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2020年09月13日
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カテゴリ:俳人ノート

新鋭作家論 飯田蛇笏私論 二、「雪峡」私見

 

****その美意識の意味するもの****

 

著者 鈴本詮子氏

一部加筆 山梨歴史文学館

 

飯田蛇笏が現に句作を続けている作家であるという認識は、

私の場合は先ず句集「雪峡」によって与えられた。

処女句集「山廬集」から数えて第七番目の家集に当ることも、その「あとがき」によって知った。

 

句をえらみてはちかむ死か銀懐炉  蛇笏

 

私はこの作品を見て蛇笏老たりの感を更に深くした。

この句の発想は凡俗老人の繰り言と同断であり、語りかける語り口に既に小うるさい響きがある。

「雲母」同人の中には早速この句などをかつぎ廻る輩があり、

その呼吸は既に老蛇笏に於いて当て込んである手のものとすら邪推された。

私が何よりも嫌であつたのは、「銀」の一語にまつわる美意識である。

一切放下の死を扱うには余りに安直であり、心意の誇張がためにきわやかに印象された。

 

「一生を賭けし俳諧春の燭」、

「うたよみて老いざる悲願霜の天」、

「老いがたくこころにしみるはつみそら」

 

など、いずれもその意識されたボーズと自慰に堪えられず、私は顔をそむけざるを得なかった。

 今にして思えば、俳句は自然との対話であって、決して人間との対話ではないと私は考えていた。

もとより自然との対話とは言うものの、自から人事万般と相通じ、

生の営みと裏腹の感慨を記することには変りないが、

そこにきっぱりと劃しうる一線あってこそ、

詩としての俳句の抒情の可能性が認めうると考えられた。

自然に対する感性に支点をおくことは、

その詩的想像のひろがりを限定しながら深めることにあると思い込んでいた。

私のこの独断が許されるなら、

ここに引いた一連の色笏作品はいずれも手放しのモノローグで、

人間蛇笏への親しみを疎外した客観的評価には、

到底耐えうるものではありえないと思ったのである。

 遠慮会釈なく蕪辞を連ねるのは、何も他との比較に於いて言うわけではない。

はっきり言えば、秋桜子、波郷、不死男などと同日に論じようとするものではないのである。

作家蛇笏に対し、腹を据えて私一個の信念を述べんとするだけである。

他との比較であれば論旨は自ら別のものとなろう。しかし今はその余裕はない。

  

前書略

戦死報秋の目くれてきたりけり  蛇笏

 

私は前句を評するに人間的親しみを疎外してと言った。

昭和二十二年六十三才の蛇笏は長男の訃に接してかく詠んだ。

二男既に亡くなり、ついで三男も戦病死する。

私としても、当時あった蛇笏の心中を推して、悲境の切なるに共感をおしむ者ではない。

しかしである。今暫らく前一連の句にこだわれば、

感動の文学的再生産として果してそれで筋道が通るであろうか。

詩的感動の儚い定着に憂身をやつす詩人の一人として、

黙過することが出来るというのであろうか。私は然らずと信じたに過ぎぬ。

 

   雪山のそびえくらみて夜の天  蛇笏

   雪山の冠りみだるる風の星   蛇笏

 

私はこれらの句に於いて最も深く老蛇笏の詩境に参ずの思いをする。

前述冒涜に類する言辞にいささか忸促たるものがある。

先に言った自然との完璧な対話がここにある。

人或は

「荘重蒼古」(加藤楸祖邨)

と言い、

「重厚敦朴」(山本健吉)

と言う、

蛇笏の「句風の剛直な力強さ」(石原八束)を、私はこれらの句に認めて脱帽する。

 

 「霊的に表現されんとする俳句」とはその昔蛇笏の唱道したところである。

霊なるものの実感にうとい私には、兎角大袈裟に響く言葉である。

虚仮威しの心霊学ではないから、私に於いては心情もしくは詩情の

ややおごそかなものと位に解するほかはない。

妙なところに力を入れる蛇笏はなかなかのスタイリストである。

残念なことにそのスタイルは古色蒼然としていて私どもに入って行けない。

 そうは言うものの、これら「雪山」の句になにがし「霊的」なもの、

乃至霊感的なものを私といえ言も感得すことは出来る。

間近にそば立つ雪の山、夜の天の一角に位するその暗らく確かな大いなる容姿は、

何ものか存在の基盤を頑なに固執する暗黙の力感を表徴する。

この「そびえくらみて」の歌語に、曰く言い難く緊密、強靭に掌握されている個性的心情は、

人生表層の喜怒哀楽が絵そらごとの如く霧散する視界で、

それらのよってもって淵源する深処に於いて把えられた観がある。

前句の静に対する動の微差を以って「冠りみだるる」も同断である。

これらはまごうかたなき東洋の詩である。

私の独断に於いて更に加うるものありとせば、

個の明哲な自覚に支えられた透明な詩韻は、これまたまごうかたなき近代のそれである。

 

「飯田蛇笏」 石原八束 俳句講座現代作家論)が指摘するごとく、

「雪峡」は蛇笏の何某の最高峰の一つに位することを、私も同様に認めたいと思う。

臆測を逞しくすることが許されるならば、相つぐ子の死と戦後の混乱を、

迫り来る老いの身に体験した人間の、脳裡の深層に沈下した不知不識の情感の堆積こそ、

「霊獣」一巻の骨骸を形作るもののごとくにも思われる。

一口にして言えば「かなしみ」である。

この弱々しい言葉の顔きぱ上来強調するしかくの大事を要約するに、

ふさわしくないと感ずる向もあろうか。

しかし今の私にはこの言葉に代えて、要約にふさわしい他の言葉を知らないのである。

 

 以下なお「雪峡」のいくつかの面をそれぞれに代表する秀句を選ぶ。

 

こたえなき雪山宙に労働歌    蛇笏

降る雪や玉のごとくにランプ拭く 蛇笏

山柿のひと葉もとめず雲の中   蛇笏

 

 重ねて言えば、戦後という特異な状況のもとに、

蛇笏六十代の前半の作品を以ってなした「雪峡」は決して作家蛇笏の飛躍を展開した句集ではない。

「持続的な精進によって、巨樹がゆったり生長するように独自の風格を打樹て」(山本健吉)

たというその巨樹の、陰影の濃い樹梢に見る深みと充実感が、私を把えて放たぬ魅力のすべてである。

 

甲斐山中という風土的与件のもとに、四分の三世紀という歴史的時間にはぐくまれた

蛇笏の詩境の深みこそ、この詞芸に愛着を示す人々の味読に耐える当のものであり、

眼光烱々(けいけい)とか、人温などという枝葉末節の事柄は、

たかだかさもありなんと追想する手がかりとなるだけのものに過ぎぬ。

 

さて、私は偶然の機会に立った足場から、

恰も近眼の人がすぐ傍のものを舐めるように見るその様子さながらに、

飯田蛇笏を「雪峡」一巻を通して眺めて見た。

今は二歩、三歩後退して、出来るならばその全貌を視野に収めたいとは思う。

幸いにして「飯田蛇笏研究」(石原八束 「俳句」33・6~7、「雲母」34・1)

なる三百枚に近い文章がある。

ここには文学青年蛇笏が確実な記録、特に明治・大正の交の俳壇史的資料んび裏打ちされて、精密・傾倒かつ誠実に論究されている。

未完のこの論文も当然のこととして、未だ筆を及ぼさぬ部分を残すため、

蛇笏の全貌を浮彫するには至っていない。

今はこの論文によって与えられたものを所与として、

同じような近接的点描を「雪峡」以前に及ぼそうとするばかりである。






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最終更新日  2020年09月13日 21時26分21秒
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