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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月02日
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カテゴリ:山口素堂資料室

  山口素堂と近畿(京都・奈良)を結ぶもの(一)


《愛宕山》

 

京都市右京区上嵯峨の北部に在る山、

山頂には愛宕権現(雷神)を祭る社がある。

往時は神仏混交で有ったから宿坊大善院も置かれていた。

 

白雲を下界の蚊屋につる夜かな

 

(元禄十一年六月廿四日・素堂句集)

 

愛宕山を釈中の淵明と賞かし玉ふにより云

    富聴暮寒山道骨 

釈中陶潜不知誰

 

『草山集』

 

☆山口素堂と京都《御手洗川(鴨川・鳴滝)》

 

京都府下賀茂神社の前を流れる川で、

参拝者が手洗口濯ぎなど潔斎して身を清める所。

今出川(賀茂川)と高野川があるが、常識的には賀茂川であろう。

尚、みたらしはみとらしで貴人の弓に対する敬称でもある。

 

元禄十一年二月刊、『寄生』(やどりぎ)佳聚亭編。

 

加茂川に遊びて

 

御手洗や半ハ流るゝ年忘れ   素堂

 

橋立や景過もせず霧のひま   素堂

 

素堂は夏から秋にかけて京都に留まる。

芭蕉の塚に詣でて手向草二句を供え(『続有磯海』)

又鳴滝に茸狩りを催して句三章を得る(『橋南』)。

元禄十一年『橋南』入集。

 

戊寅の秋洛陽に遊ひ、

一日鳴滝の茸狩して両袖にいたきて帰りぬ。

其片袖は都の主人にあたへ、

大津の浦の一隠士安世のかたへ

此三唱を添て送るならし。

   

其一 椎茸や見付ぬさきのおもしろさ  素堂

 

其二 松茸やひとつ見付し闇の星    素堂

 

其三 袖の香やきのふつかひし松の露  素堂

 

尚この年京都で「寄生(やどりぎ)集」が上梓され、

この句と「橋立や景過」の句が人業している。

同業の序に大淀三千風が「寅のきさらぎのころ」

と奥を付けていることから、十一年以前の作との説もあるが、

素堂の上洛は元禄三年秋から

冬以後十一年夏から秋しか無いと思われるから、

条件が合うのはこの年である。

この業の三千風の序は如月に書かれたものへ

撰者の佳茶亭の編集が三千風の序の奥付より遅れてなされたらしい。

また板行刊行が遅れて補填されたと思われる。良くある事ではある。

同年の「泊船集」にも入集し「糺にて」の前書きがあり、

「糺」は下賀茂を差し、その南の森を「糺の森」と云い、

この森に鎮座する神を「糺の神」と云っている。

古来よりほととぎすや納涼で知られる。

 

☆山口素堂と京都《男山》

 

男山(岩清水八幡宮)京都府綴喜郡男山、八幡山とも云う。

山頂に八幡宮が在り、例祭は九月十五日に行われる。

北の賀茂祭りに対し南祭り(臨時祭)と云う。

 

八月十五夜 岩清水に詣侍りて

  くもりなき御代ぞやをとこ山

名だかきかげをなほてらすらむ

 

☆山口素堂と京都《廣澤の池》

 

京都市右京区嵯峨広沢在、

上嵯峨の地になるが嵯峨と御室の仁和寺の中ほどにある。

元禄四年刊行の「句餞別五百韻」に

 

 いづれゆかん蓮の実持て広沢へ  

 

(『真木柱集』・元禄十年刊行前書きなし)

 

前書きに、

すみ所を宮古にと聞えければ、

我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、

かの池に蓮のなき事をうらみ申ス、

 

とあり。『とくとくの句合』に

 

小野川洛陽に住所を求とて登りける頃、

予も又其心ざしなきにしもあらず、

 

稿本『とくとくの句合』は

 

小野川立吟住所求むとて洛陽におもむきけるに、

やつがれも其志なきにしもあらねバ

 

とあり、共に

 

蓮の実よとても飛なら広沢へ

 

と改めている。『真木住』は挙堂が素堂の句作法を紹介したもので、

二句目のは後に改作したものであろう。

この句は立吟が京都に移住するについての「句餞別」で

自信も京都に移るなら嵯峨の広沢辺りにしたい、

だが広沢には蓮が無いから蓮の実を持って

いづれ行こうと云う願望の句である。

  

同じいざよひに広沢にあそびて

  我舞て我にみせけり月夜かな   

 

『素堂句集』

 

☆素堂と京都《男山》

 

京都北方の舟岡山・衣笠山・岩倉山などの山々の総称。

衣笠山は岡とも呼ばれ、絹掛山・絹笠山とも云い、歌枕でもある。

京都市北区大北山に在る標高約二百米ほどの山、

麗には金閣寺(鹿苑寺)等持院などがある。

 

北山の草枯にいざなはれし頃

  茸狩りやひとつ見付しやミの星  

 

【素堂句集】

 

古き歌に 

ほしひとつ見付たる夜の嬉しさ

八月にもまさる五月雨の空

 

この句の前書きには、

『とくくの句合』は、西山の茸狩にいざなはれて、

『稿本とくとくの句合』は、洛外の鳴滝にて、

『橋南』および『素堂家集』では、

戊寅の秋洛陽に遊て一日なる滝に茸狩して云々とあり、

 

この句の地が何処であるか定めがたいが、

洛北・洛西ともに茸狩りの地であり、

鳴滝での句は西山の句と関連する処が読み取れ、決め難い。

 

☆素堂と京都《西山》

 

京都西方の愛宕山から嵐山に至る一帯の山地の称。

ナラビノヲカ並岡・比丘・双岡とも、右京区御室双岡町在、

仁和寺の南方に三つ連なっている

丘陵、清原、夏野の山荘の地で、兼好法師の隠棲の地。

 

☆素堂と京都《鳴滝・嵯峨》

 

右京区鳴滝、嵯峨・広沢池の北方山間にある。

往時は鳴滝川の総称であったが景勝の地で、山荘などが造られた。

川は双ケ丘の西を流れて酉ノ庄付近で桂川に流人する。

現在は御室川と云う。

 

  戊寅の秋洛陽に遊び、

一日なる瀧に茸狩して帰りぬ。

其片袖は都の主人にあたへ、

其片袖は大津の浦の一隠士安世のかたへ、

此三唱を添て送ならし

  茸狩や見付ぬさきのおもしろさ

  松茸やひとつ見付て闇の星

  袖の香やきのふつかひし松の露  素堂 

(真蹟色紙)

 

【注記】撰集「橋南」の前書きでは「両袖にいだきて」が入っている。

〇嵯峨 右京区の地名。市の西部の地で嵯峨野が中心。

大覚寺・二尊院・天竜寺が在り、素堂と親しい去来の「落柿舎」が営まれていた。

保津川を隔て嵐山に対し、桜や紅葉名所。

〇小倉山 右京区嵯峨野にあり、紅葉の名所で知られ、

藤原定家の厭離庵などが近くにある。歌枕。

    厭離庵 小倉山に在る定家の山荘で「小倉百人一首」を撰んだ場所と云う。

庵名は仏教語で厭離穢土から取ったもので、

ケがれた現世をきらい離れようとすることを云い、欣求浄土と同じこと。            ’

 

嵯峨 

季秋遊嵯峨之圧離庵 

両三日行臨大井川 

清流坐看小倉山閑雲 

園中貯四時之花 

謂之四時叢 

 

我聞三閭太夫之九畹之蘭 

五柳先生之三径之菊 

風涼則風流也。

□然□愛一様之花而不周 

四時主人之愛花可謂至牟。

我隠愛花心之和也 

愛水心之情也 

愛山心之静也。

此境水辺而山不遠 

花有四時叢心与境 

夜道以為楽至 

吟賞之余題一絶云 

回序分略花作隣 

一叢送古一叢新 

文賓得客篇之閙 

紫柱能還又向春

 

【参考資料】素堂『千鳥掛集』序文 正徳二年(1712)七十歳。

 

『千鳥掛集』序文

 

鳴海のなにがし知足亭に亡友はせをの翁やとりせるころ、

翁おもへらく此の所は名古屋・あつたにちかく、

桑名・大垣へも遠からず。

千鳥がけに行通ひて残生を送らんと

星崎の千鳥の吟も此折りのことになん。

あるし知足此ことは耳にとゞめて

其の程の風月をしるしあつめ、

千鳥かけと名付て他の世上にて

見そなはしてんとのあらましにて、

程なく泉下の人となりぬ。

其子蝶羽、

父のいひけんことをわすれすながら世わたる事

しげきにまきれてはやととせに近く、

星霜をふりゆけは世の風體もおのかさまさまにかはり侍れと、

父の志をむなしくなしはてんもほゐなきことにおもひとりて、

ことし夏も半はに過行ころ、

洛陽に至り漸くあつさにちりはむる事になりぬ。

やつかれ折りふし在京のころにて

此のおもむきをきく折ならぬ千鳥のねをそへて

集のはしに筆をそゝくのみ。

 

我聞 

 

川風寒き千とり鳴く也 

の詠は六月吟し出てもそゝろ寒きよし。

この千鳥かけも時今炎天に及へり、

其たくひにや沙汰し侍らん。

又聞、東山殿鴨川の千鳥をきゝに出てたまふに、

千本の道貞といへるもの袖にらんしやたいをたきて

出てけるを聞めして其香爐を御とりかはしありて、

今の世に大千鳥小千鳥とて賞せられけると也。

此の後かほと至れる千鳥を聞すよし今香はたかすとも

星崎の千鳥にひとりもゆきあるは

友なひてもゆきてきかまほしき。

又そのあたりの歌枕松風の里に旅人の夢をやふり。

ねさめの里に老のむかしをおもひ夜寒の里の砧をきゝ、

なるみ潟しほみつる時は上野の道をつたひ、

雨雲には笠寺をたのみ月のなき夜も星崎の光りをあふきて、

猶風雅の友よひつきの濱千とりこれかれ佳興すくなしと

せすむへなるかなはせをか此所に心をとゝめしこと。

 

 正徳仁辰年林鐘下浣  武陽散人  素堂書                          I

 

☆素堂と京都《大井川・大堰川》

 

    保津川、丹波高地を源に京都市北西部右京区の嵯峨・嵐山辺りを流下する

桂川の上流部で、嵐山の上流は峡谷をなし、渓谷美に紅葉・桜の名所である。

平安時代には三船(詩・歌・管弦の船のこと)

を浮かべた貴人達の雅遊の地で名高い。

今日では筏下りや高瀬舟による舟下り(保津川下り)が観光事業として行われている。

 

大井川いさめて落るつばき哉 

(『文蓬来集』・元禄十三年編集)

 

素堂、元禄十四年の春秋二度の上洛時の作句とされるが、

水間沾徳編集の文蓬来集の刊行は十五年だが

編集は前年に終わっていたから、

素堂の作句は十三年の時であるらしく、

駿河の島田宿如舟での句では、

「大井川しづめて落る」となっている。

 

☆素堂と京都《清滝川》

 

右京区西北部の愛宕山麓を流下する川で、落合で大堰川に合流する。

その上流部の栂尾(トガノオ)は

右京区梅ケ畑栂尾町、紅葉の名所として知られ、

川に臨んで高山寺(明恵上人再建)が在り、

同寺は古美術の宝庫で「鳥獣戯画・源氏物語絵巻」を蔵する。

栂尾は高尾(雄)・横尾と三尾と称される。

 

☆素堂と京都《嵐山》

 

西京区嵐山、大堰川を挟み嵯峨と対し、渡月橋を通じて往来する。

古くは紅葉今は桜の名所となっている。

対岸の亀山・小倉山に対する景勝地で歌枕である。

寺院は大悲閣が置かれ、対岸の天竜寺と対している。

 

《素堂漢詩》

    嵐山のふもとに禅坊を叩いて

   朝送山雲出  

夕看飛鳥帰  

初知梁境婦  

又約叩柴之扉

 

☆素堂と京都《御室 仁和寺》

 

○右京区の仁和寺一帯を呼ぶ。

仁和寺は宇多天皇勅願寺で退位後に離宮として住んだ。

御室御所とも云い、仁和寺の称でもある。その南方には双ケ丘が並ぶ。

 

☆山口素堂と京都《廣澤の池》

 

京都市右京区嵯峨広沢在、

上嵯峨の地になるが嵯峨と御室の仁和寺の中ほどにある。

元禄四年刊行の「句餞別五百韻」に

  

いづれゆかん蓮の実持て広沢へ  

(『真木柱集』・元禄十年刊行前書きなし)

 

前書きに、

すみ所を宮古にと聞えければ、

我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、

かの池に蓮のなき事をうらみ申ス、

 

とあり。

『とくとくの句合』に

 

小野川洛陽に住所を求とて登りける頃、

予も又其心ざしなきにしもあらず、

 

稿本『とくとくの句合」は

 

小野川立吟住所求むとて洛陽におもむきけるに

やつがれも其志なきにしもあらねバ

とあり、共に

 

蓮の実よとても飛なら広沢へ

 

と改めている。『真木住』は挙堂が素堂の句作法を紹介したもので、

二句目のは後に改作したものであろう。

この句は立吟が京都に移住するについての「句餞別」で

白身も京都に移るなら嵯峨の広沢辺りにしたい、

だが広沢には蓮が無いから蓮の実を持っていづれ行こう

と云う願望の句である。

 

同じいざよひに広沢にあそびて

   我舞て我にみせけり月夜かな   

 

『素堂句集』

 

☆山口素堂と京都《大江山》

 

    オホエヤマ 

西京区大技町背後の山、旧宮道丹波道の老坂峠がある。

源頼光が勅命で山賊を退治した所。

顚童子の伝説で名高い丹波の大江山は京と加佐両部の境に在り、

歌枕の与謝の大山。

頼光の鬼退治伝説は誤伝されて、これに因んだ遺跡が散在している。

この難路の山道を越えて丹後宮津に至るために、

酒顚童子の伝説が生じた様で、

大江山に棲む酒顚童子(酒呑・酒天・酒典)は、

都に出ては婦女子を略奪する鬼形の盗賊とされ、

源頼光等に退治されたとされる伝説上の事で、

謡曲「大江山」御伽草子「酒顚童子」浄瑠璃「酒呑童子」など、

文芸上の素材にされている。

 

《素堂》 

   丹陽のはしだてにまかりける頃、

大江山をこゆるとて

ふみもみぢ鬼すむあとや栗のいが

 

この句を詠じたのは老の坂か大江山の道なのか俄に決め難いが、

後書きに和泉式部の娘の小式部の内侍の和歌を引いているから、

丹波の大江山としておく。

   大江山いく野の道は遠ければ

まだひみもみず天の橋立

 

素堂は「ふみもまだみず」としている。

 

☆山口素堂と京都《東山》

東山区の鴨川の東に南北に連なる丘陵の事で、

古来「東山三十六峰」と呼ばれる。

麓には銀閣・智恵院・清水寺・祇園社など寺社・古蹟が多く風光明媚。

背後の比叡山は王城鎮護の霊山として天台宗延暦寺がある。

東音羽町鳥部野(鳥辺野)は東山の西麗の地として、

平安時代は火葬場と墓地を置いた地でもある。

 

《素堂》

   東山にて

木の間ゆくかつぎにちらし桜哉

  比叡山の絶頂にて

比叡山の絶頂にて

山すゞし京と湖水に眼三ツ






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最終更新日  2020年09月02日 16時30分18秒
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