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2020年11月02日
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カルロス・ゴーン いつも失敗の口実を探す。


これが日産のいちばんの敵だ。


 『心に響く名経営者の言葉』

  ビジネス哲学研究会 2008

   一部加筆 白州ふるさと文庫

 

 カルロス・ゴーンは、ブラジルのロンドニア州に住むレバノン系ブラジル人の父と、やはりレバノン系フランス人の母の間に生まれた。

家族はゴーンが六識のときにレバノンヘ戻り、彼はベイルートにあるイエズス会系のノートルダムカレッジで教育を受けた。

 やがて一七歳になったゴーンは、さらなる高等教育を受けるためフランスヘ単身渡り、グランド・ゼコールと呼ばれる高等教育機関を経て、エコール・デ・ミーヌ(高等鉱山学校)へ進んだ。

 フランスのタイヤメーカー、ミシュランに入社したゴーンは順調に出世し、

ミシュラン・ブラジルの最高執行責任者となった。

その後、ミシュラン北米の最高経営責任者となったゴーンはルノーに移籍、副社長に就任する。

不採算の工場の閉鎖など徹底的なコストカットを行ない、赤字に苦しんでいたルノーをわずか数年で黒字に転換させた。

 健全な経営となったルノーは海外の自動車メーカーの提携先を探し始めた。そのときに日産を推薦したのがゴーンである。

一九九九年、彼の思惑どおり日産が提携先(事実上の子会社)に選ばれたのを受け、ゴーンは日産の最高執行責任者になり、その翌年に社長に就任。借金を二〇〇三年までに全額返済し、一五%以下にまで落ち込んでいた国内シェアを二〇%近くまで回復させることに成功した。

 ゴーンは日産でも徹底したコストカットをみせた。日産発祥の地といわれる村山工場を売却し、大幅なリストラをした。だが、彼が最も必要と考えたのは、社内の改革だったのである。

 ゴーンが日本へやって来たとき、日産は二兆円もの借金を抱えて苦しんでいた。スタッフは汗だくで不振の理由を説明したが、ビジョンを口にする者は皆無だった。彼は、それがいちばんの敵だと直感的に悟り、冒頭のような言葉を告げたのである。失敗は誰にでもある。失敗の原因を究明するのは大切なことだが、言い訳ならいらない。






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最終更新日  2020年11月02日 04時58分01秒
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