カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室
摩利支天 上田哲農氏著
『日本の名山 16 甲斐駒ケ岳』 串田孫一氏・今井通子氏・今福竜太氏 編 博品社 1997刊 一部加筆 山梨歴史文学館
戦争がだんだん烈しくなって、山へ行くのが不自由さを増し、それが加速度を加え始めたころ、山へ 行くたびに、こんどの山行がもう最後のものかなあといつも考えていたものだ。 未練気に山に引きずられていたといってもよい。 常に不安と焦燥の入りまじった山行だった。 仲間の半数は召集で、メンバ-は半減し、自分だっていつどうなるかわかったものではなかった。 僕等は、一山、まとまったところをやって、当分の間山行を中止しようという申し合せをした。 なまじ二、三日の小山行をこそこそやっても、酒呑みがチョコに一、二杯ひっかけた如くにかえって後をひくので一夕大いに呑みべろべろに酔っぱらって当分の間断乎禁酒をしようとするあの気持と似ていた。 残っていた仲間は集まった。 プリミチィーブなゲレンデを求めて、北に一つ、南に一つ。 冬の錫杖生活。冬の甲斐駒摩利支天南稜。 交通関係、気象条件等の考慮から攻撃目標は後者と決定。 甲斐の高原からうちながめると奇怪な入道頭をふりたてて大武川の渓谷めがけ逆落しにかかる南稜、その冬の姿を胸に浮かべながら計画は次第に具体化されていった。
A――大武川沿いに入山した方がバラエテを与え得る。しかし、これは不安な積雪状態による谷通しの 不便、林道の荒廃、ポーターを伴い得ず人数の減退によるサポート隊の不足を理由に否決。入山 は伊那を廻って北沢入りと決定。 B――B・Cとして北沢小屋使用、戸台との間に打ち合せの手紙が何度となく交換された。 C――前進キャンプを仙水峠か、南稜直下。仙水峠に置くときは登旱距離が長くなるという不便に対し、 南稜の状態を常に観察し得るという利点を有すること。しかし、なんとしても北沢から近すぎる。 前進キャンプは南稜直下の森林帯、ウィンパ-三人型。 D――別に登旱中の隊員援助とその疲労を慮り、アドバンス・キャンプを六方石付近に設営。風当り強 き故をもって冬季用、カマボコ型赤テント使用。サポート墜交替に宿営、駒、鋸等への小登山を なす。
計画は次第に細かくなり実現を待つばかりになってきた。 夜毎の夢は六方石にたつポ-ラー天幕に飛んでいた。 南稜を登って、駒の頂きに立つ日をどのように待ち、いかに胸ふくらむ想いであったことか。 ああ、それなのに、全く、それなのにだ。 マーシャル、サイパンの敗戦は意外に早く、山どころか、計画は計画だけにとどまり、防空壕に寝起きする日のみ続くようになってしまった。 だから、僕は今でも摩利支天南稜を想えば、強いて口説けばおちたに違いない昔の女を思うような変ないらだちと懐しさを覚えるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年10月28日 21時52分40秒
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