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劇場役者 市川團十郎家傳の事 思出草紙(栗原東随舎) 寛文年中、両国橋より三里東に、 葛飾郡市川村といふ所に、 薦の十藏といふ者有。元は武家より出て虚無僧となり。 其以後、商人となりて、市川村に住居なしたり。 依て異名を俗称の如く薦の十藏といふ。 勝れて大酒を呑けり。一子小三郎といふは、 勝れて敏達にして、更に群兒の類ひに非ず。 弁舌能く発明なり。然るに、彼十三歳の頃、 市川村へ田舎廻りの歌舞伎芝居来り。 市川團十郎 俗耳鼓吹(大田南畝) 市川團十郎三升、 市川八百蔵の後家と(名はおるや) 密通の沙汰ありし時、 八百蔵が後家へさんじやう(三升)つかまつり 歌舞伎役者の異名 俗耳鼓吹(大田南畝) 歌舞伎の役者の異名ある事、 もとは少かりしが、近頃にいたりて、甚多し。 二朱判吉兵衛などこそ人よくしたり。 その外にもありしや聞もわたらず。 親玉 二代目市川海老蔵 子玉 五代目市川團十郎云々 武田信虎の息女 醒醉笑(安楽庵策傳) 甲斐の國武田信虎の息女を菊亭殿へ契約ありしが、 いまだ聟入りなきさきに、 信虎公、菊亭殿 むこいりをまだせぬさきのしうと入きくていよりもたけた 入道 團十郎艾 近世商売狂歌合(豊芥子) 『おでこ双六』に載る、 二代目市川團十郎艾賣〔割註〕實は景清。」 作せしを、真似て町々を賣し物なるべし。 今なし。浅草御門跡前に、歯医者にて艾を鬻ぐ。 此家に二代目柏筵艾賣の人形あり。 又大傳馬町二丁目に團十郎艾あり。 是は五代目市川團十郎白猿なり。 三升屋五郎兵衛といひし建看板に、 暫の畫ありしが今はなし。 團十郎煎餅 『飛鳥川』に云、安永の末、天明の初め頃迄は、 正月の内、團十郎煎餅と賣あるく、 常もおりおりうりあるくなり。 斯あれば正月前に賣しもの歟。 今浅草並木町に團十郎煎餅とて、 さしわたり五寸丸程に三升の紋あり。 是を團十郎煎餅と云。 劇場役者 市川團十郎家傳の事 思出草紙(栗原東随舎) 寛文年中、両国橋より三里東に、 葛飾郡市川村といふ所に、 薦の十藏といふ者有。元は武家より出て虚無僧となり。 其以後、商人となりて、市川村に住居なしたり。 依て異名を俗称の如く薦の十藏といふ。 勝れて大酒を呑けり。一子小三郎といふは、 勝れて敏達にして、更に群兒の類ひに非ず。 弁舌能く発明なり。然るに、彼十三歳の頃、 市川村へ田舎廻りの歌舞伎芝居来り。
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最終更新日
2020年12月30日 10時35分56秒
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