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徳川幕府 正月 御松飾の由来 武田信玄の事 『史料 徳川幕府の制度』 小野清氏著 高柳金清氏校注 人物往来社 昭和43年刊 一部加筆 山梨歴史文学館
ここに年始御礼御儀式を記載するに当りて、先ず御松飾の由来及び絵図を掲げて以て、 東照神祖の運を開かれたる浜松城に於ける元日の佳例を徴す。
吉例御松飾の由来 一、御松飾 竹は葉なし、竿に等し、上端を切先の如く鋭く切りてその切口を表に顕わし、 根本に松を添え、図の如く建てさせられ候事。
この古例は、
元亀・天正の頃、(元亀三年(1572)十二月の三方ケ原の戦)
神君浜松御在城の砌り、 甲斐信玄と御合戦遊ばされ腕節、敵方歳旦の発句、 「松かれて竹たぐひなきあした哉」 と、認め送り越し候者を、 上意により、御側の衆読みて 御披露に及び候処、 御前に酒井左衛門尉忠次詰め合い罷り在り、 左様にては読み間違いなりとて、 「松かれで武田首なきあした哉」 と、高声に誦し奉り、御運を得給いしより、御吉例と相成り侯由に申し伝え候事。 右の節、御敗軍にて、夏目金左衛門御身代りに罷り立ち、浜松へ御発向なりける。 時に君既に御入城これ有り、御城内に篝を焼くべき旨命ぜられ候処へ、 甲州方馬場美濃守信房、山県三郎兵衛尉、御後を慕い、責め寄せ、浜松まで追い奉り候処、 御城内閑かにて、篝を焼き、御城門を開き、橋等も引かれず候故に、 家康は海道第一の大将なれば、これらの趣にては、定めし謀計これ有るべく、 猥りに攻め入り難しとて、揚具にて引取り候。依って御難を逃れ給う。
明くれば元旦に、敵方歳旦の句とて、 「松枯れて竹類ひなき旦哉」 と贈り越され候處、御前に酒井左衛門尉あらせられ候て、神君御不興の御様子を察し、 右発句を、 「松かれで武田首なき旦哉」 と誦み奉りしに、頗る御機嫌にましまし、既に開運を得給うを以て御古例となれり。 今御松飾り、上端を切り去りたるは、武田の首を刎し俤なりと申し伝う。 (要筐弁志・巻第三) (注) ①元亀三年(一五七二)十二月の三方ケ原の戦の時なり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年09月14日 18時34分14秒
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