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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月06日
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 長野県の記念碑 小林計一郎氏著

 
 ① 信濃国歌碑 長野市歌ケ丘

 長野県歌「信濃国」の歌碑。浅井洌作詞。

昭和九年建立。作詞者自筆。

この歌は県民に広く愛誦されている。

 

② 川中島古戦場八幡原碑群 長野市小島田

 

「甲越直戦地碑」「三刀七刀跡碑」等がある。

永禄四年(一五六一)、

上杉謙信と武田信玄が一騎討ちをした古戦場。

訪れる者が多い。

 

 ③ 山本勘助墓碑 長野市松代町寺尾柴

 

武田の軍師で、川中島の戦に戦死した山本節約の墓碑。

元文四年(一七三九)、鎌倉重栄建立。

松代地震で被害を受け、改築したら、遺骨が発見された。

 

 ④ 勘助宮詩碑 長野市篠ノ井小森

 

山本勘助戦死の地と伝える。

南条文雄作の七絶を記す。寺内正毅書。

もとこの地に小宮があったが、今はない。

 

 ⑤ 佐久間象山之碑 長野市松代町象山公園

 佐久間象山は幕末の先覚者で、京都で暗殺された。

明治三十五年建立。重野安繹撰、日下部鳴鶴舎。

 

 ⑥ 望嶽賦碑 長野市松代町東山神社

 佐久間象山の代表的な碑。

もと東京にあったが、太平洋戦争の混乱で

行方不明になっていたものを発見し、

昭和四十八年にこの地に移建。

 

 ⑦ 日本電信発祥之地碑 長野市松代町

 嘉永二年(一八四九)、

象山が日本最初の電信実験に成功した

鐘楼の傍らにある。

昭和二十八年建立。

もと象山神社にあったが昭和三十六年この地に移建。

 

 ⑧ 松井須磨子演劇碑 長野市松代町清野正林寺

 女優、松井須磨子の記念碑。

昭和二十八年建立。

須磨子自筆の「カチユーシヤの唄」を刻む。

 

 ⑨『破戒』原稿碑 飯山市真宗寺

 真宗寺は、藤村の小説『破戒』の蓮華寺のモデルである。

それを記念して『破戒』の原稿の第一葉を

拡大して刻んである。

昭和四十年建立。

 

⑩ 永田小学校開校百年記念碑

 下水内郡豊田村永江

地元出身の国文学者高野辰之作詞の小学唱

 「ふるさと」(うさぎ追いし……)を刻む。

 昭四十九年建立。

 

⑪ 中山晋平生誕地碑 中野市日野

題字は西条八十。自筆の「カチューシヤの唄」

の一節の楽譜を刻む。昭和三十元年建立。一

 

⑫ 象山遺沢の碑 下高井郡山ノ内町佐野

 弘化元年(一八四五)、

松代藩主真田之貫は佐久間象由仁命じて

この地方(志賀高原)の開発をおこなわせた。

その記念碑である。明治十二年建立、勝海舟書。

 

 ⑬ 一茶句碑 上水内郡信濃町柏原諏訪社

 一茶の句碑としては最古のものである。

 文政十二年(一八二九)、

弟子らの手によって故郷に建てられた。

「松蔭に寝て喰ふ六十余州かな」

 

⑭ 一茶翁胞衣塚 上水内郡信濃町二の倉

一茶の実母の実家跡に建つ、

一茶誕生地の碑。近くに

「ともかくもあなたまかせの年の暮」

の句碑もある。

 

 ⑮ 久米路橋長歌碑 上水内郡信州新町久末路橋

 歌枕久米語橋をうたった勝海舟の長歌碑。

明治十三年建立。

他に『拾遺集』の久来路橋の歌碑もある。

 

 ⑯ 雨宮渡し跡碑 更埴市雨宮

 川中島の戦いの時、上杉軍が渡河した所という。

頼山陽の詩「鞭声粛々夜渡河……」を

刻む。昭和十五年建立。

 

 ⑰ 西行法師旧跡之碑 更埴市桑原佐野薬師

 『撰集抄』に見える信濃国佐野はここだと伝える。

文久元年(一八六一)建立。

ほかに下高井郡山ノ内町佐野、

北安曇郡白馬村佐野にも碑がある。

 

 ⑱ 権少僧都成俊之碑 更埴市銕捨長楽寺

 長楽寺は署名な姥捨山である。

政俊は南北朝時代にこの地に住んだ万葉学者である。

文化九年(一八一二)建立。

 

⑲ 芭蕉翁面影塚 更埴市姥捨長楽寺

 貞享五年(一六八八)芭蕉は端捨山岳おとずれ、

「俤や姥ひとり泣く月の友」の句を残した

(『更級紀行』)。

碑は明和六年(一七六九)加羅白雄の建立。

 

 ⑳ 姥捨碑群 更埴市姥捨

 姥捨一帯には、右の二基をはじめ、

無数の歌碑・句碑・記念碑等が林立する。

 

万葉歌碑 更級郡上山田町 万葉橋傍ら

 『万葉集』東歌

「信濃なるちくまの川のさざれしも

君しふみては玉とひろはん

を記す。

佐々木信綱書、昭和二十五年建立。

 

㉒ 赤松小三郎君碑 上田市城址公園

 赤松小三郎は幕末の先覚者で、

兵法家として名高い。

慶応三年(一八六七)京都で暗殺された。

昭和十七年建碑。

 

 ㉓ 羽衣檞の碑 小県郡東部町禰津百町

 島崎藤村書、昭和十二年建立。

水彩画家丸山晩霞の生家にある名木に

藤村がその由緒を記している。

 

㉔ 力士、雷電之碑 小県郡東部町滋野

 著名な力士雷電為右衛門の頌徳碑。

佐久間象山撰文および書として高名な碑。

破損がひどいため明治時代に再建された。`

 

㉕ 藤村詩碑 小諸市懐古園

 「千曲川旅情のうた」の碑。

昭和二年建立。

銅版は高村豊周の鋳造。

 

㉖ 木村熊二記念像 小諸市懐古園

 熊二はキリスト教信仰に基づく教育者で、

小諸義塾を開き、教え子藤村を小諸に招いた人。

昭和十年建立。藤村書。

 

㉗ 牧野公遺徳碑 小諸市懐古園

 小諸藩主牧野廉哉の頌徳碑。

嘉永三年(一八五〇)領内で

いちはやく種痘を実施したことを記す。

俗に種痘の碑とよぶ。

明治三十一年建立。

 

㉘ 室生犀星詩碑 北佐久郡軽井沢町 二手橋付近

 「切なき思ひぞ知ご」の詩を記す。

犀星が墓のつもりで自らの手で建てたもの。

この地域は墓地が許可されないので、

詩碑の形式をとった。

 

㉙ 正宗白鳥文学碑

     北佐久郡軽井沢町ユースホステル付近

 白鳥も犀星と同じく戦時中軽井沢に疎開した。

碑は十字架の形をした黒御影石で、

白鳥が自ら訳して愛誦したというギリシャ古詩を記す。

 

 ㉚ ショウ氏記念碑 北佐久郡軽井沢町旧軽井沢

軽井沢町の二手橋近くにある「室生犀星詩碑」

ショウはカナダ人の宣教師で、

軽井沢を避暑地として世に紹介した人。

明治三十九年建立。

漢文、英文の両方がある。

 

㉛ 有島武部終焉地碑 北佐久郡軽井沢町三笠

 有島武郎が波多野秋子と心中した別荘地。

昭和二十九年建立。

吹田順幼およびチルダ女史の文(英文)。

 

㉜ 沓掛時次郎碑 北佐久郡軽井沢町長倉神社

 長谷川伸文学碑、昭和二十七年建立。

沓掛時次郎は長谷川伸が生んだ架空の侠客。

 

㉝ 追分道標歌碑 北佐久郡軽井沢町追分

 中山道と北国街道の分岐点に建つ碑。

歌と里程を記す。

「さらしなは右みよしのは左にて

月と花とを追分の宿」

 

 ㉞ 佐藤春夫賞心地の碑 佐久市横根湯川

 昭和二十年詩人佐藤春夫がこの地に疎開し

た記念碑。昭和三十三年建立。有島生馬筆。

 

㉟ 城山の碑 松本市城山

 香川景恒が城山の由緒を記す。

天保十四年(一八四三)建立。

景恒は景樹の子。

「をさめしる恵の露を国つ民

受ぬ袖なき花のした風」の歌がある。

 

㊱ 松沢求策君碑銘 松本市深志公園

 自由民権運動家。

三十二歳で死んだ松沢求策の碑。

大正十一年建立。松田定一撰、結城琢書。

 

㊲ ものぐさ太郎像 松本市開智

 信州の民話「ものぐさ太郎」の像。

折口信夫の歌を記す。

昭和四十九年建立。

「まれまれはここに集ひていにしへの

あだらし人のごとくはらばへ」

 

㊳ 百瀬慎太郎碑 大町市大沢小屋

 登山家であり歌人でもあった

百瀬慎太郎の記念碑。

短歌と、

「山を想へば人恋し、人を想へば山恋し」

を記す。昭和二十八年建立。

 

㊴ 杉山巣雲先生碑 北安曇郡池田町 八幡神社

 巣雲は松本藩士、

池田に来て近郷の子弟に学問を伝授した。

文政十一年(一八二八)建立。

近年頼山陽自筆の碑が再建された。

 

㊵ 多田加助之碑 南岡安曇郡三郷村中宜

 加肋は貞享三年(一六八六)の一揆の首謀者

として礎刑に処せられた。

現在貞享義民社に祀られて、

義民として信仰を集めている。

 

㊶ ウエストン碑 南安曇郡安曇村上高地

 日本アルプス開発者として著名。

昭和十五年レリーフを作り岩壁にはめこむ。

毎年この碑の前でウエストン祭がおこなわれる。

 

㊷ 大菩薩峠記念碑 南安曇郡安曇村白骨温泉

 中里介山の小説『大若蔵峠』の記念牌。

「上乗菩提、下化衆生」と記す。

昭和二十九年建立。

 

㊸ 『夜明け前』原稿碑 木曾郡木曾福島町教育会館

 藤村の小説『夜明け前』の原稿の第一葉を

そのままレリーフにしたもの。

昭和三十一年建立。

 

㊹ 木曾宜公碑 木曾郡日義村営越 八幡社

 木曽義仲の事績を記す。

天保五年(一八三四)建立、

山村蘇門撰。

義仲はこの地で成長し、

この八幡社で旗上げをしたという。

 

 ㊺ 霊神碑群 木曾御嶽一帯

 御嶽講社の講祖、先達の碑で、

○○霊神、○○行者などと記す。

御嶽登山道にそって約二万基もあるという。

 

㊻ 島崎正樹記念碑 木曾郡山口村馬龍

 藤村の父島崎正樹

(『夜明け前』の青山半裁)の頌徳碑。

明治四十五年建立。角田忠行撰。

 

㊼ 芭蕉木曾塚 木曾郡山口村新茶屋

 『更級紀行』の

「送られつ送りつ果は木曽の秋」の句碑。

建碑の一部始終は『夜明け前』

にくわしい。天保十三年(一八四二)建立。

 

㊽ 是より北木曾路の碑 木曾郡山口村新茶星

 藤村書。昭和三十二年建立。

なお「是より南木曽路」の碑は楢川村桜沢にある。

近代の道しるべとして著名なもの。

 

㊾ 曾良墓碑 諏訪市岡村正服寺

 芭蕉の門人曽良の墓。

「春に我乞食やめても筑紫かな」の辞世を記す。

曽良は諏訪に生まれ、

十三歳で伊勢長島に移って、生長した。

 

㊿ 浪人塚 諏訪郡下諏訪町宇樋僑

 元治元年(一八六四)、武田耕雲斎のひきいる

水戸浪士が上京途中高島藩と戦った際の浪士達の

戦死者をとむらった碑。明治四年建立。

 

51 魁 塚(祖楽塚) 諏訪郡下諏訪町魁町

 明治元年三月三目偏官軍事件で処刑された

相楽総三と同志の慰霊碑。処刑の他に建つ。

 

52 水月公園句碑群 諏訪郡下諏訪町水月園

 水月園は明治三十五年に聞かれた公園で、

芭蕉・蕪村・曽良・子規の句碑をはじめ

数十基の碑が林立する。

 

53 富士見公園歌碑群 諏訪郡富士見町

 アララギ派の歌人島木赤彦・伊藤左千夫・

斎藤茂吉の歌碑。万葉がなで書かれている。

赤彦が信州人であったためアララギ派と

信州は関係が深い。

 

54 伊那の勘太郎記念碑 伊那市伊那部

 昭和三十四年建立,伊那の勘水郭は架空の

人物である。歌謡曲、演劇、映画等を通して

有名になった。

 

55 孝行猿の碑 上伊那郡長谷村伊那里小学校

 全国的に有名になったこの他方の伝説孝行

猿の話をレリーフにしたもの。

昭和四十一年藤沢古実の作。三首の歌を刻む。

 

56 伊沢修二碑 上伊都郡高遠町城址公園

 伊沢修二は教育者として、また『小学唱歌』

を出版するなど音楽界でも著名な人である。

三烏賊撰、岡田起作書、大正八年建。

 

57 伊沢多喜男無学の碑 上伊那郡高遠町城址公園 ‐

 伊沢多喜男は修二の弟で、枢密顧問官を務めた人。

碑を建てようとしたところ本人が反対したため

やむなく無学のまま建てた。

 

58 今井邦子歌碑 上伊那郡高遠町蓮華寺

大奥の女中で、生島との恋のため

この地に流された給烏の墓が蓮華寺にある。

昭和十五年絵島をうたった今井邦子の碑が建った。

 

59 源仲正歌碑 下伊那郡阿智村園原

 国原は摺本で有名な歌枕。

仲正の関原をよんだ歌を記す。

箒木は園原にあったという木で、

遠くからは見えるが、

近よると見えなかったという。

 

60 万葉歌碑 下伊那郡阿智村園原神坂神社

 信濃の防人主帳城将郡神入部忍男が

神坂を越える歌を記す。

明治三十四年建立。

同歌碑は城将郡坂城町会地早雄神社にもある。

 

61 折信夫歌碑 下伊那郡阿南町新野

 民俗学者折口信夫は、

「新野の雪祭り」を世に紹介した。

この碑は折口信夫が雪祭りを

うたったもの。昭和三十二年建立。





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最終更新日  2020年09月06日 23時34分19秒
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