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2020年09月12日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨 広瀬家佳宅


『川崎市立 日本民家園』ガイドブック

 

 一部加筆 山梨県 歴史文学館

 

神奈川県指定重要文化財

旧所在地:山梨県甲州市塩山上萩原

建物区分:農家

建築年代:17世紀末期

構造形式:切妻造、茅葺、

 桁行14.5m、梁行8.9m

 

 甲府盆地の民家は、切妻造の妻壁に棟特性(棟まで延びた性)をみせ、屋根中央部を一段高くして突き上げ二階とする形式がよく知られている。

移築前の広瀬家もこうした甲州民家の典型であったが、復原調査の結果、当初は突き上げ二階のない単純な切妻造だったことがわかった。

復原された建物は、正面の軒が低く、大戸と座敷正面以外に出入口のない閉鎖的な姿である。

大戸口を入ると広い空開かあらわれる。土の露出している部分はドジと呼ぶ土間と、その右隅の馬屋である。

一方、ムシロ(筵)敷の部分はイドコと呼び、囲炉裏を二箇所備えた居間であった。

ムシロの下は、地面をつき固めて茅束を敷き詰めている。 

このような床を「土座」と呼ぶ。

イドコの上手はザシキ(座敷)、ナカナンド(中納戸)、オクナンド(奥納戸)が並ぶ。

ザシキは正式な客間、ナカナンドは仏間兼寝室、

最も閉鎖的なオクナンドは寝室兼納戸であった。

 

構造は、内部の四本の太い柱を中心に組み立てる点が注目される。 

これは「四つ建」と呼ばれ、甲州民家の古式な構造法である。

 

以上のことから、広瀬家は17世紀末まで遡る民家と考えられている。

そしてこの住宅の存在により、

甲州盆地の民家が18世紀後半から屋根裏を養蚕に利用し始め、

19世紀前半頃に突き上げ二階へと発達する過程がわかる。

 

養蚕が民家に影響を与える例は多い。

広瀬家はそうしたなかで、

甲州民家の発生と発達の経緯を知ることができる貴重な民家である。









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最終更新日  2020年09月12日 18時27分02秒
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