カテゴリ:柳田国男の部屋
日本の昔話 山の神の靭 柳田国男
『柳田国男全集』25
一部加筆 山梨白州ふるさと文庫
昔ある所に盲の琵琶法師がありました。琵琶箱を背なかに負うて一人で旅行をしているうちに、路に踏み迷うて山の中で日が暮れてしまいました。 仕方がないから大きな樹の蔭に琵琶箱をおろして、そこに一晩野宿をしようと思って、その大木に向ってこう言いました。
もうし山の神様、私は路に迷うて夜になりましたから、 今晩だけここに泊めていただきます。 ついてはお聞き苦しくもござりましょうが、 旅の座頭の作法として、琵琶ので一曲をお聴きに入れます
と言って、琵琶を取り出して「平家物語」の一節を語りました。 そうすると高い所から声が聞えて、
さてもさても面白い。どうぞ今一曲語って聴かせてくれ
と言う人があります。不思議には思いながらも、また望みに任せて同じ「平家」の他の一節を語りました。
これは大きにありがたかった。定めて疲れたであろう
という声がしました。 しばらくすると誰だか知らぬ足音があって、お膳にいろいろの食べ物を載せたのを持って出てこの盲人に勧めました。これにも重ねて驚きましたけれども、もともと無邪気な座頭であった上に、腹もへっていたので十分に御馳走になり、樹に向って厚く礼を述べて、その晩は寝てしまいました。
翌朝になると、一人の猟人が出て来ました。
あなたを人里のある所まで、 御案内申せと言いつけられて来ました。 この靭にしっかりとつかまって、 私の後に附いておいでなさい
と言って、太い毛皮の筒のようなものを、盲の手に持たせました。琵琶法師は大喜びで身ごしらえをして、その靭の崎をいっしょう懸命に擢んで、だんだんと山を降りて来ますと、やがて谷川の水の音も高くなり、遠い所の大鶏の声などが聞えて来て、村に近くなったことが知れました。
そのうちに里の子供等が、大勢出に入って来る話し声が聞えたかと思うと、その中の一人が不意に大きな声を出して、
あれあれあそこを見ろ、 あんな座頭の坊が狼の尻尾をつかまえて、 山から降りて来るわ
とどなりました。この言葉を聴くや否や、今まで路案内をしていた猟人は、慌てて靭を引き放して、元の路へ走って還りました。後で聞くとこの猟人かと思っていたのが、実は狼であったのであります。
それから琵琶法師は草刈り男を頼んで、まずその村の村長の家へ、連れて行ってもらいました。そうして昨日からの話を詳しくいたしますと、村長は手を打って、
なるほどそれで始めてよくわかりました。 昨晩は突然と私の家の小さな子供が、 妙なことを言い出したのであります。 俺はこの山の出の神だ。 今夜は珍しい客人があるのだから、 何か御馳走をこしらえて山へ持って来て、 大木の下に休息している人にさし上げろ。 もし遅くなるとこの子供の命を取ってしまうぞ
と言ってあばれるので、家中で心配をして、 ともかくも急いでお膳をこしらえて、 山へ持たせて出したのであります。 それでは山の神様の客人というのはあなたでしたか。 よっぽど琵琶がお上手だとみえますね
と言って、たいそうこの盲法師を尊敬したということであります。
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最終更新日
2020年09月10日 17時43分40秒
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