カテゴリ:歴史 文化 古史料 著名人
白雪を血に染める桜田門外の変
尊王攘夷の声が国内に満ちる中で大老井伊直弼は開国を唱え、勅許も待たずアメリカと通商条約を結んでしまった。 国内は騒然となり、勤王の志士たちは反対の狼煙をあげた。大老は怒って橋本左内、頼三密三郎、𠮷田松陰らを捕えて小塚原に断罪し、さらに志士たちの首領と目される水戸藩主徳川斉昭に蟄居を命じた。 ここにおいて志士の怒りは絶頂に達した。特に水戸の浪士は激憤やるかたなく、井伊大老の暗殺を企てた。 万延元年(1860)三月三日、挑の節会である。折しも夜来時ならぬ雪が降って十数センチも積もった。 しかし井伊大老は江戸城中の節会に参列すべく行列を整えて屋敷を出で、桜田門外にさしかかった。と、雪中に土下座して行列を迎えていたかに見えた者共が、ガバと立って「朝敵くたばれ」と呼ばわりながら行列目かけて殺到した。このことがある事を期していた供の者は勇戦力闘するうちに、薩州浪人有村治郎左衛門は大老の籠に躍りかかって刺し殺し、凱歌をあげて逃げ走った。白雪は血に染まり、傷者は点々と倒れていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月11日 06時30分42秒
コメント(0) | コメントを書く
[歴史 文化 古史料 著名人] カテゴリの最新記事
|
|