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聖徳太子(万葉集)
『文芸春秋』デラックス 「万葉から幕末まで 日本名家の旅」 一部加筆 山梨歴史文学館
家にあらば妹が手まかむ草まくら 旅に臥せるこの旅人あはれ
聖徳太子の伝承は、彼の死後いち早く生じ、奈良時代には 『上宮聖徳法王帝説』(じようぐうしようとくほうおうていせつ) なる一巻を生むほどであるが、それらはおおむね聖者としてその像を語っている。 『日本書紀』の記述も同様で、書紀には、これと類似の長歌をのせているが、それによると、行路に飢えた人間を見つけ、御衣を賜うて、一首を歌ったという。 翌日、その男は死ぬ。屍を埋葬したところ、数日後に、その屍はかき消えていた。 これは高僧伝の一つの類型である。 ところが、万葉の歌は「妹が手まかむ」家をはなれて、行路に倒れていることを憐れだといっている。書紀のほうは、男は飢者だから、その歌にしても、飢えて臥すことを憐れといい、また、親や主君をはなれて臥すことを悲しむ一首である。 この生活性や、太子伝らしい体制的な視点とかが、万葉の「妹が手」のない、愛の欠落にかわったところに、万葉歌としての特色を見ることができる。 『万葉集』には、柿本人麿の似たような歌、
草まくら旅のやどりに誰が夫か 国忘れたる家持たまくに
も載せている。これも行路死者をいたむ歌である。
また、万葉の有間皇子がみずから悲しんだ歌というのも
家にあれば笥に盛る飯を草まくら 旅にしあれば椎の葉に盛る
と歌い、形がひとしい。内容も形式もこのように一般的であるのは、流布しやすい、口にしやすい形でこれらの歌が作られていることを示すが、しかし、そのことは、「和をもって貴しとなす」といった太子の人間像にとって、虚妄のことではない。聖者としての太子より、むしろこのほうが真実なのではないか。
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最終更新日
2020年09月17日 14時40分52秒
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