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2020年09月09日
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カテゴリ:山口素堂資料室
子光と『素堂句集』

 子光については享保六年(1721)に『素堂句集』を編んだことは判明しているが、
子光自身の姓氏経歴ながは伝わっていない。俳諧書にも「子光」の名が散見できるが、これが『素堂句集』を編んだ子光とは判別できない。唯句集の中で「私にはまた一つの力助がある。それは素堂の食事のせ世話や身の周りの仕事である。私は幸いに素堂師について十数年になる」と記している。文章も書き慣れた風が見えず、素堂に師事して俳諧や文学などを習っていたのでなくて、雁山に素堂逝去を知らせた「僕伝九郎」と同様な書生的な存在であったのかも知れない。天明3年(1783)晩得編『哲阿弥句藻』に子光追善の句があり、寛政8年(1796)素丸編『素丸発句集』にも子光追悼の句があるが、これが句集を編んだ子光と同一人物かは計り知れない。前掲の子光の名の見える撰集からすれば、子光は天明頃までは生きていたのであろうか。ただしこの時期子光は高年齢に達していて追悼の対象人物は別人である可能性も残されている。






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最終更新日  2020年09月09日 07時26分30秒
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