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2020年11月02日
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歌に見る日本の美学 恋について

 

『文芸春秋 デラックス』s495

  「万葉から啄木まで 日本名歌の旅」

  永井路子氏著(作家)

一部加筆 白州ふるさと文庫

 

恋々面 

相有待谷 

愛寸 

事尽手四 

長常念者

  恋ひ恋ひて逢へる待だに愛しき

      言尽してよ長くと思はば

           大伴坂上郎女(さかのうえのいらづめ)

         (万葉集巻四・六六二)

 

日本の女が歌った、最も大胆で美しい恋の歌である。

 

「恋しく恋しく思い続けているあなた。望みがかなって、やっと逢ったそのときだけでも、愛の言葉のありったけを、私に注いでくだ方いね、もし、二人の仲を長く続けたい、とお思いになるのだったら……」

 

女の心の底にある激しい愛への希求を、これほどはっきりと言葉に出した歌は珍しい。離れていてなかなか逢えない二人は、心の中で、

 「愛しているよ」

 「私だって」

と、いつも愛の会話を交している。

一瞬だって相手を忘れたりはしない。

そんなに恋いこがれている二人が、やっと廻り合えたとき、その言葉のすべてを注ぎかけてほしい。そして私を酔わせてほしい-と部女は求めている。すべてをかなぐりすてて恋人の胸に抱かれたとき、女に与えられる衣裳は、愛の言葉よりほかはないのだから……

 

男の眼からすれば、愚かすぎるかもしれない。しかし、女は、恋人から何度でも「愛しているよ」という言葉を聞きたいのだ。もちろん愛の行為も体で語る言葉のひとつである。それを含めて、すべての愛の言葉を、貪欲なまでに女はかさばりたいのだ。そうした女の赤裸々な欲望を、こうまではっきり歌いあげた歌はほかにないのではないか。

郎女の恋人は、内気で言葉少なだったのだろうか。それとも、ちっとばかり冷淡で、愛の行為にも熱心でなかったのだろうか。それにしても、まるで相手の瞳をまっすぐみつめて言っているような感じの歌は、平安朝以降の恋の歌に比べると、きわめて異色である。

 

平安朝時代になると、女たちはひどく慎重になって、尻尾をつかまれないような歌ばかりつくるようになる。例えば、

「いつあなたが心変りして、恋が終りになってしまうかと、そればかりを心配しております」

 とか、

「口の先では喜ばせてくださいますけれど、どうせ、はじめから真剣ではいらっしゃらないのでしょう。

いつ棄てられるかと、今から涙ぐんでおります」

 

というような歌ばかりふえるのだ。

 

この歌は、それらに比べて対照的に激しい。白分から、「愛していると言って!」 と言っているのだから。

平安朝の 歌は、ひとひねりもふたひねりもした愛の媚態である。それも着想としてはおもしろいが、たびたびくりかえされると、「憐れな女」を売込んでいる感じがいさゝか鼻につき、郎女の発言が、ひどく新鮮、かつ大胆に見えてくる。

少なくともこの歌のほうが、原初の愛のかたちを率直に歌いあげているし、そこに歌われた女の願いは、現代もそのまま息づいている。千二百年も前の彼女が、よくも言ってくれた、と拍手を送りたくなる。

 

もっとも、歌っていることは率直だが、歌そのものは、かなり技巧的である。

「恋ひ恋ひて」いう、はじめの言葉も大胆だし、「愛しき(こと)尽してよ」という言いまわしは絶妙だ。

私がはじめてその歌を読んだとき、「まいった」と思ったのは、この一句である。「長くと思はば」という止めも心憎い。全体に濁音の少ないことも歌の調子を瀟洒(しょうしゃ)にしている。

 

つまり、はじめから終りまで、みごとに計算のゆき届いた歌なのだ。それでいて、まことにさわやかで、才女の口をついて出た言葉がそのまま歌になってしまったような趣がある。これは彼女のほかの歌にも言えることで、私は『万葉』中第一の才女は、この坂上郎女ではないかと思っている。

 

もちろん『万葉』には、もっと古調を帯びた、線の太い恋の歌もある。なかば民謡的に、東国で歌われたものの中には、「お前さんといっしょにいつまでも寝ていたいよ」といった式の、土の匂いのする愛の歌も多い。

私はそういう歌も好きだ。ぬけぬけとしているようで、じつは性以外の楽しみの残されていなかった人々の悲しさが滲み出ていて、胸に追ってくる。が、それらとは別の極にある部女の磨きぬかれた技巧の冴えも棄てがたい。

その意味で、『万葉』における一つの恋愛美学を語るものとしてこの一首を選んだ。

 

坂上部女は、周知のとおり、大伴家持(おおとものやかもち)の叔母にあたる。父は大伴安麿、母は石川内命婦というから、家持の父の旅人とは母が違う。旅人は大宰(だざいの)(そち)(大宰府長官)として任国にある間に妻を失い、その後、郎女が大伴家の女あるじとして人々の面倒をみたらしい。

のちに家持が歌に興味をもちはじめるのは、彼女の影響によるところが大きいようだ。

 

『万葉集』によると彼女は、はじめ天武天皇の皇子・穂積皇子に嫁ぎ、「寵セラルルコトたぐひナ」かった。皇子が死んだ後、藤原(ふじはらの)麿(まろ)(不比等の四男)と結婚したが、のちに大伴一族の宿奈(すくね)麿(まろ)の妻となり二女をもうけた。ほかにも恋人はいたらしいが、彼女だけが奔放だったわけではなく、こうした恋愛遍歴はよくあった。その意味では、決して特異な女性ではないのだが、さてこの歌が、誰に捧げたものかは、はっきりしない。

 

歌人としては、かなりの勉強家で、古歌をふまえたものも作っている。

『万葉集』の歌といえば、ぐっと古調の大らかなものをよしとする傾向が強いが、それらは『万葉』編纂当時、すでに古典となったもので、後期の歌人たちは、彼らなりに、それとは異なった境地を開拓している。郎女はその旗手の一人である。彼女の恋の歌には、もったいぶった深刻さはないが、その代り、歌というものにひそむ本来的な、いい意味での遊びの精神が光っている。この歌にのぞく華やかな甘えもその一つであろう。この遊びの真髄を天性体得していた点では、清少納言と彼女の右に出る者はいないのではあるまいか。

 






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最終更新日  2020年11月02日 05時13分57秒
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