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2020年09月17日
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天武天皇(万葉集)

よき人のよしとよく見てよしと言ひし

芳野よく見よよき人よ君

 

 『文芸春秋』デラックス

「万葉から幕末まで 日本名家の旅」

一部加筆 山梨歴史文学館

 

             

 この歌は変っているので誰にも記億されているが、結句がいまだに定訓を得ていない。

「良人四来三」とあるのを、古くは藤原敦隆の『類聚古集』など、

「ヨキヒトヨキミ」

と訓んでいた。もちろん

「よき人よ君」

の意味であったのを、()(だの)東満(あずままろ)が『僻案(へきあん)抄』に、

「よきみと云句意釈やすからず」

と言って、

「よしとよくみつ」

と改めた。つまり

「よき人よき見」

では文の体をな方ぬと考えたらしいのだ。

それから以後、今日のほとんどすべての学者たちも、

「よき人よく見」

あるいは

「よき人よく見つ」と訓んであやしまない。

敦隆の古訓を採っているのは、私の知るかぎり、折口信夫・土屋文明の二人だけてある。

「よく見」

「よく見つ」

では、古歌として調べが安定せず、不自然であることに、誰も気づかない。

「よき人よ君」

は、

「山人や誰」

「山づとぞこれ」

などの言い方と同じで、なだらかに耳にはいる。もう一度敦隆の古訓に還るのでなければ、この歌は生

きない。

 

天武天皇は𠮷野と関係が深い。それで、𠮷野の地名起原説話と結びついたこの歌が、天皇の歌として伝えられるようになったのだろう。「よし」という讃美詞をいくつも連ねた戯れ歌だが、国()めの意味もあ

ったのだろう。よき人は昔の神であり、今の天皇あるいは貴人であり、𠮷野にふさわしい山人・仙人のニュアンスも幾分ただよっている。

 昔あったよき人が、この国をよい国だと、心豊かに眺めて、「よし」と言ったのでその名がついた𠮷野を、あなたも心豊かに御覧なさい、同じくよき人であるあなたよ。

 伝えのように、作者を天皇だとすれば、「よき人」である呼びかけられた君は、皇后であろうか。あるいは本当は、作者が天皇なのでなく、「よき人」と讃えられた人こそ天皇ではなかろうか。(山本)






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最終更新日  2020年09月17日 14時44分40秒
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