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神皇正統記 しんのうしょうとうき
『日本の古典』 名著への招待 北原保雄氏 編 大修館書店 1986・11・1 一部加筆 山梨歴史文学館
大日本者神国也。天祖ハジメテ基ヲヒラキ 日神ナガク統ヲ伝給フ。(冒頭)
北畠親房は鎌倉未から南北朝にかけての時期に、後醍醐・後村上の二代の帝に仕えて、これを補佐しつつ南朝の統率者として重きをなした。彼の家系は村上源氏であり、先祖代々朝廷の要職に任ぜられてきたが、元弘の変に続く戦乱の間には、自身戦塵にまみれる事も多かった。 また嫡子の顕家は南朝の将帥の一人として度々功績を立てたが、本書執筆の直前に討死している。親房が骨髄に徹して北朝への対抗意識を培っていったことは想像に難くない。 本書は親房が東国経営のために常陸国に下った足元四年(一三三九)、筑波山麓の小田城において書かれ、更に興国四年(一三四二)に加筆改訂したとされるが、折しも延元四年の秋には後醍醐天皇が吉野の内裏で崩御しているので、後醍醐天皇の条等に加筆しつつ、最終的には当時未成年であった後村上天皇に献上して、これを教育しようとする意図があったものと見られている。
神代ヨリ正理ニテウケ伝ヘルイハレヲ述コトヲ志テ、 常に聞ユル事ヲバ載セズ。シカレバ神皇ノ正統記ト名ズケ侍ルベキ
これは序の結びにある一文だが、この中に本書の書名も、執筆の主題‥‥即ち皇統は正しき道理のもとに継承されて今に至っていることを跡づける‥‥も明示されている。 記述は神代の天地開闢に始まり、神武天皇以下後村上天皇に及び、歴代の事跡を詳簡に交えつつ解説し論評している。その姿勢は概ね客観的であり、殊更な思想的宣伝臭というものはない。むしろ多岐にわたる書物を通しての該博な知識が盛られていて、淀みない力強い文章が展開するところに本書の見所がある。 しかしまた、親房が主体的に把握し信じた歴史の根底には、神助のままに皇位を継承し三種神器を伝え来たった皇統は、動かし難く容認され肯定すべきものとする観念が厳然として存在していたであろうと思われる。 そのような観点から、繰り返し提示されるのが、右の引用文中にも見られる「正理」という語であり、この語こそ親房の歴史把握の基本理念を反映していると思われる。親房は歴代の天皇も含めて、多くの為政者に対して、ある者はその徳義を湛え、ある者には呵責ない批難の語を浴びせているが、そうしながら毅然とした独自の歴史論を展開し得ているのは、右のごとき確固とした理念を保持していたことによるであろう。 (稲葉二柄氏著) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月01日 06時10分59秒
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