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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月02日
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カテゴリ:山口素堂資料室

  山口素堂と近畿(京都・奈良)を結ぶもの(二)

 

素堂と京都《詩仙堂=詩仙臺》

 

    左京区二乗寺、昔の愛宕郷、修学院と白川の中間に在る。

石川丈山の隠棲の亭。屋上に傍観楼を設けてあり、

一種の天守閣様の趣を呈す。

  

《素堂》

石川丈山谷の詩仙台をたづねて六言六句をいふ

   先尋日東李杜  

静対中華仙顔  

山鳥啼長松樹

   野客人老梅関  

詩興猶何處好  

泉石前翠微間

 

  朝鮮の学士、

丈山翁を日東の李杜と称美しけるにより、

起句にしかいふ。

  又詩を題せざれば庭に入る事を許さず、

よって梅関といふ。

 

 

素堂と滋賀《石山寺》

 

    滋賀県大津市石山、

真言宗東寺派で聖武天皇の勅願で良弁僧都の開基。

瀬田川の右岸に在り、眺望もよく月の名所で近江八景の一つ、

背後の山の千頭岳は紅葉の名所。

陰暦十月甲子の日に参詣することを石山詣と云う。

 

《素堂》

  石山寺へもミぢ見にまかりし頃

  雲半岩をのこしてもみぢけり (元禄十一年の作)           

   石山寺のふもとに蛍見にまかれるころ

  水てりてうなぎの穴も蛍哉

  粟津野やこのまの星を打蛍

  ふくる夜は簾も蚊やも蛍哉

   あくるあしたあるじの手より

蛍をうすぎぬに包て送りけるに

  後朝にきぬ引かつぐ蛍かな  素堂 〔真蹟懐紙〕

   石山寺の開帳の頃詣侍りて (年代不詳)

  夕だつや石山寺の銭のおと

 

素堂と大津《粟津ヶ原・瀬田》

 

    大津市粟津町在。

    義仲寺は大津・石山線の馬場駅から凡そ二丁ほど

湖岸寄りの町通りに沿ってある。

源平時代の武将木曾義仲の墓と隣あって、

素堂の友松尾芭蕉の墓がある。

 

《素堂》

懐旧 

はせを墓にまうでて手向草二葉 (元禄十一年夏)

  

秋むかし菊水仙とちぎりしが

  

苔の底消の露やとゞくべし

   

粟津ケはらにて旧友はせをケ墓をたずねしに (元禄十三年春)

  志賀の花この海の水それながら

   むかひに志賀の山、前に湖水あり、

そらハたぶさにかけるたて糸かかり、

三世の仏に花たてまつる。

また一休の様に 

山城の瓜や茄子もそのままに

たむけになすぞ鴨川の水 

 

も此二首にすがりていふ

 

【註】

『稿本とくとくの句合』に

『ばせを身まかりて江州粟津ケ原に葬しを、明る年尋しころ』

と前書きする、して見ると元禄八年に上洛して吟じた事になる。

又この吟が翌年の春とすると、

春三月に服部嵐雪と大津で出会って居り、

六月に嵐雪が出した『杜撰集』に入集していなければならない。

 

○膳所***ゼゼ、大津市善所、粟津の北方にあり湖南の要衝なっていた。

○瀬田***大津市瀬田、勢多・勢田とも、

琵琶湖から流出する瀬田川の左岸に位置し、

ここに架かる唐橋(長橋)は有名。近江八景の瀬田の夕映え。

 

   勢田にて

  夕立や虹のから橋月は山  (延宝六・七年)

   瀬田にて

  水や空うなぎの穴もほし蛍

   

【註】前出の石山寺の蛍見の句に『水てりてうなぎ』とあり、同時期の物であるのか不明

 

素堂と京都《宇治》

 

    申丁偽印京都府宇治市、

伏見の東南に在り宇治川に臨み、平等院・万福寺が在る。

平安時代の貴人の遊楽の地で、古来より和歌・文学の舞台となり、歌枕にもなる。

また名栗の産地。

   

《素堂》

蛍見 宇治

  きせん法師蛍のうたもよまれけり

   古今集の序に、よめる歌多からぬよし見へ侍れども、

樹下〔集〕に基泉と文字カハりて蛍の歌あり。

  木の間よりミゆるハ谷のほたるかも

沖行舟のあまのたく火か

    宇治 (星会集・宝永六年刊)

   山は朝日蔭花桜朱鷺の羽

【註】

この年頃に吟じたものか不明、利休の茶道具のうち「茶入号朝日山」の漢詩が

     ある。この詩が元禄十五年の作であるかは未詳としておく。

 

 「茶入号朝日山」の漢詩

宇治川浪  

朝日山光  

一壷洗眼  

三椀探傷

   是非和国  

湛来盛唐  

花南雪後  

相親相望

 

☆素堂と京都《丹波》

 

    京都府南部から兵庫県北東部に広がる旧国名、

京都からは丹波口が道の出発点て往時は島原遊廓の入口が道に面していた。

この道を西に向かうと京都と丹波の境の老の坂峠である。

所謂「丹波越え」と云う語が残っているが、此処では省く。

 

素堂》

丹波にて (既望十六夜集・宝永六年刊行)

  我むかし一重の壁をきりぎりす

 

☆素堂と京都《宮津・天橋立》

 

〇 京都府宮津市、元丹後の国与謝郡。宮津湾頭の城下町。

天の橋立が在る。素堂が云う宮津の主人は特定できない。

 

  宮津のやどりにて

浦島が鰹は鰤いまだ

  

  宮津主人水上氏へ

   記得杜翁句  

天柱再渡時  

四海洋海水  

孤月掛松枝

   清話眼相対  

吟行影亦随  

人間汗水会  

旅泊是生涯

 

    天橋立 宮津市の与謝半島から宮津湾に突き出した砂州で、

白砂青松の日本三景の一つ。素堂は元禄十三年ともう一度訪ねているようである。

  

橋立や景過もせず霧のひま

    はしだて

  月夜よし六里の松の中ほどに

 

☆素堂と吉野山・西行庵・吉野川

 

    吉野山 奈良県吉野郡吉野町を中心にした一帯を称し、

吉野川に臨み山谷の美で知られ、桜の名所で歌枕にもなっている。

また修験道の道場でもあり、吉野朝四代(南北朝期)の遺跡も在る。

   

大和めぐらせし頃よしの山に人 〔元禄三年〕

   

をちにミしきのふの雲をけふわけて

花になれゆくみよしのゝやま

  

大和めぐりせし頃よしの山にて

   

是つらよよし野の花に三日寝て

 

    西行庵 

吉野山の金峰神社の奥の、奥の一と目千本付近。

神社より凡そ五百米所に苔清水と庵跡が在る。

西行法師は号を円位、俗名を佐藤義清と呼ぶ 

鳥羽天皇の北面の武士であったが二十三才で出家し、

諸国を遍歴して名歌を残した自然歌人で、

吉野には建久年間の三年籍もった。付近は桜の名所である。

 

《素堂》  

西行法師の旧庵の跡をたづねて

 

はなごろもけふきてぞしるよしの山

やがて出じのこころふかさを

  

  おなじとくとくの文をむすびて

  

山かげにひとくひとくとなくとりも

岩もる水のおとにならひて

   

西行法師 

とくとくのおつる岩間の苔清水

汲ほすほどもなきすまひかな

 

    吉野川 吉野の中の千本と下の千本の中程に、殆どが集中しており、

後醍醐天皇が足元元年に足利氏の圧迫により、

京都を逃れて吉野山に入って仮の皇居にしたのが

吉水院(現吉水神社)後実城寺(元金輪王寺)に移った。

天皇の御陵は中の千本の塔ノ尾如意輪寺の後ろ山に在る。

  

《素堂》

尋問南朝跡  

行々遠市塵  

前山紅世界  

後嶺白雲浮

   昔聴降天女  

今猶有地仙  

臥花南三日  

可惜別苔延

  どうやらこれにより

『是つらよ吉野の花に三日寝て』

となったらしい。

   同夜興唱句

   白雲花燭暈  

日月笠を暈といへば(そはしトモ)たはむれにいふ

 

○吉野川 大台ヶ原山を水源として流下し、和歌山県に入って紀の川となる。

 

素堂》    

よしの川にて

    結に鮎花の雫を乳房にて

    此ではさかなにつよくなべしや

 

 『とくとくの句合』では

鮎小鮎花の雫を乳房かよ

としている。

 

☆素堂と奈良《初瀬・三輪》

 

    奈良県桜井市初瀬町、上代の皇居が在った所で桜の名所。歌枕。

こゝには長谷寺が在り牡丹・桜・つつじ・かえでが美しい。

《素堂》

   初瀬にて

  宿からん花に暮なば貫之の

   貫之ハ初瀬のまうし子なれバ

其宿坊に初瀬も有可きにや(候や)のきまりの歌

古今集にたゞ一首ありと見へ侍り、

ちかくハ後水尾院御製もい出て、

人めの関を「しるもうしゆるすとハなき袖のなみだの」

 

    三輪 

奈良県磯城郡在、桜井市三輪の東方の山で、山自体が大神神社の御神体。

山中には「三輪の神杉」が繁り、正面に特殊な三輪鳥居を建て、

その前に拝殿が在る。酒の神としても名高い。歌枕。

 

素堂》

  三輪(稿本とくくの句合は大和廻りせしころ三輪の神へ詣侍りて)

  至れりや杉を花とも社とも 

(至れるや杉を花にも社にも)

此の神ハ社なし、なきぞ神のかたちなりけれの心なるべし

 

☆素堂と姫路《井出の里》

○ 京都府綴喜郡の地名。山吹の名所で歌枕でもある。

 

《素堂》

    暮春、井出の里にて

  春もはや山吹白く苣苦がし

 

☆素堂と高野山

○ 和歌山県伊都郡高野町。

弘法大師空海が開いた真言宗総本山金剛峰寺がある。

老杉古檜に包まれ、標高千米の信仰の対象地。

 

《素堂》

    高野山にて

  しんしんたる山はいろはのはじめ哉

 

☆素堂と玉津島

○ 和歌山市南方の海岸一帯の名勝地「和歌の浦」に在る玉津島神社、

背後の妹背山と東に名草山が在り、

祭神は稚日女命・神功皇后・衣通姫、

衣通姫は和歌の神として尊崇されている。

 

《素堂》

   玉津島 〔紀南玉津島にて〕

  霧雨に衣通姫の素顔見む

 

☆素堂と兵庫・播磨

〇 神戸市兵庫区辺り、

平の清盛が治承四年京都より都を移したが、

半年で元の京都に戻った。

 

《素堂》

   福原にて

菜畠の爰が左近のさくらかよ

 

○ 播磨 兵庫県西部の旧国名

 

《素堂》

    播磨めぐわせし頃唱句

   牛行花緩々

    尚 牡丹花をになひて

  遅き日やしかまのかち路牛で行

 

○飾磨(しかま)

姫路市飾磨区古来瀬戸内の要港、藍布の産地であった。

    書写寺 

姫路市の北方に市の西側を流れる夢前川を挟んで在る山で、

中国山地の末端にある標高三百六十米余りの丘陵に書写寺が在る。

 

《素堂》

  書写寺へ詣しに、

弁慶法師の手習せし所とて其ほとりに、

弁慶水ハ是之

老人の教へける。

  弁慶の面影白し花の雪

 






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最終更新日  2020年09月02日 16時46分15秒
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