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2020年11月25日
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井原西鶴処女作
       『好色一代男』  
                 

 

『江戸文人おもしろ史話』 鈴木幸三氏著

  一部加筆 山梨歴史文学館

 

◇ 摂津(大阪市)出身。

◇ 寛永一九(1642)~元禄六(1693) 歿年、五二

 

「……この人年々の廓狂いで財産尽きたあとは……」(『浪花奇談』

とあるから女狂いである。

なるほど小説家西鶴の処女作は『好色一代男』(四十歳)だ。廓狂いの実感がある。この作品も、自身の経験をもとに空想と脚色という翼を羽ばたかせたものであろう。

構想は自由。描写は奇抜。筆致は斬新だ。

これが、陳腐な小説に飽きた読者に大喝采を受けた。加えて二年後の『大矢数吟』(後出)。(山口素堂入集)

この一代男のヒロイン世之介は、七歳で腰元に初恋し、十歳で「翁」というほどの早熟見である。世之介は十一の時から女色遊びに専念、遂に十九歳で勘当された。これほどだったか定かではないが、似ていたのではないか。

彼は西山宗因門から出、俳諧で世に知られる。

俳諧師ぶらない俳諧師だったが、矢数俳諧は彼から始まる。矢を飛ばすように吟じたのである。

なるほど四十三歳の貞亨元年往𠮷神社で、一日一夜の独吟に二万三千五百句を唱し、紙上にとどめた不眠不休の作だ。四秒に一句である。以来、二万翁・二万堂と呼ぶ。こんなことは凡庸の俳諧師には無理だ。

大矢数は武士弓道の腕だめし。俳諧師は句作の能力試しなのである。

ちなみに三十六歳の延宝三年には、夕刻から翌日午後まで独吟一十六「日を吟じていた。

三十九歳の時には、四千句の大矢数を達している。それも、彼の即興・朗吟の主張があればこそである。

生家などは、諸説があり、武家か町人かがわからない。第一、本名が全然わからない。

はじめ平内藤五、ついで俳人鶴水か。十四、三から俳諧をけじめ、やがて小説で大をなす。

一代男の世之介は、十九の時、勘当されて諸国を流浪するが、西鶴も青年時代、放浪したらしい。貞享四(四十六歳)刊行の『男色大鑑』には、「見聞覚知の四つの二まで語順を廻りて」とあるから四十代はじめまで諸国を歩いていていたらしい。

徳川幕府は、天才的政治家家康万年の大計で、士民の飛躍性を力で圧したが、万民の生への力は強い。束縛に堪えられない。やがて武が衰え、財力が頭をもたげた。とくに町人階縁は肩を、腕を上にのばし始める。任侠・町奴・男伊達もその一つ。富で対抗する者も出てくる。変則的だが、全自我の解放があらわれた。西鶴の一代男もこの風潮の一つの顕れだった。読者の大半は町人である。喜ぶわけであろう。

 

だいたいの筋は、栴檀(せんだん)にして芳しく、伏見撞木(しゅもく)町通いは十一の時から。それでも足らず後家さんに目をつけ、色道修業の効あらわれ十九で遂に勘当、だが当人はこれ幸いと流浪し、遊女から遊所へ。女という女を各階級にわたって試みる。修業実に十四年、帰京して父の遺産を受け持ち。金、があるから、二十五年間を好色の世界に遊ぶ。さらに女護島に船出で終わる。

単なるエロチシズムか。いや、全自我の解放を味わった者が、その観酔の底から本然の叫びをあげたのである。人間として奔放な性を謳歌したのみ。これが町大層に大受けとなった。

だが、文名があがるといわゆる批評家の誹膀もはじまる。

無学だ。幇間じゃ。飲んだくれよ、である。

だが、こ「の人国学に秀で」という推辞もある。

幇間も当たらない。今日とちがい、印税は入らず、せいぜい一献馳走になる程度だ。

「飲んべえ」にいたっては、まったくの見当はずれ、本当の西鶴は酒は一滴も飲めない。槍一筋だったのか……といわれるが、これ、が人生の誠じゃ、といった英雄もいる。

酒席で他人を興がらせた。が、冴えた眼で一座の酔態を観察した。

遊女がどうして客を騙すか、そこに織りなされる人間社会の有為転変を豊富な知識で、透徹した眼力で、しかも執拗なまでの鋭さで視ていた。

彼の作にセンチメンタリズムはない。理知的だった。それは一代男にみられる。

世之升が信州追分で入牢を申しつけられた時、二十八だった。翌年赦免。入牢中、女囚と誓ったように、赦免時、背負って共に出た。示、せっかく言い交わした女をその兄弟に奪われた。世之介は捜して彷徨う。ある墓地へきた。二人の男が新墓を掘り返している。理由を間いた。

「これは女の新仏だ。死体から爪と黒髪を取り上方の遊女に売るのさ」

「遊女がどうして買うんだ」

「客と言い交わした時髪を切り爪を切って客に渡すじゃないか」

本当に思う者には本物を、いい加減な御大尽には買った物を渡すのが普通さ、という。

「ということだから引っかかったらいけませんよ」

新仏に気付いた。何と自分が捜していた女ではないか。死骸にしがみついて涙に暮れた。

死骸の眼、がぱっと開き、にっと笑ってつぶった。ああ哀れ、自害をという時二人が止める。

作者西鶴は、この一章をフピ「ここが分別の処なり」と、とめる。自害などさせないのである。こんなところに西鵬のセンチメンタリズムは働かない。

西鶴はとこまでも真実を見た。どんな厳しい情景に遭っても引き入れられない。酔わない。あるが儘の人生をまっすぐに見る。人間の社会とはこうだとばかり、僞態を指摘し、読む者に素直な生き方を教える。一代男以外でも、彼はどん底を究める。眼を覆いたくなるような深淵もたじろかずに眺め、あるが儘をその文章に乗せていく。

著作は、一代男、二代男、西鶴諸国噺、浄瑠璃本『小竹集』、好色五人女、好色一代女、本朝二十不孝から男色大鑑、武道伝米記、日本永代蔵、武家義理物語、世間胸算用等々多かった。名声は世に高い。

 人間五十年の究りそれさえ我にあまりたるに、

 

ましてや浮世の月見過ごしにけり末二年

 

これが辞世である。






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最終更新日  2020年11月25日 18時18分04秒
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