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2020年11月02日
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歌に見る日本の美学 死について

 

『文芸春秋 デラックス』s495

  「万葉から啄木まで 日本名歌の旅」

  山中千恵子氏著(歌人)

一部加筆 白州ふるさと文庫

 

「人麿なくなりにたれど、

うたのこととどまれるかな」

 

と、「古今和歌集」仮名序に、紀貴之は高らかに記し、後白河院は、「梁塵秘抄撰集」の心を

 

「声わざの悲しきことは、

わが身かくれぬる後、

留まることの無きなり」

 

と口伝に誌された。まさしく歌は、死への存在としての、人の志のゆくところであり、とおくゆくものの帰することのない魂魄(こんぱく)の叫びを、期して待つものの心に恋いとる鎮魂の道であった。

鎮魂とは、季節のめぐりに消長する植物の生とともに衰える人の命に、外からより来る力あるものの魂をつけて昂揚させる魂ふりであり、またわが身を遊離する魂をよびかえし、身内に鎮める魂しずめであった。

鎮魂が死を生へ向かって脱ぐみごもりであり、復活の身生れであれば、恋歌が相聞と挽歌の双面をもつのは必然であり、いかなる歓喜の生成の歌といえども、その無縫の羽衣の下に、哀傷を懐抱(かいほう)していた。

万葉集は、素朴・雄渾・晴朗といった通俗の理解に反して、諷歌倒語に満ち満ちた鬱然たる鎮魂歌集であり、その原書編集の志は、歌をもって、その生死のゆくたてを洗いあげ痛哭(つうこく)する、反・記紀ともいうべき、詩をもって書いた史書とも読めるものである。

  

ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今

     日のみ見てや雲隠りなむ

             大津皇子

 

謀反の罪によって死を賜わった大津は、詞書によれば渡洋して歌ったというが、見るべきもの-わが死を、抒情汐たるうたをもって、ひたと見据えて絶命に赴いた。西舎(せいしゃ)に臨む金烏となり二上山に葬られた大津は、壬申以前、額田王が、呪性を帯びてさらに明晰の眼で〈隠さふべしや〉と、歌い鎮めた三輪山に、死の夕日の視線をそそぎ、大津の姉・前斎宮大伯皇(さきのいつきのみやおおくのひめ)女は、

 

 うつそみの人なるわれや明日よりは

二上山を弟とわがみむ

 

と絶唱して、やがて三輪の背後、泊瀬のみなかみから、歌をもって死を生に活かす視線を交すのである。強いられてある生死を、強いられぬ魂が、うたとなるまで見つづけ、現実を撃ちつづけることが、鎖魂のひとつの相になっていった。

       

 もののふの八十氏何の網代本に

     いさよふ波の行く方知らずも

              柿本人麿

 

 淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば

情もしのにいにしへ思ほゆ

              同

 

いずれも()(たて)は雑歌で、挽歌には入れられていないが、叙景とか()(りょ)の名で一括できぬ、相聞的挽歌ともいうべき表情をもつ歌である。千鳥と相聞しつつ、夕浪をかずいて髣髴と沈痛してゆく〈情もしのに〉という荒都挽歌の面ざしは、〈行く方知らずも〉という、人麿常用の鎮魂詞をもって、応神記の宇治川に流れた大山守命や、壬申の八十氏のもののふの魂を呼んで哭いている。序と称して意味をしりぞけた

くもののふの八十氏〉こそ鎮魂の対象なのであった。

 

いにしえの死を、わが今のいのちに重層して(たま)(ふる)るるものであり、この人麿のいのちの奥処(おくか)は、大伴旅人の謙従の無名者によって、その孤悲のしらべを深めてゆく。

  

家にてもたゆたふ命浪の上に浮きて

しをれば奥処知らずも

 

この天平二年(七三〇年)冬十一月の日付をもつ、海上鎮魂の歌をくちずさむたびに、この深い揺蕩(ようとう)する命の思想をはらんだ、高度に存在的な歌がどうして生れたか、不思議な思いがするが、大伴家持は、一生をかけてこの無名の思想者の〈たゆたふ命〉を思いつづけて、二十余年ののちに

 

「悽調の意、歌にあらずは撥ひ難きのみ」

 

と詞書して、雲雀の歌を撃ちあげる。

 

うらうらに照れる春日に雲雀あがり

情悲しも独りし思へば

              大伴家持

 

これは辞世ではない。けれども、そういってもいいほどの沈冥(ちんめい)と高揚をこめた、崩壊をはらんだ頽唐たる天平文明そのものの挽歌であり、なぜか、時空を隔てて、行くも帰るも死に浸透されていた源実朝の、大海の歌が、山吹の花にさえ〈あらしたつみむ〉と途方もなく虚しさをかきたてる歌が思われる。

 

 しら露も夢もこの世もまぼろしも

    たとへていはばひさしかりけり

              和泉式部

  

つれづれと空ぞ見らるる思ふひと

    天降り来むものならなくに

              同

 

奔放情熱の歌人と人のいう和泉式部ほど、無常に観じて独創的であったひとは他にない。わが生身の魂を沢の螢と見た、この歌びとの中有(ちゅうう)に充満していた遊離魂は、物思う心であり、式部にとってもの思うこころとは、ひと恋うる心だけであった。

この目睫(もくしょう)の螢の恋の刹那刹那を宿してほとばしる浄瑠(じょうる)瑞光(りこう)に映せば、白露の夢のこの世も〈ひさしかりけり〉と詠嘆するほかなかった。あるいは式部にとって、ひととは歌であったのかもしれない。

 

いとよく口に詠まれた歌のすべてが、わが充満のあくがれ出づる魂を胎し、たまゆらに永遠な愛の挽歌を調べるとすれば、〈ひと〉こそ歌というほかはない。

わがいのちの全量をこめて、魂の生死の極みに立って一息に歌ってこそ、なべての〈ひと〉は、式部の歌に恋いとられていったのである。

うつしみの涙の玉を敷きに敷いて、瑠璃の地を幻出せしめることは、源信(げんしん)の往生要集の思想でもあった。

 

春風の花をちらすと見る夢は

覚めても胸のさわぐなりけり

             西行

 

この西行の心音聞えるばかりの胸さわぎは、武者の世に「死に侍りにけりな」と言い捨てて、花に風の開存のことばをめがけた人の胸さわぎである。

 

ああひとり 

我は苦しか。

種々無限清らを尽す 

我が望みゆゑ    釈 (ちょう)(くう)






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最終更新日  2020年11月02日 05時12分59秒
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