カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
甲斐駒ケ岳‥タカネバラ 田中澄江
『日本の名山 16 甲斐駒ケ岳』 串田孫一氏・今井通子氏・今福竜太氏 編 博品社 1997刊 一部加筆 山梨歴史文学館
仙丈、北岳の次はどうしても甲斐駒と思いこんでいたけれど、何回も、豪雨や雷雨で中止した。 豪雨でも雷雨でも、あくる日は晴天になるのだからとも思うのだけれど、私は雷アレルギーが強い。 立山の薬師岳で、浅間高原で、火柱が前後左右に落ちて、死とすれすれの思いになったことがある。甲斐駒二九六六メートルの直下二〇〇メートルは岩ばかりと間いているので、その最後の一登りのところで雷に出あったらと思うさえ胸がちぢむ。 その二〇〇メートルの登り下りの二時間近い間だけでも空か晴れていることを願って、一番らくなコースの仙水小屋一泊。早朝登山を実現したのは数年前の九月。峠から駒津蜂二七四〇メートルまでに四 時間を費やし、十二時までに頂上を極めて下りてくれば、雷雲は発生しないであろうと、岩尾根にタカネバラ、キバナノコマノツメ、ミヤマバイケイソウ、トウヤクリンドウ、クモイハタザオ、ダイモンジソウ、イワオトギリのほか数十種の花々を見いだし、甲斐駒には花が少ないと言われているけれど、このルートにはこんなにあると喜んで、のろのろと摩利支天の岩壁に辿り着いた。十時半であった。 花崗岩の砕けた砂地を頂上に向かってあと一歩という時、いきなり稲光り三度。雷鳴三度がおそい、雨も沛然と降って来て、私は一時間半ほど、岩かげで停滞。一切無言。全身硬直の状態となり、ようやく、午後一時に仙水小屋のアルバイトの明大生に手をひかれるという世にも情けない姿で、出雲系の神を祭る駒ケ岳神社の本殿の前に立てた。「国譲り」に敗れて、諏訪盆地に住みついたタケミナカタノミコトはこの山の姿を仰いで、わが祖先をこの頂きに祭れと言われたとか。 帰路に甲斐駒と摩利支天をつつんだ大きな虹を見てうれしかった。ミソガワソウ、フジアザミ、ヤナギラン、ヤグルマソウ以下、またも数十種の花々を見つけてこれも嬉しかった。 苦しい登り下りであったのに、以来中央線の窓から甲斐駒の、岩の殿堂ともいうべき偉容に出あうたび、また登りたくなり、あの花々に出あいたくなる。
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最終更新日
2020年10月28日 21時45分15秒
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