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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年10月18日
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カテゴリ:山口素堂資料室

素堂は元禄十五年七月、山田宗偏著の『利休茶道具図絵』の序文を著す。

 宗偏は延宝八年(1680)に『茶道便蒙抄』、元禄四年(1691)に『茶道要録』を書す。(未見)

 序文「喫茶の友……」「元禄壬午夷則上旬濺筆於円荷露葛村隠士素堂」

 (壬午夷則-十五年七月)

 

  素堂、素堂には茶道書関係の文書が四篇ある。『鳳茗記』・『茶入 號朝山』それに宗偏著の『利休茶道具図絵』序、それに宗偏に与えた『若草茗碗記』である。

 

『利休茶道具図絵』

 

世雖多遊芸者専礼無過點茶之交、我聞禮始於飲食蓋地而貯飲手食之時其理既備而後禮儀三百威儀三千簠簋籩豆之類皆自然所興之者也、茶器之行於世亦然矣熟想強拘定式法数実不知斯道者還廢定式法数実不知斯道者也、爰山田氏宗偏撰テ茶亭之定数及茶器之図法而示、後学是応得魚而忘筌之意矣宗偏夫何人也、曰千氏宗旦老人之高弟而究メ宗易居士少庵翁所授受ル之道ヲ以譲ル於不審庵之人也 雖然以三旦老之子孫有ルヲ数多漫不彰其号因テ旧ニ呼コト四方庵ト有年于茲ニ夷矣去ル甲寅之冬応テ或人之需ニ而界ヘ四方庵之額ヲ凶且依門人之勧茶亭ニ挑ケ不審庵之額従是号宗易居士四無之不審庵者也

予以喫茶之友聞此趣聯題篇首耳元緑壬午夷則上旬灘筆於円荷露

 

葛村隠素堂 (陽刻)(陰刻)

 

宗偏書、貞享四年(1687)『茶道便蒙鈔』・元禄四年(1691)『茶道要録』)ノ両篇ヲ出スト雖此図ヲ残ス。今厚イ志ノ求メモ切ニ且ハ先書疎缺ノ為ノ書肆上田氏ニ投ジテ板行ヲナシ、云々。

 

旧知山田氏茶器あまた翫へる中に、わきて若草の茗椀ハそのより出る所、千宗守翁の家に宗易の土より伝へ来る木守といへる茶椀、何れの年にか、池魚のわさはひにかゝりしを其かたちをうつしてもてあそぶこと前に同し、其後るかた守翁手つからうつしてならへ愛せられし、あるとき山田氏のもとへ袖にし来りてあたへられしとなり、抑これを若草と名つくること焼野の草の其根たらむ若葉の生出たる心をとるなるへし、又剥之卦の木守の心をいはばこれを復といはん、若草々々むさし野のゆかりの心こもりてたのしミ、はてなかるへきをや唐玉川のいへらく、五椀肌骨清く、六椀仙家に通すとかや、是老す死なすのくすりとなりて、とこしなへに若草とよふものならし

  雲行雨施物皆潤 心地悠然通草根  見々有時生若葉  一椀又是一乾坤

             素堂山子 書印)(印)

   元禄十五新樹之時

 

【読み下し】

 若草茗椀記(わかくさめいわんき)

旧知山田氏茶器数多(あまた)翫(もてあそ)べる中に、分きて若草の茗椀は、その拠り出る所、千宗守翁の家に、宗易の土より伝え来たる木守(きまもり)といえる茶椀、何れの年にか、池魚の災いに罹りしを、其の形を写して玩ぶこと前に同じ、其の後(おく)る方、守翁手づから写して並べ、これを愛せられし、ある時山田氏のもとへ袖にし来たりて与えられしとなり、

抑( そもそも )これを若草と名付くること、焼野の草の其の根たらむ、若葉の生い出たる心をとるなるべし、又剥の卦の木守の心をいわば、これを復といわん、若草若草武蔵野の縁の心も寵りて楽しみ果てなかるべきをや、唐・玉川の言えらく、肌骨(きこつ)清く、六椀仙家に通ずとかや、

将に是れ老いず死なずの薬となりて、常しなえに若草とよぶものならじ

 

 雲行きて雨を施し、物皆潤う 心地悠然たること、草根に通ず

 見ゆるに若葉を生ずる時有り 一椀又是一乾坤なり

        素堂山子書   (印)(印)

   元禄十五新樹の時

 

 〔茶道余談 山田宗偏〕

 

宗旦四天王の一人。宗偏流の祖。三州吉田の産。父は本願寺末京都二本松長徳寺の住職仁科道玄。故ありて母方の姓山田を称し、初名周覚、後周学。號四方庵・力圍斎。六歳の時、小堀遠州の門に入り学ぶこと九年、後宗旦に就き皆伝。偶江戸にて小笠原侯当時茶道地に堕せんとするを憂へ、宗旦を迎へ其弊を矯めんと企てしが、宗旦、宗偏を代らしめ、宗 江戸に下り、不審庵を称し、鋭意改革に意を用ひ数種の著書を刊行。宝永五年四月二日歿。年八十五才。(『茶道辞典』による)

 

 〔素堂余話〕 『今日庵』

 

…素堂の家には宗偏から譲渡された「今日庵」の掛軸があった。これが後に『甲斐国志』に、素堂が「今日庵三世」を称したと記載された原因と思われる。

 素堂の一周忌追善集『通天橋』の草庵五物に、

 

 一、今日掛物 宗旦筆

仲秋の辞世風雅の人目出ざらめや。往日元伯が書る今日庵のいほりをけづりて、けふといふ文字ばかりはむべつきなからずとて毎に弄ばれたるを、

有明はけふの素堂の名残かな  郁文

とある。

 

素堂が『甲斐国志』のいう「今日庵」を名乗った形跡は認められないが、宗旦直筆の「今日」の掛軸を山田宗偏から譲り受けて草庵に掛けて居た。宗偏も一時「今日庵」を名乗った事もあるようである。

宗偏は四十三年間仕えた小笠原家を致任し、家督を甥の宗引に譲り、元禄十年(1697)七十一歳で江戸の本所に茶室を構えた。素堂五十六歳の時である。 素堂と宗偏交遊を示す資料は前の「今日」の掛物と、茶書の序文くらいである。 素堂が茶道に於ける「今日庵三世」を継承したことを示す茶道資料や素堂周辺資料は見えないが、三篇の茶道関係の文章や序文は素堂の茶に対する知識の深さを示している。

 

今日庵の代々

一世 元伯宗旦 

二世 常叟宗室 

三世 泰叟宗安 

四世 竺叟宗乾

五世 一燈宗室 

六世 石翁玄室 

七世 柏叟叟室 

八世 玄々室宗室

九世 直叟玄室

(以後継承)

 

 今日庵について

 

(『千利休』桑田忠親氏著)

二十一章 利休の家族と千家の伝統 千家の伝統より抜粋。昭和十七年刊行。

 

開祖は宗旦である。宗旦は専ら侘び茶の風を宣揚する為に、その思想を表現するものとして今日庵を建てた。一畳臺目の道庫つきで極めて静寂な趣向で、二畳敷の小室。

 少庵は千家の第四世(一世は千阿禰、二世は輿兵衛、三世は利休、であり、且つ不審庵二世(一世は利休)であるが、その後を継いで千家五世(不審庵五世)なったのが宗旦である。宗旦は実は少庵の子ではなく、道庵(利休の長男)の子で、少庵がこれを養子として養ったという説もある。この説が確かであれば、利休の血縁は道庵から宗旦に伝わり、永く後世に継続したといえるが、何分事の在偽は明らかでない。

利休が切腹を命ぜられた時、千家第三世の宗旦は十四歳であった。その時、一家の難を避けて、大徳寺に籠り、春屋和尚に就いて参禅し、後に寺を出て父の後を継いだのである。――中略――宗旦、字は元伯、また元寂とも称し、咄々庵・隠翁・寒雲などの号があり、今日庵の開祖である。かれは千家復興の第一歩として、大徳寺の前に捨てヽあった利休の茶席を引いて邸内に移した。それが今の表千家の不審庵である。彼は和敬静寂の本義に則って、専ら佗び茶の風を宣揚する為に、その思想を表現するものとして今日庵といふものを建てた。 それは一畳臺目の道庫つきで、極めて静寂な趣向である。點前先に明り窓があり、本畳一畳の方に、にじりロがついており、下座は壁床という配置で、侘び茶を行うには極めて理想的な建物であった。茶湯は元来が禅の茶法から出発したものであるから、佗びたものであるべき筈のところ、それが貴族有産階級に於いて兎角誤られた方向に向かっていた。元の姿に還えようと試みたが、紹鴎・利休などの茶匠の行ったことであるが、宗旦に至っては、茶湯本来の姿に還そうとして、徹底的にその実施に努めたのであった。彼は権威の傘を着ず、自由の天地の思うがままに自分の理想を行なうのに憚らない境地を求め、ただ一介の人間として、心豊かに人生の意義を感じて悠々として自適し、常住坐臥を楽しんだのである。それには勿論若年時代大徳寺に於ける修養が基礎になっており、後には清巌和尚にも参じ、茶禅一味を体得し、正保五年(1648)七十一歳をもって隠居し、家を子の宗左に譲り、自分はその北裏に小庵を営んだのである。この小庵は広さ二畳敷きの小室であり、その好みの水車もあり、悠々として自から茶を楽しむに相応はしかった。即ち、これが今日庵である。

――中略――かくして宗旦は万治元年(1658)年八十一を以て歿した。






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最終更新日  2020年10月18日 20時36分26秒
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