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2020年11月08日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

古代甲斐の郷について

 

『山梨県郷土史研究入門』 八巻輿志夫氏著

 

  山梨郷土史研究会 編

  山梨日日新聞社 平成4年発行

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

律令制度下の地方行政機構は、国の大きさに応じて一定数の国司が任命され、国管を中心に幾つかの郡(評)がたてられていた。後に大宝律令施行とともに郡制に移行し、

大郡(二〇~一六里)

上郡(一五~一二里)

中郡(一一~八里)

下郡(七~四里)

小郡(三~二里)

の五区分となった。郡には郡司が置かれ、郡を構成する里を掌握していた。この里は五〇戸を一里としたが、天平一二年(七四〇)には郷制となった。この郷も五〇戸を一郷とし、郷長を置いた。

 

甲斐国の場合は山梨郡・巨麻郡・都留郡・八代郡の四郡からなり、

山梨郡には

於曽(塩山市上・下於曽)

野呂(一宮町野呂)

林部(一宮町東原)

井上(御坂町井上)

玉井(一宮町坪井)

石和(石和町)

表門(甲府市東部)

山梨(春日居町)

加美(山梨市北西部)

大野(山梨市南東部)の十郷、

 

巨麻郡には等力・速見(八ケ岳南麓/塩川流域の二説)

栗原

青沼(甲府市青沼)

真衣(武川村)

大井(甲西町付近)

市川(市川大門町/昭和町の二説)

川合(鰍沢町以南/田富町)

余戸(韮崎市甘利山付近)の九郷、

 

都留郡には

相模(秋山、道志村付近/神奈川県津久井郡)

古郡(上野原町上野原/都留市古川渡付近)

福地(大月市富浜町)

多良(都留市谷村)

加美(都留市十日市場以南)

都留(上野原鶴島)

征茂(大月市大月町)の九郷

 

八代郡には

長江(八代町南西部)

白井(境川村から中道町)

沼尾(豊富村)

川合(六郷町以南の富士川東岸)

八代(八代町北、南)

 

の五郷があったと『和名類聚抄』には記されている。

 

『甲斐国志』や『甲斐名勝志』が具体的な比定を試み、明治時代以降は郡誌などが『甲斐国志』の説を基本として若干の考察を加えているが、その後は市町村誌(史)を中心に研究が進められている。

 

 巨麻郡内の等力郷・栗原郷の比定

巨麻郡の郷である等力郷と栗原郷は、その遺称とする地名が巨摩郡内になく、山梨郡に同地名が存在している。『甲斐国志』は、確証がないので今論ずる可きにあらずとし、『甲斐名勝志』は、両郷は今山梨郡にありと記している。『大日本地名辞書』は白根町百々を等力郷の遺作とし、栗原郷は韮崎市穂坂町付近とした。

『山梨県総合郷土研究』は等力郷と栗原郷について、釜無川と荒川流域にあったが水害のため山梨郡に移転したとする水害移転説を出している。その後、磯貝正義氏は巨麻郡の成立経緯から飛地説を提唱している。両郷の比定は郡の成立経緯及び郡境の変更をも検討する必要がある。

近年坂本美夫氏は平安時代の遺跡の分布濃度から等力・栗原郷を八ケ岳南麓から塩川流域に比定した。従来の文献と地名を手掛かりとした手法に考古学の調査成果を加味したことは、磯貝正義氏の飛地説以来小康状態にあったこの分野の研究に与えた影響は大きい。

 

巨麻郡市川郷の比定

山城国法勝院頷目録に甲斐国市川庄が見えるが、この庄園は源義清か配流された市川庄で前身が市川郷とも考えられるので、近年注目されている。従来から現在の西八代郡市川大門町付近に比定されている巨麻郡市川郷の位置を『大日本地名辞書』は甲府盆地中央の甲府市南部から昭和町に比定している。

 

 都留郡相模郷の比定について

南都留郡秋山村・道志村付近に比定する説が従来から有力であるが、『大日本地名辞書』は神奈川県津久井郡内に比定している。この郷は延暦一六年(七九七)の甲斐と相模の国境論争との関係がある。この時の状況について『日本後記』には

「甲斐国都留郡□留村東辺砥沢為国境。以西為甲斐国地。以東相模国地」

とあり、砥沢以西が甲斐国と相模国の国境と定められた。この時の国境となった砥沢の比定は相模郷の比定と深く関係するため、今後の研究が待たれる。

 

近年の発掘調査で出土した墨書土器及び刻書土器は、

甲府市大坪遺跡(表門郷比定地)出土の「甲斐国山梨郡表門」と割書された土器、

一宮町松原遺跡(林部郷比定地)出土の「石和東」「林都?」の墨書土器、

同町大原遺跡(玉井郷比定地)出土の「山梨郡玉井郷長」

など従来の郷比定を肯定するものが多いが、今後も発掘調査で出土するであろう資料の重要性は大きい。

                   〔八巻 輿志夫〕

 参考文献

磯貝正義『郡司及び采女制度の研究』吉川弘文館 一九七六

坂本美夫「甲斐の郡(評)都制」『研究紀要』1 

山梨県埋蔵文化財センター 1984

末木健「甲斐国巨麻郡の成立と展開」『研究紀要』3 

山梨県埋蔵文化財センター 1987

八巻興志夫「古代甲斐国の都配置の基礎的操作」

『山梨考古学論集』I 山梨考古学協会 1986

 






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最終更新日  2020年11月08日 20時01分39秒
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