2303408 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年10月01日
XML

 須玉町 所縁の作家 田中冬二 塩川の谿(たに)

 

『須玉町史』 第5章 第6節 ゆかりの作家

  一部加筆 山梨歴史文学館

 

  田中冬二

❖ 明治二七年(一八九四)一〇月一三日生まれる。

❖ 昭和五五年(一九八〇)四月九日没。詩人。

❖ 「塩川の硲」は昭昭和一一年(一九三六)五月「山小屋」五二号に掲載し、

   後『花冷え』、昭森社七月六日発行に収録されている。

❖「増富ラジウム鉱泉」は『蓼科の家』、東京文献センター、

昭和四五年(一九七〇)七月二〇日発行に収録されている。

   『塩川の駱』

 

葡萄虫は居らなかった。それゆゑ私は何遍も磧(かわら)の石をおこした。

  山毛棒(橅 ぶな)の原生林のその嫩芽(わかめ)に黄橙いろに、

何百本何千本の蝋燭(ろうそく)をともしたやうに、

うつくしく燃えた夕映が褪(あ)せると、ぢきに暗くなりかけた。

遂に私はやまべの一尾すら釣れなかった。

私は釣針をヤシヤの本の枝たかくひっかけてしまった。

穂状の花が散った。

かへりみると栂(つが)の巨本の立つあたり、岩に激した渓流は、

うす暗にしろい奔馬を跳(おど)らしていた。

古びた宿屋は板屋根に鯱をつけていた。

ランプの石油のあのなつかしい匂ひがぶうんと鼻を衝いた。

庭の一隅にはエマナチオンル瓦斯(がす)が発散していた。

その夜更け私は暗い庭の泉水の面に、

厚朴の花位の大きさに映っている星をみた。

                  ・・増富ラヂウム鉱泉川・・

 

 『増富ラジウム鉱泉』

 山梨県の地勢が北に高く南に低下していることは、笛吹川や釜無川が南流していることでもわかる。笛吹、釜無、誰がつけたのかよい名である。

 その釜無川の支流、塩川の渓・・の本谷河の清流沿いに点在する増富鉱泉は、わが国第一のラジウム鉱泉で、エマナチオンを多量に含有している。

エマナチオンとは、ラジウムの崩壊過程中に生成された放射気体を云うのである。

 中央線の韮崎駅から東北へ二十六粁(キロメートル)、以前はバスは塩川までであったが、今は鉱泉宿の前まで通じている。塩川から徒歩で一時間、四粁の間は通天峡と称せられている。増富へゆくならバスで直行するよりも、途中その塩川から徒歩で通天峡を探勝しながら行くことを勧める。通天峡は紅葉の頃もよいが、新緑の候が最もよい。

 私はたまたま私の来ったバスが、塩川から一粁半手前の八巻止りだったので、八巻から歩くことにした。未明朝飯もそこそこに新宿駅を出発って来たので、これから歩くとすれば、何より腹拵えだと思い、一軒の荒物屋で茶店を兼ねているような家へはいって行き、いきなり朝飯を所望した。中年の主人は快くうなずいてくれた。仕度の出来るまでのあいだ外へ出て眺める。この家の裏はすぐ深い渓で、新緑にすっかり埋れている。渓川の瀬音が遥か下の方に聞こえるが、奔流は見えない。

 渓底の方で鶯がしきりに鳴いている、険しい崖ぶちは、山吹の花がいっぱいである。朝飯は炊きたての飯に、山女魚の煮つけだった。一皿に見事な山女魚が五つ。実に美昧しかった。

 私は食事しながら、「この辺はさくらの木が多いね」と言うと、主人は「牡丹ざくらです。今は葉ざくらになってしまいましたが、花時分は本当に見事です」と言う。

 私が西の方の山を指すと、「あれが西山-白峯の三山-北岳間の岳-長島岳です」と答えてくれる。あの下あたりに、西山温泉や山郷奈良田があるのだとなつかしく思った。

 塩川の部落をすぎ、所謂通天峡へはいると、新緑の光りの中である。萌黄色に一際あかるいもの、紅昧をふくんだみどり色のもの淡い鶸(ひわ)色のものなど参差交錯し、それに紫外線の強い外光がさして眩しく、そうした中に燃えるようにつつじの花、その赤い色がけむるような新緑の光りの中に、まるで水中を魚が泳いででもいるようだ。

 径は上り下り幾曲りかしてゆく。渓流の水の色は、新緑とはまた別の、魅惑的の色をしている。水沫をあげて白く、凄じくほとばしっているところがあるかと思うと、ひっそり淀んで淵をしているところがある。挽茶色をしている。

 挽茶と言えば、新緑の木立の中、渓川にすぐ降りられるような処、かたちのよい岩や松などがあり、野立に恰好と思うところもある。

 やがて増富鉱泉。ここはへんてこな文化もして居らず、又脂粉の香もなく、素朴でおちついている。

 宿屋の名は不老閣、金泉湯、津金楼、金峰館などと、すこし時代放れのした名である。三十全年前に訪れた時は、それらの旅館はいずれも板葺きの平家建の粗末なものであった。しかもその屋根に、トタン製の鉾などつけた稚拙なものもあった。そして、浴場の窓は障子だった。

 これは沸かし湯なので、硝子戸より障子の方が保温によいという理由であった。全く嘘のような話である。その宿屋の一つ不老閣のマッチには「世界一ラジユウム温泉、日本一の吸気館」とある。

 さて、ここの食べものであるが、山女魚のフライや塩焼も美味しかったが、平打の蕎麦が何よりであった。きのこを沢山人れた出汁、薬味の葱とわさびの香り、それにうっすりと蕎麦の味は言うまでもなくよく、正に天下一品である。

 湯のいろは柚子色をしていて、湯あがりをいつまでもほかほかして湯冷めがしない。さて蕎麦を食べたら、浴場の脱衣場に脱いである女の着物などに心をとらわれずに、金峰山と瑞牆山の麓の金山まで六粁を、新緑の中を山毛樺(ぶな 橅)の原生林と、雑木林の中、径はたいして上りもなく、潺湲(せんかん)と足下近くを流れている渓皮に、沿うている。

新緑-みずみずしい若葉の匂いが鼻をつく。汗ばんだので、手巾をとり出すと、みどり色に染まりそうだ、渓流に目を転ずれば、その木は岩を磨き、岩また木を練っている。

 落合という処に着く。右木賊峠を経黒平御岳、左金山を経瑞牆山金峰山の指導標がある。ここで渓流から離れ、潅木地帯の中の木馬径を上ってゆき、ふと仰ぐと、前面何の木か若葉の戦ぐ間に、よく晴れた六月の空を劃して、藤色に岩肌の美しい瑞牆山。その黒くみえる処は這松の地帯らしい。

 ここから十分ぐらいゆくと、ちょっとした上り坂になる。上りつめると景観は俄かに展け、いちめん絨毯を敷いたようなゆるやかなスロープである。白樺の木が五本、ちかちかと三角形の葉を光らせている。瑞牆山をバックに牧歌的の眺めである。ここには一軒の宿がある。金山有井館と言う。瑞牆や金峰へ登山する人々の宿である。甚だ粗末な藁葺の家で、璧に「一泊二食付参百円也、素泊二百円也、右受取候也」と半紙に書いたのが貼ってある。

そして庭先に、古(いにしえ)信玄公御精錬の石臼と立札の石臼がおいてある。ただありきたりの石臼である。金山とは信玄時代に金を採鉱したところからの名称だ。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年10月01日 21時25分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[北杜市歴史文学資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X