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2020年11月08日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

山梨の歴史 古代甲斐国と官道

 

 『山梨県郷土史研究入門』

  山梨郷土史研究会 編

  山梨日日新聞社 平成4年発行

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

律令時代の甲斐国は東海道諸国の中に属し、したがって都からこの国に至る駅路は、東海道本路を駿河国構走駅(御殿場市付近に比定)に至り、ここから分岐する支路を通じ、甲斐国府(その所在については諸説がある。「甲斐国府」の項参照)に連絡していた。

『延喜式』兵部

省諸国駅伝馬条に、「甲斐国駅馬。水市・河口・加古各五疋。」とあって、具体的な三駅の名とともに、駅馬の数から令の規定にいう大・中・小路のうちの小路であったことがわかる。

各駅の所在については、すでに現地名への比定かいくつか試みられており、それらを列挙すれば次の通りである。(◎は最有力比定地)。

 

〔水市駅〕 

一宮町市之蔵、御坂町下馬駒、同町上黒駒

〔河口駅〕 

◎ 河口湖町河口、同町船津

〔加古駅〕 

○ 山中湖村山中、同村平野(「加古」は「加古」の誤写とみて、籠坂峠に因む駅名とする)

 

すなわち、この官道は近世の鎌倉街道、そして現在の国道一三七~一三八号線にほぼ沿った御坂峠~籠坂峠越えのルートである。この東海道の支路としての道筋を仮に古代の「甲斐路」と呼ぶことにしたい。

 ところで、甲斐路が十世紀初めの延喜式時代に、甲斐国府と都を結ぶ正式ルートであったことは、律令制度の開始された八世紀初めにも遡りうる制とみられる。すなわち、天平一〇年の「駿河国正税帳」に、甲斐国より御馬を進上するための部頷使や、帰還してきた甲斐国出身の防人が駿河国を通過し官給を受けた記載がみえ、駿河経由で東海道木路を出入りしたことが確認できるからである。

 しかし、この甲斐路が制度上の正規な官道であったとしても、実際にはこれ以外に利用された幾筋かのルートが古代の甲斐に存在したことを想定する見解もある。その一つが、信濃国を介しての東山道との結びつきを推定する説である。

木下良氏は、初期の甲斐国府が春日居町国府にあったとみる前提に立ち、笛吹川北岸を国府の所在地に選んだ理由を、駿河よりの駅路が不安定であった頃には、東山道との連絡路をも重視したためであろうと

して、甲斐国は、古い時期には東山道に属していたのではないか、と指摘だ。なお、平城京出土木簡の中に、

 

 「依私故度不破関往本土 甲斐国戸□□人□万呂□□」

 

と判読できる過所木簡が発見されており、甲斐国出身者が都から私用で一時帰郷するために東山道の関所である不破関を通ったことを示している。

また、末木健氏は、八ケ岳西麓の甲信国境付近の遺跡に出土する平安時代の甲斐型土師器の分布状況などから、蝦夷征討が活発化する九世紀頃より、巨麻郡から東山道にぬける人々の頻繁な往来があったであろうことを推論している。

 この他にも、『甲斐国志』が甲斐の古道としてあげる九筋のうち、鳥坂峠越えの若彦路や雁坂口(秩父往還)の道筋には、ヤマトタケル東征の伝承が色濃く、また右左口峠を越え富士山の西麓を駿河に抜ける中道往還は、大規模な前期古墳の密集する曽根丘陵の東山地区を通過する。これらの古道も、官道に準じる古代甲斐の重要銘であったにちがいない。 〔原 正人〕

 

 【註】

(1) 

古代の駅路としての「甲斐路」を本格的に論じたものとして、

磯貝正義「甲斐の古駅路について」(『山梨大学学芸学部研究報告』一 1950

のち同『郡司及び采女制度の研究』吉川弘文館 1976、に所収)、

秋山元秀「甲斐国」(藤岡謙二郎編『古代日本の交通路』一天明堂 1978)など。

(2) 

木下良「国府跡研究の課題-甲斐国府跡をめぐって一」

  『文化史学』二一 1967

(3) 

岐阜県教育委員会・不破関跡調査委員会『美濃不破関一』 1975

(4) 

末木健「八ケ岳西麓の古代甲信国境」『甲斐路』五九号 1987

 

【書評】山梨歴史文学館

甲斐の古道については、上記の説が諸書に垣間見られる。

しかし甲斐国の駅路の順が逆であるとの説は如何なものかと思われる。

 

正式路 水市駅⇒川口駅⇒加𠮷駅

定説路 加𠮷駅⇒川口駅⇒水市駅

 






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最終更新日  2020年11月08日 08時33分50秒
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