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富士川にあげる木下藤吉郎(秀吉)初陣の功名
後の豊太閤も元は名もない百姓の子。武士になりたくて堪らず、家を出て十三才の時今川方の軍師松下之綱に仕えた。十八歳の時である。北条氏康と今川義元が事切れ、富士川に対陣した。北条の先陣伊東日向守祐国は五千の兵を率い、夜明けを期して富士川を渡ろうとした。今川勢の朝比奈泰能は伏兵をもってこれを迎撃し激闘数刻に及んだ。 この時藤吉郎は糧食係で後方にいたが、前線に出て闘ってみたくてたまらず、秘かに抜け出して様子を窺う所へ、立派な騎馬武者が手傷を負った態で差しかかった。藤吉郎してやったりと大音声で勝負々々と呼ばわりながら槍を振り立てたが、敵は悔って、「小僧、命が惜しくば、下がれ下がれ」と言う。何をと精一杯に躍りかかったが、武芸のたしなみはなく戦場の経験もない悲しさ、子供扱いにあしらわれるを、持ち前の頭を回転させ、えいヤッと馬を突いた。馬は驚いて竿立ち、武将がドオットもんどり打って川中に落ちる所を躍りかかって首を刎ねた。首実検に供えれば、これなん敵将日向守だった、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月11日 19時58分19秒
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