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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年09月12日
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カテゴリ:観光案内



 


 『文学の旅 ⑫付録』

 

 一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 奈良というところは不思議なところです。

一時間で見ようと思えばそれでも済むし、

半日で済まそうと思えばそれなりの巡り方があり、

二日かけよう三日かけようと思えばそのような方法もあり、

一週間、十日と滞在したとしても決して退屈するところではありません。

 

二十年、三十年と奈良に住んで、飽きもせず研究に没頭している学者もいるのですから、

その歴史の深さもわかろうというものです。

 奈良の駅で降りて、大仏さんを見て若草山へ登って、鹿の頭を二、三回撫でて、

奈良漬を買って「奈良へ行って来たわァ。ハイおみやげ!!」というのが一時間コース。

確かに奈良に行ってきたには違いありませんが、これでは何ともさびしい限りです。

 他の風光だけの観光地と違って、通りいっぺんに見て、

あ!こんなところと見きわめることのできないところに奈良の良さはあるのです。

オーバーに言えば一木一草にも、

いにしえの奈良の都の因果関係が残っているかも知れないし、

道端にころがっている石ころも、

あるいは蘇我入鹿が蹴鞠しているときに踏んづけて転んだ石かも知れない。

何となく、そんな途方もない想像をかき立てる雰囲気を持っているのです。

従って、こんな雰囲気を充分に味わうことなしには、奈良に行っても意味はありません。

 

奈良(大和)は紀伊半島のほぼ中心部になりますので、海がありません。

それで交通網は四方八方に開けています。

といっても南部は秘境といわれるような深い山なので、

国鉄や近鉄は北部を走っているだけであとはバスに頼っています。

 

従って、観光の中心はどうしても奈良市ということになります。

この旅情ガイドは奈良市から始めて、大和の国を十八の地区に分けました。

若干無理なコースになっているところもありますが、

吉野・奥吉野・十津川郷の他は、大体一地区半日か一日のコースです。

論前にも述べたように、じっくり味わおうと思えば何日かかってもいいのです。

それに、これは何処の場合にも言えることですが、

一泊しなければ、ほんとうのその土地の気分は味わえないものです。

ですから、日程や費用を考え合わせて、十八のコースの中で、

二つ組合わせたり、三つ組合わせたりするといいのです。

 

それに、折角奈良へいくのですから、宿泊も近代設備を誇るホテルや旅館をはずして、

宿坊にしてみるのも意義があると思います。泊めてくれるお寺は

 

新薬師寺(奈良市)    九五〇円

   慈光院(郡山市)   一、二〇〇円

   橘寺(明日香)      八○○円

 

この他に信青山で王蔵院・成福院・千手院があり、八〇〇円~一、五〇〇円。

吉野に竹林院・桜本坊・東南院があって、一、〇〇〇円~二、〇〇〇円程度です。

 

さて、奈良を訪ねる季節ですが、それはもう春か秋が良いに決っています

しかし、このシーズンに行くと、駅や観光バスで長蛇の列をつくり、

折角入ったのに観先客の背中越しで仏像の頭半分しか見えなく、

いろいろな障害にぶつかります。

それかといってシーズンオフに行くと、寒かったり暑かったり、

その上バスの台数も減って時間的に大変なロスになります。

 そこで、いちばん上手な行き方となるとシーズンをちょっとはずして行くこと。

つまり、寒さの残っている初春だとか、紅葉の色濃い晩秋などです。

 鹿の色艶が最もいいのは梅雨のころだし、

古都が落ちついた静けさの中に深い味わいを見せるのは十一月の下旬で、

奥山がすっかり紅葉するころから冬にかけてです。

このころだと、修学旅行や団体旅行も少なくなって、写真一枚撮るにしても、

じっくり腰をすえることができるし、

歴史を想い、古美術を鑑賞するにも、古き仏たちとの対話を楽しむにしても、

しみじみとした気持で、それこそほんとうの奈良がそこに感じられるでしょう。

 

奈良 女性に人気のある御仏たち

 

中宮寺 菩薩半跏像(はんかぞう)

 中宮寺は尼寺です。女性の寺らしくふき清められたたたずまいの中に

「永遠の微笑」を浮かべて菩薩半跏像(如意輪観音)が祀られています。

右脚を左脚の膝の上にのせ、左足をまっすぐ踏み下げて上半身をやや前にかがめ、

右手の指はかすかにその頬に当て、伏目勝ちの眼には微笑をたたえながら

思惟をこらす清らかなみ姿です。

じっと見つめていると、大らかな 「愛」を感じずにはいられぬ

飛鳥時代後期の傑作です。

国宝。木造.で高さ八七センチ。

 

浄瑠璃寺 吉祥天

 

薬師寺の吉祥天像とともに有名ですが、ここの吉祥天は肉身を胡粉で白く塗り、

衣服・瓔珞(ようらく)などを美しく色どっています。

五穀豊穣を祈って、建暦二年(1212)に造ったものとされており、

わが国の彫刻中比類のない絶品とされています。

 高さが台座とも一メートルしかない小さい像ながら、その精妙な技巧と華麗な彩色は、

豊かな容姿と相まって、見るものを思わず夢幻の世界へ誘い入れずにはおきません。

また、この像を収めていた厨子も精妙・美麗な名品とうたわれていますが、

いまは芸術大学が保管しています。重文。

 

法華寺 十一面観音

 

新年の郵便切手の図柄に選ばれたこともある可愛い小犬のお守りが有名な法華寺は、

光明皇后が国分尼寺として創建された寺です。

 そのせいか、十一面観音は、天竺ガンダラ国の文答師(もんどうし)が

光明皇后をモデルにして作ったという伝説があります。

 右手に蓮華を持ち、左失で軽く衣をおさえ、右脚をやや曲げて、親指を少し上部にそらし、

動から静への一瞬の姿をうつした尊像で、

光背も蓮華と蓮葉からなる珍らしい趣向をこらしています。

 一文字に結ばれた唇は紅色で、ほんとに印象的です。

貞観時代の傑作彫刻といえましょう。国宝。

 

秋篠 伎芸天女

 

これほど美しい容姿と慈愛に充ちた仏さまが他にあるだろうか、

この寺を訪ねる人々は、わが国随一といわれる伎芸天像にほれぼれと心をひかれ、

溜息さえもらすのです。

ご本尊の薬師如来は黙って控え、隅っこの伎芸天が専ら秋篠寺を文えているような、

仏さまの世界でも人間同様にスターが存在するのでしょうか。

 頭部のみが天平、肩から下は鎌倉時代のものですが、

少しの異和感もなくぴったりしています。

 それどころか、腰を少しひねって立つ姿は万葉乙女すら感じさせます。

 いずれにしてもその肢体は仏というより生身の人間に近く、

天平末期のいく分類廃的な.ところが、この魅力を生んだのでしょうか。

 

法隆寺夢違観音

 

悪夢を変じて善事にするというところから

夢違(ゆめたがえ)観音の名があるといわれるこの菩薩は、

そのほほえましい伝承にふさわしく、童顔に微笑をたたえています。

また、胸から腰にかけての立体的な表現は、

神秘感のある飛鳥時代とはっきり区別されます。

白鳳時代には、こうしだ微笑に頬をふくらませた無邪気な幼童の

純真な姿の中に仏の姿を見出したのでしょう。

白鳳時代の代表作といわれています。銅製。八九・七cm

 

興福寺 阿修羅像

 

この阿修羅像は余りにも有名です。もともと天龍八部衆の中の一躾なのですが、

他の七躰が一般に知られていないのに比べ、阿修羅だけが高名なのは、

他の像がいずれも鎧甲をつけて直立している武人の像であるのに対して、

この像上半身が半裸で、三面六臂という異形であるせいかも知れません。

それに、三つの顔の表情が見事です。

胸前でしずかに合掌する正面の顔は、

あどけなさの残る少女の面影があり、三面三権です。

 全体に細身で、しなやかな肢体をもち、

その異様の美は実に天平時代のシュールレアリズムです。

 

東大寺 月光菩薩

 

日光菩薩とともに本尊不空索羂(ふくうけんじやく)観音の左右に、

合掌して立二・二五メートルの大きな立像です。

向って右に日光菩薩、左に月光菩薩。

本尊が三・九四メートルの乾漆の巨像であるのに、

この両菩薩は塑像であるところから本来は脇侍でなかったという説もあります。

また一般には日光・月光と呼ばれていますが、

その形式は菩薩形でなく、実際は梵天・帝釈天とみるのが正しいようです。

豊麗な顔、やさしい合掌の姿は、

すべてを忘れ一途に世の人びとの幸福を静かに祈るかの様。

天平彫刻の傑作。国宝。イド 奈良

 『文学の旅 ⑫付録』

 

 一部加筆 山梨県歴史文学館

 

 奈良というところは不思議なところです。

一時間で見ようと思えばそれでも済むし、

半日で済まそうと思えばそれなりの巡り方があり、

二日かけよう三日かけようと思えばそのような方法もあり、

一週間、十日と滞在したとしても決して退屈するところではありません。

 

二十年、三十年と奈良に住んで、飽きもせず研究に没頭している学者もいるのですから、

その歴史の深さもわかろうというものです。

 奈良の駅で降りて、大仏さんを見て若草山へ登って、鹿の頭を二、三回撫でて、

奈良漬を買って「奈良へ行って来たわァ。ハイおみやげ!!」というのが一時間コース。

確かに奈良に行ってきたには違いありませんが、これでは何ともさびしい限りです。

 他の風光だけの観光地と違って、通りいっぺんに見て、

あ!こんなところと見きわめることのできないところに奈良の良さはあるのです。

オーバーに言えば一木一草にも、

いにしえの奈良の都の因果関係が残っているかも知れないし、

道端にころがっている石ころも、

あるいは蘇我入鹿が蹴鞠しているときに踏んづけて転んだ石かも知れない。

何となく、そんな途方もない想像をかき立てる雰囲気を持っているのです。

従って、こんな雰囲気を充分に味わうことなしには、奈良に行っても意味はありません。

 

奈良(大和)は紀伊半島のほぼ中心部になりますので、海がありません。

それで交通網は四方八方に開けています。

といっても南部は秘境といわれるような深い山なので、

国鉄や近鉄は北部を走っているだけであとはバスに頼っています。

 

従って、観光の中心はどうしても奈良市ということになります。

この旅情ガイドは奈良市から始めて、大和の国を十八の地区に分けました。

若干無理なコースになっているところもありますが、

吉野・奥吉野・十津川郷の他は、大体一地区半日か一日のコースです。

論前にも述べたように、じっくり味わおうと思えば何日かかってもいいのです。

それに、これは何処の場合にも言えることですが、

一泊しなければ、ほんとうのその土地の気分は味わえないものです。

ですから、日程や費用を考え合わせて、十八のコースの中で、

二つ組合わせたり、三つ組合わせたりするといいのです。

 

それに、折角奈良へいくのですから、宿泊も近代設備を誇るホテルや旅館をはずして、

宿坊にしてみるのも意義があると思います。泊めてくれるお寺は

 

新薬師寺(奈良市)    九五〇円

   慈光院(郡山市)   一、二〇〇円

   橘寺(明日香)      八○○円

 

この他に信青山で王蔵院・成福院・千手院があり、八〇〇円~一、五〇〇円。

吉野に竹林院・桜本坊・東南院があって、一、〇〇〇円~二、〇〇〇円程度です。

 

さて、奈良を訪ねる季節ですが、それはもう春か秋が良いに決っています

しかし、このシーズンに行くと、駅や観光バスで長蛇の列をつくり、

折角入ったのに観先客の背中越しで仏像の頭半分しか見えなく、

いろいろな障害にぶつかります。

それかといってシーズンオフに行くと、寒かったり暑かったり、

その上バスの台数も減って時間的に大変なロスになります。

 そこで、いちばん上手な行き方となるとシーズンをちょっとはずして行くこと。

つまり、寒さの残っている初春だとか、紅葉の色濃い晩秋などです。

 鹿の色艶が最もいいのは梅雨のころだし、

古都が落ちついた静けさの中に深い味わいを見せるのは十一月の下旬で、

奥山がすっかり紅葉するころから冬にかけてです。

このころだと、修学旅行や団体旅行も少なくなって、写真一枚撮るにしても、

じっくり腰をすえることができるし、

歴史を想い、古美術を鑑賞するにも、古き仏たちとの対話を楽しむにしても、

しみじみとした気持で、それこそほんとうの奈良がそこに感じられるでしょう。

 

奈良 女性に人気のある御仏たち

 

中宮寺 菩薩半跏像(はんかぞう)

 中宮寺は尼寺です。女性の寺らしくふき清められたたたずまいの中に

「永遠の微笑」を浮かべて菩薩半跏像(如意輪観音)が祀られています。

右脚を左脚の膝の上にのせ、左足をまっすぐ踏み下げて上半身をやや前にかがめ、

右手の指はかすかにその頬に当て、伏目勝ちの眼には微笑をたたえながら

思惟をこらす清らかなみ姿です。

じっと見つめていると、大らかな 「愛」を感じずにはいられぬ

飛鳥時代後期の傑作です。

国宝。木造.で高さ八七センチ。

 

浄瑠璃寺 吉祥天

 

薬師寺の吉祥天像とともに有名ですが、ここの吉祥天は肉身を胡粉で白く塗り、

衣服・瓔珞(ようらく)などを美しく色どっています。

五穀豊穣を祈って、建暦二年(1212)に造ったものとされており、

わが国の彫刻中比類のない絶品とされています。

 高さが台座とも一メートルしかない小さい像ながら、その精妙な技巧と華麗な彩色は、

豊かな容姿と相まって、見るものを思わず夢幻の世界へ誘い入れずにはおきません。

また、この像を収めていた厨子も精妙・美麗な名品とうたわれていますが、

いまは芸術大学が保管しています。重文。

 

法華寺 十一面観音

 

新年の郵便切手の図柄に選ばれたこともある可愛い小犬のお守りが有名な法華寺は、

光明皇后が国分尼寺として創建された寺です。

 そのせいか、十一面観音は、天竺ガンダラ国の文答師(もんどうし)が

光明皇后をモデルにして作ったという伝説があります。

 右手に蓮華を持ち、左失で軽く衣をおさえ、右脚をやや曲げて、親指を少し上部にそらし、

動から静への一瞬の姿をうつした尊像で、

光背も蓮華と蓮葉からなる珍らしい趣向をこらしています。

 一文字に結ばれた唇は紅色で、ほんとに印象的です。

貞観時代の傑作彫刻といえましょう。国宝。

 

秋篠 伎芸天女

 

これほど美しい容姿と慈愛に充ちた仏さまが他にあるだろうか、

この寺を訪ねる人々は、わが国随一といわれる伎芸天像にほれぼれと心をひかれ、

溜息さえもらすのです。

ご本尊の薬師如来は黙って控え、隅っこの伎芸天が専ら秋篠寺を文えているような、

仏さまの世界でも人間同様にスターが存在するのでしょうか。

 頭部のみが天平、肩から下は鎌倉時代のものですが、

少しの異和感もなくぴったりしています。

 それどころか、腰を少しひねって立つ姿は万葉乙女すら感じさせます。

 いずれにしてもその肢体は仏というより生身の人間に近く、

天平末期のいく分類廃的な.ところが、この魅力を生んだのでしょうか。

 

法隆寺夢違観音

 

悪夢を変じて善事にするというところから

夢違(ゆめたがえ)観音の名があるといわれるこの菩薩は、

そのほほえましい伝承にふさわしく、童顔に微笑をたたえています。

また、胸から腰にかけての立体的な表現は、

神秘感のある飛鳥時代とはっきり区別されます。

白鳳時代には、こうしだ微笑に頬をふくらませた無邪気な幼童の

純真な姿の中に仏の姿を見出したのでしょう。

白鳳時代の代表作といわれています。銅製。八九・七cm

 

興福寺 阿修羅像

 

この阿修羅像は余りにも有名です。もともと天龍八部衆の中の一躾なのですが、

他の七躰が一般に知られていないのに比べ、阿修羅だけが高名なのは、

他の像がいずれも鎧甲をつけて直立している武人の像であるのに対して、

この像上半身が半裸で、三面六臂という異形であるせいかも知れません。

それに、三つの顔の表情が見事です。

胸前でしずかに合掌する正面の顔は、

あどけなさの残る少女の面影があり、三面三権です。

 全体に細身で、しなやかな肢体をもち、

その異様の美は実に天平時代のシュールレアリズムです。

 

東大寺 月光菩薩

 

日光菩薩とともに本尊不空索羂(ふくうけんじやく)観音の左右に、

合掌して立二・二五メートルの大きな立像です。

向って右に日光菩薩、左に月光菩薩。

本尊が三・九四メートルの乾漆の巨像であるのに、

この両菩薩は塑像であるところから本来は脇侍でなかったという説もあります。

また一般には日光・月光と呼ばれていますが、

その形式は菩薩形でなく、実際は梵天・帝釈天とみるのが正しいようです。

豊麗な顔、やさしい合掌の姿は、

すべてを忘れ一途に世の人びとの幸福を静かに祈るかの様。

天平彫刻の傑作。国宝。






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最終更新日  2021年04月10日 17時42分38秒
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