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『金峯山(きんぶさん)の思い出』須玉町ゆかりの作家尾崎喜八
『須玉町史』 第5章 第6節 ゆかりの作家 一部加筆 山梨歴史文学館
❖ 明治二五年(一八九二)一月三一日生まれる。 ❖ 昭和四九年(一九七四)二月四日没。 ❖ 詩人、随筆家。 「金峯山の思い出」は『旅と滞在』、朋文堂、 昭和八年(一九三三)六月発行に収録され、 「花崗岩の国のイマージュ」は『山の絵本 紀行と随想』、 朋文堂、昭和一〇年(一九三五)七月五日発行に収録されている。
金泉湯(きんせんとう)の若いおかみさんは どこか艶だがりんとしていたな。 金山ではぴかぴか稲光りの飛ぶなかで 雨傘さして鉄砲風呂へはいったな。 きれいな翌朝 外廓を栗毛の牝馬がのぞきに来たな。 瑞牆てっぺんの岩登りに山案内の千代一が 四十を越したでおら止めだとかぶりを振ったな。 それにしても朝日のさしこむ本谷川の あの噎(む)せかえるような新緑を思い出すな。 ひっそり藤の咲く桂平の岩へとまって 川鴉がヴイッ・ヴイッと鳴いていたな。 松平牧場のちらちらする白樺のあいだから ボウとかすんだ雲母刷の空の奥に 八ガ岳がまるで薄青い夢だったな。 富士見平で富士を見ながら水を飲んだな。 そうしかんばのそばに湧く つめたいきれいな水だったな。 大日小屋でくさやの干物を焼いていると あたまの上でほととぎすが鳴いたな。 長い陰気な横八町縦八町の登りだったな。 尾根へ出たら目が覚めたようで、 筒ぬけの空にくらっとしたな。 もう其処では暑さと寒さとが縞になっていたな。 真白な岩稜づたいの砂払いから児の吹上、 けさ国師の小屋を立って来たという 四人連れのコ打にひよっこり遭ったな。 それからとうとうてっぺんだったな。 天のほうが近かったな。 二人きりだったな。 なんだか人間をもう一肌脱ぎたいような気がしたな。 とにかく胸をはだけて涼しい大きな谷風に 汗みずくのシャツを帆のように脹らませたな。 シャツがはたはたと鳴ったな。 だが髪の毛が逆立ったのは 風のせいばかりでもなかったな。 それから五丈石の下へうずくまって ハンケチの端で珈琲を濾したな。 思い出せば何もかもたのしいな。 その六月がまた米るな。 だがなかなか山へ行くどころの騒ぎではないな。 千代一もとても食っては行けないといっていたな。 東京に倅(せがれ)の人足の口は無いかと訊いていたな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年09月30日 22時52分16秒
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