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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月17日
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カテゴリ:甲斐駒ケ岳資料室

日本南アルプス 附甲斐と秩父の山旅 序

 

  平賀文男氏著 博文館

  昭和4年刊 

   一部加筆 山梨歴史文学館

 

 日本アルプスで、一番高い山は南アルプスの、白峰である。欧洲アルプスの最高峰、モン・プラン(白山)と、偶然に似た名であるが、文献に現はれた古さから言へば、我が白峰の方が、遙かに早い。

もし白峰を「甲斐が根」と同一山であるとすれば、古今和歌集第二十の巻、東歌に見えているから、今から約九百年も前である。「甲斐の白峰」と明記せられたのは、「平家物語」平重衛朝臣、海道下りが始めであるが、それすら七百年も前である。

のみならず白峰は、日本アルプス全体を通じても、万葉集にある大伴家持の、立山を除けば、最古の文献を有するわけであるが、欧洲アルプスの「モン・プラン」の方は、今から僅かに百八十能年前のこと、一七四二年に書かれたピータア・マアテルの、氷河報告書に、始めてその名が載せられたので、それより以前には、何等文献の徴すべきものがないことは、マシウスの「モン・プラン年代記」や、ウイムパアの「モン・プラン案内記」の説く所である。

更にウイムパアの記する所に依れば、マアテルが、シヤモニイ渓谷の住人に向って「あの山は何だ」と、

モン・ブランを指さしたら「白山といひますがね」ぐらいの、俗称を、固有名詞として手帳に書き留め、それが印刷に附されて、本名に確定したものらしいと言うことだが、恰も「平家物語」に、

「北に遠ざかりて雪白き山あり、問へば甲斐の白峰といふ」とあるのと、山名の起因が、符合しているのも面白いではないか。

然るに、遅れて名が出たモン・ブランの方の登山記は有名なる、デ・ソツシユールの本が、西暦一七八七年に出版せられ、高さも、精密に、四八一〇米突と測定せられ、爾来この山に回する文献は、頗る多いが、我が白峰の方は、久しい間纏まった登山記もなく、高さすら、参謀本部の五万分の一が出版されるまでは、一向判明せずにいた。私が小著「日本アルプス」第一巻を、白峰山脈の記に充てゝ、出版したとき(明治四十三年)には、友人高頭式氏が、参謀本部陸地測量部へ行かれ、成果表の三角測量点の記号から、見常をつけて(成果表には、山の名は書いて無いのだから)苦心して寫し取られたところの、標高を、同氏から供給を受け、白峰三山の測高を、北から順に

北岳  三一九二米突、

間の岳 三一八九米突、

農鳥山 三〇二六米突、

と記して置いたが、同時に、従来全く五里霧中であった山々の、高低も、解って、南アルプスの白峰北岳と、間の岳とが、富士山に次いで、第二、第三〇高位置を占めたことが確定したのは、意外であったが、更に農烏山、仙丈岳、赤石山、荒川岳、惑滞岳(東岳)を加へて、三千米突以上が、南アルプスに、七座の多きに達するのを知ったのは、意外の驚喜であった。

加之、殆と三千米突に垂んとする山々の中に、世間に知られていなかった聖岳などを、算へられたのは、拾い物の観があった。それが今から僅かに十八年前の話だから、いかに南アルプスの山谷が、その頃まで記述に於いて白紙であり、地図に於いて暗黒であったかが、想像せられるであろう。それほど深秘な山々も、こゝに峡北、穂坂村の住人、茅ケ岳の山男、平賀文男君の手に依って、厳封を釋かれようとすることは、従東北山岳地方に閲する文献の、不備不満を(尤も既に相応の数量には達してはいたが)補充された気強さをおぼえる。

 私の伝聞が誤りでなければ、著者平賀君は、信州の豪族にして、武田信玄に亡ぼされたるところの、平賀入道源心一族の末裔と、記憶しているが、源心の裔孫は、讃岐に住んで、江戸の盛期に、平賀源内の奇才となり(伝記に依る)草分け時代の本邦博物界に、大きな足跡を印したが、その一族の一人たる著者が、源心入道の居城たりし「海の口」より、程遠からぬ土地に安住して、農業を営み、しかも文筆を善くせられ、地質や植物などにも並々ならぬ心得があって、昔年の修羅場たる八ケ嶽山麓から、ツツジの名所を説き、裾野の麗はしき秋草をうたい千古にそゝり立つ高山大岳に就いて、皺一筋、雲一塊の微細に至るまで、丹念に記録して、日本南アルプスの一書を完成し、前代に足らざるところを補い、山岳文学に寄与されたことは、永遠に功徳するところの、奇特なる施主であるとしなければならぬ、弓矢の運の拙なかった源心入道も、地下で微笑をしてゐられるかも知れない。

 本書は、南アルプスの山岳を、宝蔵としていることは勿論であるが、富士火山帯から、秩父の峰々の雄、関東山脈にまで及び、登山口から峠、村落から温泉にまで、記述を精細にしている。よく書いたものだという先に、よく歩いたものだと思う。新聞記者は、足で書くものだといふ話を、誰からか聞かされたが、登山家も、足で書くべきものだと思ふにつけても、本書の堅実味も、普遍性も、そこに在るのだと信ずる。

 由来、南アルプスの美は、連嶺構造に於いても、雲仙の高山地形に於いても、植物の豊富に於いても、決して北アルプスの後に落ちるものでない。のみならず、北アルプスに見られぬ特色も存している。ただ山谷が深くて「馴れ山」でないために、人を寄せつけぬ憾みを、とかくに抱かれていたようであったが、本書の出現に依って、其困難は、除かれようと思われることは、開拓者としての職分を()されたものと言はねばならぬ。其成徑を踏むことの歓喜を謝する一人として、私はこゝに序詞を作る。

      

昭和四年六月初五  小島烏水 記






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最終更新日  2020年11月17日 21時04分23秒
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