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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2020年11月27日
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甲州街道 十返舎一九 

 「滑稽旅雅羅寿 こっけいたびがらす」


一九は文致三年(
1820)甲府から諏訪に入り伊那の大出に旅した時の「滑稽旅賀(こっけいたびが)()寿()」という本がある。この中に諏訪に関係のある部分を挙げてみると、

 

けふおもひたつ旅衣々。

路川もろくにもたざれば。

護摩の灰も、目がけぬ身こそ安けれ。

 是は諸国一見の僧にもあらず。

身を雲助のうき雲の、当どもなしの旅歩行。

山籠に乗り首の骨をいため、助郷馬の鞍に、

尻の皮はすりむきたれども、あるくには苦にならず。

峠の宿の榾の火に、猟人とともに、鉄砲ばなしも面白く、

浦の出茶店に、生ぐさき茶をすゝりながら、

尾鰭(おひれ)をつけし順も嘘はつき次第。

玉みそのたまたま。粟稗の飯も珍らしく、

ひもじき時のまづいものなしとて、相応に腹をもこやし、

のりばなれするめにもあはず、難所にかゝりて足はなやめど、

絶景を見る目は、千金の心地して、

ひなたくさきおじやれの情も、旅のうさを忘草、

くわへぎせる咎るものなく、絶えて掛とりの顔を見ざるこゝろやすさ、

ことしも命の洗濯せんとて、

うかれ出たる信濃路の、めづらしきこと、おかしき事、見聞に任せて、

例の記行をかくのごとし。

 信州伊那郡大出村より書画の会のことたびたび申来りし故、

江戸をたちて甲州街道を経て甲府より木曽街道の下の諏訪に出で、

この宿はづれより伊那街道へおもむき、だんくと飯田の御城下に到り、

それより大平越といふをうち越して、

木曽の妻龍の宿はづれなる橋場といふ所にいづる。

中津川の宿に年頃親しき人あれば、中津川に到り、

そこに暫く逗留して引返し、木曽賂を帰るに、

洗馬の駅より松本の御城下に出で、浅間の温泉に浴して、

保福寺通りといふを打越し、上田の御城下に出でたり、

これより善光寺道を松代に到り、地蔵峠の難所を上田に戻り、

小諸より追分に出でて江戸へ帰りたり。

 

草紙の作者一九、一昨年の秋、信州の方へ行くに、

甲州街道より出かけて、甲府八日町吉野家に逗留し、

それよりこゝをたちて行くに、韮崎の宿を過ぐる時(中略)、

その夜は台ケ原のまるや弥源次の方に一宿し、

翌くる日ここを立ちて行くに、蔦木の宿に知る人を尋ねて馳走にあい、

ことの外酒に酔ひてひと寝入りせしゆへ、日は長けて、

けふはぜひとも上の諏訪へ行くつもりなれば、そうそう、蔦木をたちて、

急ぎけれども、上の諏訪より一里半ばかり手前にて日暮れたり。

提灯なければ、くらやみを辿り行くに、往来もなく、道のほど淋しく、

心細き折から、背高き男、長き大小をさしたるが、

少しの風呂敷包を背負ひし侍、あとになりさきになりて、

物をもいはずつきまどふ。

一九は気味悪くこの侍を先へやらんと小便するふりしてあとへさがれば、

侍も立ちどまり待っていなるゆへ、一九また足を早め、駈けぬけんとすれば、

侍も同じく駈出す、とかくしてはなれず、一九いよいよ気味悪く、

いろいろと心遣ひして、やうやう上の諏訪の町に着きたりける。

夜ははやよほど更けて、町もひっそりとなり、

入口の茶屋一軒、門の戸細目にあきたるに、かの侍入ると、

茶屋の亭主見て、さてく早かりし、今お帰りかと挨拶する。

かの侍、一九に向ひて、おのおの方も夜道さぞやくたびれつらん、

まだ宿屋町まではしばらく間あり、ここにて一服のみ給へといふに、

一九はや心おちつき、さらばとて、その茶屋へはいり休みながら、

侍の体を見るに、七十余りにて痩せがれたるよぼけ親爺なり、

一九、心のうちに、こんな親爺ならば、こはがらずともよかったものを、

余計の心遺ひしたとおかしく思ひいたるに、

侍のいふやう、われら二腰はさしたれども、生れついて臆病者、

主命ゆへ仕方なく荒木へ行きて、目の暮れざるうちに帰らんと思ひしに、

暇いりて夜に入りたれば、いかがはせん、誰そ来よかし、

道連れほしやと思ふところ、各々方の来るをうれしく、

お蔭によりて心強く帰りたりと、一九に一礼を述べたるはおかし。

 上の諏訪の御城下に着きたるは、夜の四つ過ぎなれば、

家々は皆戸をさしてねたる様子なり、

一九はこの処のますや庄助といふ人のもとへたづねんと思へども知れず、

往来は一人もなく聞く人なければ、うろうろとまごつくうち、

櫓下の犬がわんわんと吠へ出だせば、

こゝかしこより犬何疋となく駈け出で、あたりをとりまき吠へたつる。

一九はのぼせあがりて、なまなか小石を拾ひうちつけなどして、

犬にからかへば、なほのこと募りて吠へつき、

今にもくらひつかんず勢に困りはて、供の男と相談して、

ますやとばかり聞きて町処知らざれば、こよひは旅龍屋に泊り、

明日ますやをたづぬべし、

その旅籠屋を探すに、これさへ聞く人なければ知れず、

ある家より一人外へ出たる人あるを嬉しく走りより旅籠屋を聞けば、

この四五軒先の棟高き家こそ、旅籠屋なりといふに、

急ぎその家に行きて、戸をたゝけば、返事はしながら起きず、

頻りに敲きて、「旅の者なり、宿を頼む」といへば、面倒とや思ひけん、

今宵は座敷塞がりたれば、外へ行きて泊り給へととりあはず、

一九は拝むやうにだんだんと頼み、ぜひぜひにと戸を敵くにぞ、

宿屋の男、不承不承に起きて戸をあくれば、

くたびれたれども湯もなし水にて足を洗ひ、座敷へ通りほっと息をつぎて、

茶を持ってきたりし女に向ひて、

ますや庄助殿といふは知り如り給はずやと聞けば、

それはじきに私の隣りでござりますとは、大笑ひの目に逢ひたり。

またこの処に湯治せんと聞くに、ますや七郎衛門といふ宿は、

内湯ありてよき宿屋なりと聞きて、

翌くる日七郎衛門といふ旅籠屋に行きて逗留する。

この宿、奥に離れ座敷綺麗にて内湯あり、湯治するによき宿也、

湯の効能は疝気・寸白・脚気などによしといへり。(中略)

 上の諏訪たちて下の諏訪に到る。

こゝは木曽道中なれば、往来賑はしく、こゝにも温泉あり、

この所の桔梗屋といふに泊る。

明神の御社へ参詣し見るに、誠に結構いふばかりなし、

坂の上の田村丸建立なりといふ。

この湖(諏訪湖 御渡り)毎年十一月のすへより氷とぢて、岩の如く堅く、

此の上を人馬共に往来するといふことかねて聞き及びしが、

この度所の人に聞くに違ひなし、はじめ明神のつかはしめの狐(中略)

この氷の上を渡るを見て、おれより人馬往来するよしなり。

また立春の後、狐の渡るを限りとして、その後は人渡らずといへり。

これは狐ども明神を守護して、この湖の氷の上を渡るに、

行列花やかに明神の御車を轟かす合間こへ、狐火のみ多く見へて、

そのかたちは一向に見へざれども、大ぜいの声聞こゆるといへり。

之を諏訪のまはたしといふとぞ。

またこゝに諏訪のみはしらといふことあり、

これは毎年御やしろの方に赤き柱の如くなるもの、

夜な夜なすぐに立ちて、人の目に見ゆる。

 この柱の立つ方角によりて、その年の吉凶を知るといへり。

上の諏訪は建御名方の命を祭る。

下の諏訪は八坂入姫の命、この御神は殊に霊験あらたかにましくけるとかや。

毎年三月七日の祭には鹿の頭を七十五神に献ずるといふ。

この湖に鯉鮒多く、鰻は至って味はひよし。

湖、すへは東海道の天竜川へ流れ落つるなり。

一九はそれより下の諏訪をたちて、伊那街道へ志すに、

この湖すへの流れに従ひて、大出村を指して行く。

一九はそれより大出村に到りて、かどやおかへもんといふ人は、

年頃書通の親しみあるゆへ、この方をたづねだりしに、

中村氏にいざなはれて、一九をこゝに逗留させたり。

そのころ近村の何とかいふところに操芝居ありとて、

人々にいざなはれて、見物に行きしに、芝居は(こも)などにて、

あたりを囲ひまはし、舞台のところばかり葦簀(よしず)にて屋根を葺きたり。(後略)






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最終更新日  2020年11月27日 02時53分09秒
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