨大字学芸学部研究報告第十号

   一部加筆 山口素堂資料室

 



 朝鮮もなびけしあとや野人参

(『素堂家集』そのI)

 

同じ豊国にてという詞書がある。家集には、

 

鴨の長明かまくらにて

頼朝の墓にまうでて

法華堂のはしらに書付ける。

 

草も木もなびけし秋の霜きえて

むなしき苔をはらふやまかぜ

 

朝鮮まで切しき給ふ名残に薬種の名に似たる

無用の草の生出けるにや実に感慨すくなからず。

 

と記されており、鴨長明の歌によったと思われるが、この歌は吾妻鑑と月詣和歌集に見える。

 

   螢見宇治

  きせむ法師螢のうたもよまれけり

(『素堂家集』そのI)

    

注記に

古今集の序によめる歌多からぬよし見え侍れとも

樹下集に基泉と文宇かはりて螢の歌あり。

水の間より見ゆるは谷の螢かも

沖ゆく舟はあまのたく火哉

とある。喜撰は古今集序に

よめるうたおほくきこえねば

かれこれかよはしてよくしらず

と評されており、これが発想の根本にあって作られた句である。

木の間よりの歌は玉葉和歌集巻第三夏に

樹間よりみゆるは谷の螢かも

いさりに蛋の海へゆくかも

とある。

 

歌詞の異同の生じたのは素堂の記憶違いからである。

  

宿からん花に暮なば貴之の

(『素堂家集』その一

 

詞書に「初瀬にて」とあり、句合には「花に」が「花のしとなっている。

家集には

  つらゆきははつせのまうしごなれば其宿に名残もあるべきにや。

  のどまりの歌ふるき集に、ただ一首ありと見え時る。

ちかくは御水尾院御製もり出て人めの間をしるもうし

 

とある。貴之集には 

  昔初瀬にまうづとてやどれりし人の家に

久しくいたらでまかりかりしかば、

かくさだかになむやどりはあるといひ出したりければ、

  ここにある梅の花を折りてやるとて 

人はいさ心もしらず

故郷は花ぞむかしの香に匂ひける

 

とあるが、この歌によって作句したのであろう。

従って「花に」はこの場合梅の花と解釈すべきであろう。また「の留め」の説明は素堂のことはへ

の関心の深さを示している。

  

朝霧に歌の元気やふかれけむ

(『素堂家集」その二)

 

「あかしの浦にて」という詞書がある。

 

この旬では近思録に孔子は四時の元気なりとあるのにより、歌聖人麿を歌の元気と言ったのである 。

古今集巻第九羇旅歌に

ほのぼのとあかしの浦のあさ霧に

島かくれ行く舟をしそおもふ

とあって、左注に「この歌はある大のいはく柿本人麿か歌也しとあるのを踏まえている。

   

丹陽のはしだてにまかりける頃大江山をこゆるとて

  

ふみもみじ鬼すむあとの栗のいが

(『素堂家集」そのI)

 

大江山の鬼退治の伝説は「大江山絵巻」や「泗呑童子」などによって著名である。

また金葉集第九雑上に小式部内侍の

   和泉式部保昌に具して丹後に侍りけるころ、

都に歌合ありけるに、

   小式部内侍奇よみにとられて侍りけるに、

定頼卿のつぼねの前にまうて来て、

哥はいかがせさせ給ふ、丹後へ大はつかはしけむや、

使まだまうで来ずやなとたはぶれて立てりけるを

ひかへてよめる

    大江山いく野の道の遠ければ

ふみもまだみず天の橋立

 

この歌によって初句を構えている。粟のいがは鬼の取合せであろう。

   ふるき夢物語に小町が手よりこがねを得たるためし、

八雲の御抄に申させ玉へば、

それにならべんも、をこがましけれど、

折ふし口切のころなれば、

 

おもひねの枕にはつむかし

霜の芭蕉のたもとより

(『素堂家集』そのI)

 

詞書にある八雲御抄の記事は巻第六に

   凡昔ゆめに小町が手よりかねを

百両うるといふ事をみたりしより、

天性歌のやうことにいみじきうへ、

小町をばふかく信仰す。

   いま又かかり、勝事とすべし。

とあるのによっている。

白蓮集解説に

蕉素のご翁の友情殊に深ければ、

かゝる事もありしなるべし。

霜の夢さびしみ断腸の種も思ひやるベし

と述べているごとくであろう。

  

水や空うなぎの穴もほし螢

(『素堂家集』その一) 

 「瀬田にて」という詞書がある。鰻は瀬田彦根附近の名物である。漁人が夜松明を照らしてうなぎの穴を見て捕えるのであるが、その火の数も多く、星とも螢とも見えてすがすがしいという句である。

この句の上五は

みづや空空や水とも見えわかず

かよひてすめる秋の夜の月

という歌によっていると思われるが、この歌は雲葉和歌集巻六秋歌中に

俊綱朝臣ふしみにて水上月といふことを講じけるに、

いやしきともがらの中よりよみいだしける

と前書があってこの歌があり、袋草紙・続詞花和歌集にも見えるので、どの書物によったかは明らかでない。水や空の上五によって漫々として広い湖の状景が豊かに表われている。

 

終りに連歌によった句の例を挙げよう。

  

名もしらぬ小草花さく野菊かな

(『礦野元集』元禄二年刊)

詞書に「宗祗法師の詞によりて」とあり、

「笈日記」には「秋野」とある。

宗祗法師の詞というのは

「名も知らぬ小草花咲く川辺哉」で、

吾妻問答(宗祗著)には作者を親當とし、白髪集(紹巴編)には智藻とあって宗祗の作ではない。

素堂の記憶違いであろう。結局を「野菊かな」と収めたところが俳諧になっている。

  

 さか折のにゐばりの菊とうたはばや

(笈日記元禄八年刊)

 

詞書に「十日菊」とあり、注記に

 

よには九の夜日には十日といへる事

ふるき連歌師のつたへしを

此あしたしみを払ひて申侍る 

 

とある。

日本武尊と火焼翁との酒折宮における唱和によっていることは明らかである。

白蓮集解説に

きのふは重陽龍山の会あり、

けふ又十日の菊を合す。

九日と十日なるが故に

酒折のにひばりのと歌はん

とは申されしなりとぞ

自注によりて明らかなり

と述べている。

 

以上素堂の発句に和歌的教養が如何に反映しているかを検討したのであるが、素堂の句がまことに伝統的和歌の世界を支柱として発想されたものが多いのに驚くのである。

一見深い感動の自然の流露であると思われるような句においても、その表現が和歌に媒介されているのである。

これは談林俳諧から蕉風俳諧への展開の苦難な時期を歩んだ素堂が、伝統的和歌的世界の持っている文芸性を、俳諧の上において把握し表現しようとする試行の過程を示すものとも考えられよう。

しかし一面和歌的知識が自然の感動を乗り越えて発想の中核に座を占めている作品も多い。それらは談林俳諧の世界に連なるものである。

 






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最終更新日  2020年09月02日 12時44分30秒
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