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2020年12月29日
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カテゴリ:著名人紹介
山梨県の著名人 父・根津嘉一郎 東武鉄道社長 根津嘉一郎氏著
(『ザ山梨 武田信玄と甲斐路』読売新聞社編 昭和62年 一部加筆)
山梨県人会の副会長をしている私が、生粋の甲州産ではなく、東京の生まれといえば他県の人の目には奇異に映るかもしれない。父に連れられてよく山梨に行った。トンネルの多い中央線では、蒸気機関車の煙に悩まされた。単線で、待ち合せとスイッチバックを繰り返し、五時間以上もかかって行った頃を思えば、中央高速道を自動車で一時間とちょっとで行けるのは、全く夢のような話である。
しかし、その頃の記憶も今となっては、春遠くの山すそに桜が棚引いているのが見えて、子供心に山梨とは美しいところだと思ったことぐらいになってしまった。その私が、今日まで山梨と強い縁で結ばれているのは血というより外はない。山梨県人は国にいる時は左程ではないが、 一旦外に出るとその結束は固く、互いに助け合うと言われるが全くそのとおりだと思う。
私の父、先代の根津嘉一郎は、現在の山梨市の正徳寺というところで生まれた。郷里の村長などを務めた後上京して、東武鉄道や富国生命はじめ二百数十の会社を興し、財界にあってはひとかどの働きをした人であったが、いわゆる財閥とも、政治ともかかわりを持たぬ独立独歩にその真骨頂があった。
その父を、私の目から見ても立派だと思うのは、私財を公共のために、あるいは文化のために惜し気もなく投じたことである。それらは今日でも、根津美術館や武蔵大学などとして社会に役立っている。また、郷里に対する報恩・感謝の念は、殊の外強かった。大水の毎に流されていた生家近くの笛吹川に、当時としては珍しかったコンクリートの永久橋をかけたり、さまざまな寄付を行なった。
昭和十年頃には、やはり当時珍しかったピアノを山梨県下の全小学校に贈った。この寄付は非常に喜ばれたとみえて、終戦後になって、このピアノで音楽を勉強されたという方々が音楽会を催され、私も招待され感激したことがあった。
先代はまた、「贔屓強い」人であった。他人の面倒は徹底的にみて、また頼りにもされた。戦後のいわゆる「保守本流」の中で桜田武、水野成夫、永野重雄さんと並んで「四天王」と呼ばれ、長い間財界の中枢にあった小林中さんもまた、山梨県の出身である。この小林さんも先代とは非常に近い関係にあった人である。
当時は、富国徴兵保険といった富国生命の支配人をしていた小林さんは、郷誠之助さんが主宰する財界グループ「番町会」の若手メンバーになって、永野護、河合良成、正力松太郎さんらの間に交遊を広げていった。この番町会が昭和九年、 いわゆる「番町会事件」とも「帝人疑獄」とも言われる疑獄事件に巻き込まれたのである。この事件は裁判の結果、全員無罪になるのだが、この時の先代と小林さんのとった態度は、いずれも甲州気質の典型を示しているように思う。
小林中さんは、この時「他人に迷惑をかけるわけにはいかぬ」と、取り調べに対し一切しゃべらなかったという。こういう「侠気」を重んずる気風が確かに甲州人には強い。このことが財界の長老、先輩、朋友間に「若いが骨のある男」と評価され、後々まで深い信用を得ることになった。この時、小林さんは二十代半ばの若さであった。
一方、先代は「贔屓強い」と言われた本領をいかんなく発揮した。物心両面の援助はもちろん、裁判に証人として立って、徹頭徹尾、小林さんをかばった。それはまるで、父親がわが子をかばうようであったと評された。事件に連座した河合良成さんは、その時の様子を著書の中で「さながら慈父の如し」と記している。私にとっての「故郷・山梨」は、そのようなものとして、父や諸先輩の姿を通して私の心の中にあるのである。





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最終更新日  2020年12月29日 19時47分30秒
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