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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月16日
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カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

新雪の甲斐駒ケ岳 今西錦司氏著

     
   南御室にて

 

  『日本の名山 16 甲斐駒ケ岳』

   串田孫一氏 今井通子氏 今福竜太氏著

   博品社 19971115 

 

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

 山へ来てもう三日目の朝である。ゆうべは真っ暗な針葉樹の森に取りまかれてこの杣小屋に寝た。新雪

に残った獣の足跡が気味悪く心をひいて、森の奥へと見つめさせる。日なかも消えない闇のみが眼にうつる。太陽は雪の後からドンヨリした光を投げている。あの白銀のスカイライン、真っ青空に我々はもうどんなに憧れていることだろう。

 おととい朝、穴山(駅)に我々四人は下りた。それが唯一の旅客であった。この高原の停車場には新雪後の冷たい風が八ケ岳から絶え間なく吹き嵐していた。それはなんと我々の皮膚に爽快な冬の感覚を呼び醒ましたものであったろう。しかし我々が目指す山々は透明な秋晴れの空気を隔ててあまりに近く見えた。

千頭星山の紅葉した尾根。あの谷の奥に輝いたアサヨ岳、それから小武川をのぼる。ここはまだ砂防工事、牧場、温泉などあって我々が求めている気分に沿わない。昼飯の時出会った牛番は、夏の間に斃れた牛の死骸を訪ねあぐんで山から出て行った。道も無い萱原をいい加減に登ったが、ヒョットあの大きな動物の白骨が見つかりはせぬかと思ってまた河原へ戻る。河原には一本の茱萸(グミ)の木があった。

真紅な実がいっぱいなっていた。たいへん美味かった。夕暮近く寝不足と重いリュックに疲れながら、

青木湯のか細い炊煙が右手の山あいから立ち昇るのを見た。その夜ドンドコ沢の河原、地蔵岳の全容を

仰ぐところに天幕を張って寝た。

 森の急斜面を百メートル十五分の割合に登っては休む。立枯れの林に来た。一時に眺望が開けた。ここはやはり淋しい山の晩秋である。汽車の窓から見た青い落葉松は、ここではもう真黄、あるいはもうあかばんで一風吹けば散るであろう。谷川の音は遠く地の庭から響いてくる。秩父の名も知らぬ山々、小川山、天狗山……、富士、あの千頭星山の広々とした尾根、だが輝かしい夏の日にはこんなうすら寒い曇った空は無かったであろう。なんだか先刻古湯を直していた爺さんが思い出される。爺さんが巧みに木を削っていたこと、田中さんのお友達ですかと聞いたこと、去年の秋の遭難の話。九州から駒鳥をとりに来て死んだ兄弟の話、皆妙にハッキリと思い出される。どこまでも続く森を見上げて、思わず急に歩き出す。

 

  地蔵岳

 

今度の旅行中絶えず我々の喜びであった新雪の北岳、間ノ岳をはじめて眼近に見たのは、南御室を少し登った森の中からであった。しかしこれら純白の巨人は我々の期待していたようなあの紺碧の空に輝いているのではなくて、その背後に灰色の空か一面に広がっていた。天候の不安木立は深くその影には夜が潜んで西南の風が激しく吹いて雲は動揺する。寒い。岩上に立ってジッと南を見つめている。今聖の頂きを雲はかすめる。今悪沢の頂がかける。十二時、地蔵の頂上に登ったが、まだまだ遠い行く先を眺めては、だれも万歳を叫ぶことはできなかった。

アカヌケ沢の頭を通り越しかあたり、とうとう北岳が隠れた。粉雪がチラチラする。チラチラする中でわびしい昼をつかった。ゴーロ沢の頭、もうこの登り一つで我々は森深きところ、谷間に遁げ込もう……。だが野呂川まで千メートル。四時には暮れる。重いリュックでこの急斜面が下りられるだろうか。ひとりでに緩やかな向うの谷々へと誘われて行く。記録にない谷! 魔の谷? 這松がどこまでも続く。森をくぐり、また這松を泳ぎ、また疲れやすい石っころをわたって行く。ひととき雲が切れて美しい夕日が射す。白樺のもとに腰をおろして、たわいなく下り行く谷を見ている。長時の疲労とこのこころよき憩い! 小さくなって行く友の姿。日ざしは消えて雨が落ちる。森の中へともぐって行く。木立ちは深くその影には夜がひそんでいた。まだやっと三百メートルしか下りていない。大木が倒れているぞ。大鋸のあとだ。幻影の中に柚小屋を見出す。谷の流れを聞く。救われたのだ。雨はさかんに屋根を打ち出した。雨は漏ったが心地よく張られた天幕は我々をかばってくれた。火はよく燃えた。幸福なる四人。野呂川の叫びが遠く下の方で響いた。

 

  

 

 ほんとうに静かな山の気分を味わいたいとは願いながらも、夕闇の逼り来る頃まで今夜の野営地が果たしてうまく見出せるかどうかを気遣って、我々はさまよい歩くことが多かった。野営地に着いた喜びも一時、生活が意地悪く、疲れた眼、疲れた手足を憩いから駆り立てる。冷たい水、薪、天幕。もう外には夜がこめて、昼間あんなに親しかりし谷川の流れさえ、無気味な叫び、我々の弱きにつけこんでおどす森の妖魔の叫びのような気になる。どんなに煙くても火を見つめている。ただ飯意のふくのを待っている。それからコーヒー、カスタードプッディング、ウエストミンスターなどに満腹後の快さを伴って、なにもかもおもしろい話を聞きたいと思うが、皆冗談しか言わない。

学校ではだれもが課業に束縛されて、ルームに集っていても頭の中には今夜、明日……宿題、試験……が浮ぶのであろう。夕方になると別れ別れに家へ帰ってしまう。が、このなんだか知らぬもの足らなさも山へ行ったら、そして時間も家も忘れて杣小屋の(ほだ)()に歓談する夜にはきっと消え失せてしまうのだろうと思った。声がと切れて急にあたりの静寂に気づく。だれも辛気臭い顔をしているのに気づく。するとまた悪口を戦わせる。何時までたっても物足らぬうちに誰かが寝ようといって、皆シュラーフザツクにもぐりこんでしまう。

   

野呂川

 

 明日こそ雨であれ。滞在の気楽さを疲労した心身は共々に願ってその夜眠りについたのであろう。誰かが五時頃目覚める。霧は森一面に、雨だれはなお落ちている。おお喜び、滞在だ。誰かは七時頃眼覚める。美しい朝日が本の間を射し通して、小屋破れた朝から真青な空、綿のような雲が非常な速さで梢の空を走って行く。さてはと小屋の後に駆け登った。「オーイ、北岳が見えるぞ。」皆あわてて起きてくる。昨夜の雨は雪であったか、すっかり白くなって輝く。朝寝の罪をなすくりあいながらも九時頃にはどうにか出発する。山の径を探し求めておおいに助かった。野呂川の青い水がときどきチラチラする。

黄色い落葉松も見える。下りたところは広河原で流れも二筋になっていた。足を伸ばし、暖かい太陽をうけて休んでいるが、日がかげると馬鹿に寒くなる。この寒いのに徒渉する。誰かは転ぶ。野呂川に水が出たら恐ろしいとは聞いていたが、も少し楽なつもりであった。谷の紅葉はすっかり散って、峯がかくれて氷雨が降る。一枚岩が濡れる。岩蔭に雨を避けてガタガタ震えながら弁当を食った。身体も心もいじけてしまって、もうどうにでもなった方がいいと思いかけるが、また勇気を出してまだ遠い北沢へ。

雨の晴れ間に山を仰ぐ。また上には新雪が降った。昼となく夜となく雪は積もって行く。しばらくこの谷も雪に埋もれてしまう。

 この谷も上流はもう雪に覆われている。あるときは丸太に滑り、あるときは岩に躓く。しかし一歩一歩雪は近づく。両岸の針葉樹の梢にすでに雪を見た。いまや雪が晴れて夕日が小太郎の頂を茜に染める。立ち止り、よりかえり、してまた登って行く。アサョの順美しく染まる。が、谷はもう暮れている。やがてうす青い夕空に星の一つ二つ瞬くのを見た。仙丈の裾に入って北沢は広くなる。ついに今日降ったばかりの雪を踏んで歩いた。今日も暮れて行く。仙丈もアサヨも灰色に暮れて行く。北沢の小屋は一体どの辺にあるのだろう。谷が北に折れる辺りまで、友と二人探しに行く。だめだ。岩魚釣りのたった一つの破れた小屋が、幸い、シェルターとなってくれた。いつしか月が出て新雪の上に青白く反映し、谷の水はキラキラと流れて行った。

 

 アサヨ岳  

 

 昨夜はなかなか火が燃えなかったし、遅くまで濡れたものを乾かしていたりしたので、日の赤々と谷に射しこむ頃まで心持ちよく眠ってしまった。どうせもう一晩北沢で泊まる気なので皆悠々と準備する。十一時頃出て行く。しばらく行くうちに先頭で歓声をあげている。それは真白な駒の頂を仰いだためでなく、意外にもまだ木の香り高い丸木小屋が我々を迎えているのであった。丸木小屋!!それだけでもどんなに我々の心を惹いたことか。清潔と整頓が第一に我々を喜ばせた。数少ない小屋の備付け品の中には魚龍と釣竿もあった。今夜はここだ。皆笑っている。リュックから世帯道具をスッカリ出して、奇麗に棚へ並べはじめる。そして飯盒の飯と、ちょっとした必要品だけの軽いリュックを背負って、喜びに満ちながら小屋を出る。十二時過ぎだ。河原歩きにあきあきして常磐木の森蔭へ分け入る。と、誰かのキャンプした跡がある。静かな日だ。小鳥は餌が無くなって皆里へ下りて行ったのだろうか。なにひとつ聞こえてこない。今度は駒津の大きな石っころの斜面をわたり出す。ここは風が強い。仙丈の美しさ。このスロープの広々した感じ。いま出て来た森の緑の濃さ。コッヘルで茶を沸かして、呑気な昼をすます。仙水峠に立った。またあの大きな裾野や秩父の山々を見てちょっとなつかしさに打たれる。

斜陽射す森、うす雪の這松、岩。やはりあの雪を降らせた寒い西南の風が吹きつけている。リッジの起伏が三つ四つ。アサョの頂きは遠い。時間の遅いこと、帰りの夜になることも、ただ頂上を踏まん示ためにのみ行く。自分自身は自分の行為の緒来になんら関係がない。その瞬間自分の求めるものを求めていた。否求めざるを得ずして求めた。不平なんかどこにも起こり得ないのだ。頂上四時、北岳の半面に指示青く凍る,寒さに追われるようにして下りて行く。なぜあんなに急いで下りるのだろう。レーバンのマウンテニアリングアートという本を買ったら、その序文にマウンテニアリングとは山を登り、また下るアートであると書いてあった。あんなに苦心して頂上した山だ。後を見ないで下るはすげない。それとも一足先に小屋まで帰ってしまう気か。さもなくばどこかの岩蔭で、寒さを忍んで待とうというのか。せっかく一緒に登ったものは一緒に下りて行くのこそ望ましい。

 仙水峠まで帰ったら東の空に月が出た。ゆうべ見たお月さんだ示大きくなった。その柔和な先に積石を探して歩く。あのいやはての光線の疲れ荒んだ世界から物静かな夜は来て、風は落ち、山々は眠りに帰る。森へ入る。だれが泊ったのか、あのキャンプの跡は限りなくなつかしい。休んで行く。また河原を行く。真ん中に大きな立枯れが白く突っ立っている。ああここは左に渉ったところだ。この谷の夜に、月と流るる水と、我々四人だけが動いていた。今夜はあのスナッグなロッグキャビンが我々を待っているのだと思うと、ほんとうに親しくこの美しい夜を楽しむことができた

 

  駒ケ岳

 

 我々の孤独な心を慰めてくれたロックキャビンに訣別する。我々はいつも強いられたものだ。我々にはすべてが仮の宿りなのだ。山よ!汝のみが強い。

 今日はまたリュックを背負って行く。河原も、森のキャンプも、あのゴツゴツした駒津のスロープも皆朝の平和さに微笑んでいる。が、我々はいつここに帰り来ることがあろう。駒津の嶮しい、喘ぎ喘ぎ登る苦しさの間からも、我々は昨日そこに坐して山々と語り、また楽しい昼餉をなしたあの北沢のスロープを眺める。そして一歩一歩高められて行く自らの位置を感じて、我々はまたあの岩と雪の駒のリッジを見上げる。仙丈はたえず我々を見護っている。が、あの美しささえ今に我々の不正確な記憶になってしまう。だが記憶にこそ最も感謝しなければならぬ。在りし日の苦痛はすべてその中になんと甘美なものとなって蘇ることであろう。そして我々を駆ってなんと幸福な永遠のゼーンズフトとワンデルングに導くことであろう。美しい空の下で暖かい日を浴びて休みたいが、どうしてこの西南の風はひっきりなしに吹くのだろう。こうして駒津の頂からも追われて行く。恨めしく、風の吹いてくる彼方を見やる。

ああまたしても我々を脅かした雲が!風を避けてとある窪地に昼飯を食う。皆の心は沈んでいる。鋸を放棄しよう。青年の心は一致しやすかった。赤褐色のガレの彼方に鋸の最高峯は見えていた。そのはるかの彼方に戸台の人家も見えた。雪に掩われ欺かれやすき岩に注意しつつ黙々として登る。雪はしだいに増す。崩に立った時、我々の眼は等しく今日泊るべかりし八合の小屋と、泊るべき屏風岩の小屋とをさまようた。が、寒い風は我々に登頂の喜びに伴うあの快き憩いをついに一度も与えてくれなかった。

 山々をすっかり登り尽すということなんかどうせ幼稚なマウンテニアーの願望に過ぎない。して登山服、アイスアックス、ネールドブーツに身を固め、案内や人夫に警護させた登山家運がスタンダードコースを蹂躙(じゅうりん)して行く時、人眼を避けたお花畑にキャンプしてその間を流るる雪解けの水を思うまま飲み、ある時は岩角を旱じ、ある時は雪渓に下りてサマースキーを楽しみつつ、もしもそこに飽いたなら、リュックを背負ってまた気に入った場所を求めて行く。

かく感情の赴くままに、岩と雪と花との間を牧羊のごとくにさまよい、疲れては憩い、なんら時間に制限されることなく、金銭に束縛されることなく、我々のカルチベートせる智恵によること最も少なき生活を愛することと、彼の登頂せる山々の数多さを以て彼自らおよび他人まで、彼の登山家たるの名義を納得させようとする空しき苦心とは相容るるものではないに相違ない。

だが誰か久しき間の願いであった我々の企てが完成に近づきつつあった時、たとえそれが当然の場合であったにしろ、その変更に一種の苦痛を感じなかったものがあろうか。我々はすでに下りつつあった。ときどき鋸を見た。眼を俯せると雪の上には点々として小康の跡があった。この獣こそ、地蔵でも、アサヨでも、そしてここでもまた雪をさまようことの最も好きな、さらばその寒さと苦しさに耐ゆること最も強きものであろう。

 

 とある岩壁の上に出た。大きな山嶺に保護せられたためもう意地悪い風に苦しめられることもない。

薄日がさしている。前には大武川の深い谷をへだてて、鳳凰、地蔵、アカヌケ、ゴーロ、右のはしにアサヨが見える。それはなんと深い谷であろう。暗く木の茂った谷であろう。仙水峠からこのまっくらな谷を覗き込んだ時、自分は恐怖に(おのの)ことだ。してまたそれらの山々の色はなんと青ざめた物悲しいものであったろう。それは永遠の謎を抱いたものの悲しみなのであろうか。だが悲しげな、そしてそれに伴う重苦しい感じを与える山々を自分は一番愛する。おおそのごとく自分かそれらの山々を歩いていた時は、なんと物悲しくまた重苦しい心であったことよ! そして今下山の途について安心した我々はパイプを薫しながら、かつてその願にありし時我々を閉せるうれいの雪がいかに早く動きつつあるかを眺めていたのであった。雪は同じように西南から東北へ走っていた。悪沢はかくれ、塩見はかくれ、先頭は早くも富士の(いただき)に追っていた。しかし北アルプスはすっかり晴れていて我々はその一つ一つの峯を指摘することができた。越後の出も自く輝いて我々ももうすぐスキーのできるようになることを喜んだ。

 変な岩角や木の根の出ばった急な下りに三十分ほど経って、再び出を振りかえった時、頂上にはうす暗い雪がかかって山々は一つも見えなかった。一時間前にあすこ(あそこ)におったのだ。岳鳥が鳴く。憂鬱な山の空気に妙に空ろな、それがかえって一種の気味悪い静寂さを添える。屏風岩の小屋に来て炊事の用意をはじめた防雪は雨を交えて激しく降った。風のもの凄い叫びを聞いた。が、天幕の中に寝ていた四人にはむしろ暖かい夜であった。ときどき六合の小屋で震えているところを想像して、どこまでも天運のよかった我々の山幸を感謝した。

 十時頃日が照り出して屋根の雪解けがポタポタと落ちた。ちょうど二千メートルくらいを境にして山にはまた新雪が降った。アサヨにはまだ雲がかかっていた。今日はどのみち七時の汽車に乗るのだから、ゆっくりして、朝と昼とを兼ねた飯を十一時に済ます。飯盒(はんごう)で飯をたくこともしばらくはあるまい。大切に残してあったものも皆食ってしまい、軽いリュックに軽足、新雪を心地よく踏む。もう下界がよく見える。丘の傍らにならぶ農家の白壁、鎮守の森、黄色く実った田、帯のような川の流れ、こんな景色を眺めていると子供のような心になっている。毎日の緊張した心に急に余裕ができたのでよく休んで煙草を吸ったり、菓子を食ったり、地図を開いて遠くの山とにらみっこ(睨めっこ)をしたりする。

だんだん低くなって行くのがどんなに惜しまれよう。林に入ると落ち葉がうず高く積もって、サラサラと音立てて黄赤、緑の波が揺れる。その波は冬が来て雪に埋まり、春が来て若葉の萌える頃冷たい上になってしまう。その土が積もり積もってこのなだらかな丘はできた。もし学校のそばにこんな美しい、静かな丘と林があったなら我々は毎日出掛けて行くであろう。道は平らかになって赤松と白樺の若木の交じる林を行く。八ケ岳の広い裾野の彼方に蓼科山が美しく夕焼けする。いよいよ村へ出た。振りかえる。駒もアサヨも出た。山の色が紅く、紫に、ついに黒い藍色に変わる。金峯のなんと美しかったこと、雪の色もしだいに変わった。やがて月の光になる。月の光は昼間のどんな平凡な景色をも幻想的なものにして

しまう。それから幻想の田園、幻想の林を通った。釜無川の渡船を過ぎて七黒岩を登る。広い道を忘れて真直ぐに松林を登ってしまう。月かげにここも幻想の丘となって、自分は果てしなき松林を辿っているのでなかろうかと不安になる。

 自分はリ-ダーであったが、コースについては多くは友達の意見に従った。自分は別に近道を得とも思わないし、困難を苦痛とも思わない。ただリーダーはどんな場合でもかならず自己の所信をもっていなければならないと思う。が所信といってもそれは結局自分の山に対する考えに根拠をおいているものに相違ないゆえ、かくのごとき所信がある危機に際して果たして自分のパーテイにまで貢献するものかどうかは自分にはわからない。

ここに一人の男があって彼は汽車に乗る時、必ず一番後の客車に乗ることに決めていたとする。たとえ混雑しようとも他の者が感ずるような不愉快さや、彼自身が他の客車に乗って同じような混雑にあった時の不愉快さを彼は感じない。人は彼の機転の利かぬこと、彼の無智なことを笑う。が彼は全く平然としている。いまに空くだろうといったような涼しい顔をしている。自分はこんな男はどこかえらいのだと思う。そして事は同じではないが、リーダーを承って行かねばならぬような男には、どこかこれに似た平然さを必要としなければならぬ時があるのではなかろうかと思う。

松林を登り切った時驚いた。広い広い高原が現われた。八ケ岳の頂きは絹白色に輝いていた。我々がこれから行く日野春駅の燈火がチラチラしているのが見えた。それらのすべては山の立体的な景色に馴れた我々の眼にとってまったく反対なものであった。がこうした幻想の国のさすらいは、山行の強い刺戟に疲れたものにとってはまた、限りなくなつかしいものであった。






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最終更新日  2020年11月16日 18時41分30秒
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