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天武天皇(万葉集) よき人のよしとよく見てよしと言ひし 芳野よく見よよき人よ君
『文芸春秋』デラックス 「万葉から幕末まで 日本名家の旅」 一部加筆 山梨歴史文学館
この歌は変っているので誰にも記億されているが、結句がいまだに定訓を得ていない。 「良人四来三」とあるのを、古くは藤原敦隆の『類聚古集』など、 「ヨキヒトヨキミ」 と訓んでいた。もちろん 「よき人よ君」 の意味であったのを、荷田東満が『僻案抄』に、 「よきみと云句意釈やすからず」 と言って、 「よしとよくみつ」 と改めた。つまり 「よき人よき見」 では文の体をな方ぬと考えたらしいのだ。 それから以後、今日のほとんどすべての学者たちも、 「よき人よく見」 あるいは 「よき人よく見つ」と訓んであやしまない。 敦隆の古訓を採っているのは、私の知るかぎり、折口信夫・土屋文明の二人だけてある。 「よく見」 や 「よく見つ」 では、古歌として調べが安定せず、不自然であることに、誰も気づかない。 「よき人よ君」 は、 「山人や誰」 「山づとぞこれ」 などの言い方と同じで、なだらかに耳にはいる。もう一度敦隆の古訓に還るのでなければ、この歌は生 きない。
天武天皇は𠮷野と関係が深い。それで、𠮷野の地名起原説話と結びついたこの歌が、天皇の歌として伝えられるようになったのだろう。「よし」という讃美詞をいくつも連ねた戯れ歌だが、国讃めの意味もあ ったのだろう。よき人は昔の神であり、今の天皇あるいは貴人であり、𠮷野にふさわしい山人・仙人のニュアンスも幾分ただよっている。 昔あったよき人が、この国をよい国だと、心豊かに眺めて、「よし」と言ったのでその名がついた𠮷野を、あなたも心豊かに御覧なさい、同じくよき人であるあなたよ。 伝えのように、作者を天皇だとすれば、「よき人」である呼びかけられた君は、皇后であろうか。あるいは本当は、作者が天皇なのでなく、「よき人」と讃えられた人こそ天皇ではなかろうか。(山本) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年09月17日 14時44分40秒
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