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増鏡 ますかがみ
『日本の古典』 名著への招待 北原保雄氏 編 大修館書店 1986・11・1 一部加筆 山梨歴史文学館
文学作品が時流にあうということは、どちらかと言えば珍しいことであるが、『増鏡』は戦前にもてはやされた作品である。 大楠公・後鳥羽上皇・後醍醐天皇・名和長年・大塔宮・足利尊氏、懐かしく感じる人も少なくないであろう。後鳥羽から後醍醐と、中世の初めの時期に、皇権を復興しようとした動きが、思想的に利用されたのである。そのことは感心されないことだが、それとは別に作品は独白の魅力を持っている。
巻一「おどろのした」で後鳥羽天皇は、次のように述べられている。
御歌、数知らず人の口にあるなかにも、 奥山のおどろのしたを踏み分けて 道ある世ぞと人に知らせん と侍るこそ、政事大事と思されける程しるく聞こえて、 やむごとなくは侍れ。
このように述べた「増鏡」には、鎌倉の幕府に対抗する思想も感じられるが、作品の全編に流れる精神と表現は、決して武骨ではなく、優美で美しいものになっている。本書には、『源氏物語』の影響を強くうけた王朝趣味的な精神と表現が認められるが、この政治性と文化性の混ざりあった奇妙な性格が、本書の特徴である。 後鳥羽と後醍醐の間にはさまれて、後嵯峨院の長い院政の時代がある。この時代はどちらかと言えば、公武の協調した時代である。協調のなかでそれぞれの繁栄を、一応実現した時代である。 『増鏡』の作者は二奈良基(一一二〇~八八)かと言われているが、関白太政大臣の高位にまでのぼったこの政治家は、建武の争乱のなかにあって、公武が争うのではなく協調し合うことによっての平和を理想とし、それを待ち望んでいたように思われる。その思いが一見無味乾燥にも見える、熟した貴族生活の描写になって表れているようである。 本書の最後は、後醍醐天皇が隠鮫島を脱出して京に還御され、建武の中興がなったところで終わっている。最後の最後に、
誰にかありけん、そのころ関きし、 すみぞめの色をも変へつ月草の 移れば変はる花のころもに (巻一七、月草の花)
とある。政権の盛衰と人の心の移り変わりを嘆息しながら終わるのは、いかにも象徴的であり、ただの歴史の叙述に終わらない感動を作品に与えている。 (加納重文氏著)
大系訂 全書『増鏡』(全三冊、講談社学術文庫) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月01日 06時14分56秒
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