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日本初の左派政党を誕生させたクリスチャン総理 片山哲
『歴代内閣総理大臣のお仕事』 2017・11.20発行 編集者『内閣総理大臣研究会』 一部加筆 山梨歴史文学館
任期 ■ 1947・5・24~1948・3・10 生年 ■1887年7月28日 没年 ■1978年5月30日(90歳) 出身地■和歌山県
新憲法公布後初めてとなる総選挙で、第一党に踊り出た日本社会党(社会党)。この勝利の背後には、配給が滞るほど悪化した食糧事情や敗戦直後からのハイパーインフレなど、深刻な社会不安があった。そのため「国民生活の安定向上」や「国民は一切平等」の理念を掲げる社会党に、多くの民衆が票を投じたのである。 その社会党の委員長が片山折で、政権発足当初の支持率は68%を記録。また、日本の保守化を望まないGHQも、社会党政権の誕生を歓迎する。 片山は敬虔なクリスチャンでもあったことから、マッカーサーも「片山内閣の誕生は日本人の宗数的な寛容と自由を物語っている」とバックアップ。もっとも、単独過半数の議席を確保できなかった為、日本民主党(民主党)、国民協同党と連携し、三党連立の体制を築くこととなる。 国民からの高い支持を追い風に、片山政権は教育基本法や完全福祉法の制定、内務省の解体、失業保険の創設など、重要な政策を次々と実現。さらに政策の貝玉として、炭鉱を国有化する方針を打ち出す。これには当時エネルギー産業の中核を担った石炭を国が管理することで、国内座業の復興を促進する狙いがあった。 だが、審議の過程で田中角栄法務政務次官らが、国有化に反対する炭鉱業者から賄賂を受け取っていたことが発覚。そのうえ、民生党からも社会主義的な政策に反発する声が高まり、一部の議員が離党。それ以降、労働組合の賃上げ要求でも対応を巡って意見二分するなど、分裂は深まる。国民が期待した経済復興についても、経済危機突破緊急対策をスローガンに経済の自立安定を目指したものの功を奏したとは言い難い。 インフレの原因が闇市場の拡大にあると見た片山内閣は、最大限の物資を正規の配給ルートに乗せることで流通秩序の回復にあたりながらも効果は限定的で、物価の高騰を抑えるには至らない。しかも 「それぞれの分に応じて犠牲を甘受していただきたい」 など、国民に耐窮生活を求める始末であった。 政権内の対立とインフレ対策の失敗の影響は大きく、高かった支持率も内聞誕生から20%台に下落。GHQからも国民からも期待された片山政権であったが、在職292日で終焉を迎えることになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年09月24日 20時04分17秒
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