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鈴木主水の墓 東京都 墓所収覧
鈴木主水 白糸 お糸なるべし 当時同宿は、皆飯盛女の名称なれば、 吉原の如く、白糸などいふ、俗に云源氏名は附けさる規定也、) が事は世の人口膾炎すれど、多くは牽強附會の説にして、固より取に足らず、 殊に演劇・浄瑠璃等に至りて貳、一として架空ならざる話、 其墳墓の如きは、故老の口碑に傅わるもの、都合五ケ所あれど、 何れも同名異人、或は俳優等が建つる所の、記念碑にして、是亦取に足らず、 其中にて最も有名なるは、 當持法寺と、内藤新宿裏町、成覚寺、白糸塚のニケ所とする、 然れども、常寺にあるは、 旗下松平豊前守定盛の家臣、鈴木百度之良の墓なり、 定盛の家は代々百人組の頭を勤めたり。(略) 百度は其組屋敷なる、青山百人町に住み、 寛政七乙卯年(1795)、十月二日、七十九歳にて病死すといえば、 如何に好事の遊女なるとぞ、七十九歳の老翁と、比冀連理の契を結ぶ謂れなし、 右は全く定盛の百人組の頭を勤め、是に百度が其組邸中に住居し、 有名の主水と似通いたるより、世俗誤り傅へしものにて、 全く別人なる事を知るべし、 また内藤新宿成覚寺なる、白糸塚というは、 嘉永五年(1852)六月、猿若町二丁目、市村羽左衛門の劇場にて、 初めて、主水白糸の情死の顛末を脚色して、二代目坂東しうか、 白糸に扮して演ぜしに、演劇の珍らしきとしうかの技藝の眞にせまり、 また主水に扮せし有名の花形俳優、澤村訥升なりしかば、 近年稀なる大当たりにて、これが為に白糸が霊魂追善に建しものにて、 即ち白糸塚なる、一説に生水白糸の情死の事は、 某諸侯の姫との事を翻案せしという、 按ずるに『随筆諧話』下巻に、 芭蕉の吟七首を記載せり、中にのり姫君身まかりし後、 ほどなく鈴木主水も身まかりければと、前書ありて、
見し夢のゆめをかさねてかた糸の 心ほそくおもほゆるかな
見るまゝにあなうつゝなやあたしのゝ 露と消えゆく夢の世の中
の二首あれど、 この鈴木主水は、柳澤甲斐守吉里(吉保の長男)の老臣、 鈴木生水正行が事にて、芭蕉翁の門人にて、俳諧に名あり、 また「のり姫」は何人にや、今は知るに由なし、 但し柳澤家に「のり姫」と言いし人なし、 思ふに「のり姫」も、主水の如く翁の教え子にて、二人を失ひしと云、 追悼の歌ならんか、是と情死者の主水とは、全く別人なるべし。 葬地持法寺は日蓮宗本成寺派にて青山北町にあり。
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最終更新日
2021年04月10日 17時37分25秒
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