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愚管抄 ぐかんしょう
『日本の古典』 名著への招待 北原保雄氏 編 大修館書店 1986・11・1 一部加筆 山梨歴史文学館
関白藤原忠通を父とし、「玉葉」の著者九条兼実を兄として生まれた慈円(1155~1225 慈鎮は諱号)には、三つの顔がある。 「世の中に山てふ山は多かれど 山とは比叡の御山をぞいふ」 と詠んだ、僧としての慈円は、四度の天台座主や大僧正の高位に昇った。西行と並び称されたという歌人としての彼は、家集『拾玉集』や勅撰集に六千首を超える和歌を残し、百人一首の中にもその名を列ねている。そして、『愚管抄』の著者としての慈円が、その第三の顔である。 鎌倉時代の初期、承久の乱(一二二一)の前年にほぼ成立した『愚管抄』(書名は、愚かで狭い見識の書、の意)は、幕府を倒そうとする後鳥羽院の計画の諌止が執筆の動機だと考えられているが、慈円には、当時の朝廷と幕府との緊張関係や乱れた世相を黙視できない、危機意識があったのであろう。 本書は、和漢の年代記(巻一・二)、神武~順徳朝の歴史の大要(巻三~六、本論)、付録(巻七、日本歴史に関する総論)、の三部から成る。 我が国の「世ノウツリ行ク趣」を、多くの人々にも知らせようとした慈円は、神武朝から承久の現代までを七つの時期に分け、その底に流れて歴史を動かすものとして 「一切ノ法ハタゞ道理ト云フ二字ガモツ也」 と主張する。彼が王法・仏法の根源として説く「道理」については、歴史学者や哲学者からの発言が多いが、君臣・上下が「魚水ノ儀」のように合体する状態を、古来の「道理」にかなう姿だと考えているのであろう。 末法思想に支配される仏教者、摂関政治に心ひかれる貴族出身者、としての慈円は、武家にも受け入れられる公武合体の政治哲学を、「道理」を説くことで裏づけようとしたもの、と考えられる。 『愚管抄』は、歴史や史論の書として扱われ、後の北畠親房の『神皇正統記』とも比較されるが、国文学史や国語史の世界の中でも読まれるべき作品である。中古・中世の歴史物語や、『平家物語』などの軍記物語との、内容的な対比も、さらに行なわれてよい。また、「学問ト云フコトヲセヌ」「物シレル事ナキ」僧・俗の人々のために用いたという。 漢字・片仮名まじりの形態や、漢語・仏教語・俗語の混用による独特の文章は、当時の国語の表記・ 語彙・語法を考察するためにも、貴重な資料である。(武田 孝氏著) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月01日 06時08分32秒
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