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2020年11月01日
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歴史と文学

 

  『日本の古典』 名著への招待

北原保雄氏 編

大修館書店 1986111

 一部加筆 山梨歴史文学館

 

昨秋、偶然の機会から、加賀と越中の国境の倶利迦(くりか)()峠に出掛けてみることがあった。

 加賀平野と越中平野とは、飛騨から能登へと続く山陵によって、隔てられている。その山陵の、比較的越え易く見える山間を越中に入る峠が、倶利迦(くりか)()峠と呼ばれている。峠道の片側は、切り立ったような谷になっており、平家の軍勢は、山頂の、猿が馬場と呼ばれる備かな広場に陣し、夜に入って前後から夜襲を受けて、前面の倶利迦(くりか)()谷に後から後から追い落とされて、大敗北を喫してしまう。

  

倶利迦羅が谷へわれ先にとぞおとしける。

真つ先にすすんだる者が見えねば、

「この谷の底に道のあるにこそ」

とて、親おとせば子もおとし、兄おとせば弟もつゞく。

(中略)

馬には人、人には馬、落ちかさなり、

さばかり深き谷一つを平家の勢七万余騎でぞうめたりける。

(『平家物語』巻七)

 

『平家物語』が語る戦況の様は、暮れていく晩秋の北国路の峠道で、地獄谷と通称されたこの谷から多数の呻き声が聞こえてくる気がするほど、真に迫って感じられる。

 史上に著名なこの戦いは、本当はどのようであったのだろうか。『平家物語』が語る木曾義仲の大勝利に水をさすわけではないけれど、この勝利が、戦闘の状況の実際以上に劇的な感動と構成でもって描かれているであろうと予想するのは、とんでもない想像ではないであろう。文学とは、このようなものである。文学を抽象的に言うとき、我々は虚構という言葉をよく使う。しかし虚構というのは、まるっきりの創り話という意味ではない。また歴史上の事実を語っているからと言って、それが歴史だというわけではない。最も厳密に言えば、歴史は事実として起きた事柄そのものであり、それが語られるという行為は、態度の如何にかかわらず、それはもう文学する行為だと私には思える。

 だから、実のところ、歴史とは、誰にも完全な了解は許容しない世界であるけれど、我々と同じ人間が、同じように生きながら得てきた歓喜や苦悩の集積という意味で、誰にも親しく扉を開く世界でもある。

扉の開け方は個人によってそれぞれ異なるし、そうして見えた世界は、扉を開けたその人の目にのみ映じる真実で、それはすでに文学である。

歴史と文学の間には、これほどに峻厳な違いがあるが、人間の愚かで必死な生への共感に根ざすところでは、離れようのない結びつきを持つ。そういうもののように、私には思われる。(加納重文氏著)

 






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最終更新日  2020年11月01日 06時16分21秒
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