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◇ 新羅三郎義光 笙の事 松屋叢話(小山田與清)
清和天皇四代満仲之子曰頼信 。 其子頼義。于レ時将軍任ス 伊豫守ニ 。 其子有四人 。 一人出家快誉。 一人ハ義家。鎮守府ノ将軍號ス 八幡太郎。 一人義綱。號 加茂次郎 。 一人號義光。是新羅三郎也。
この義光は、かくれなく笙に得たる名人也。 豊原の時元の子時秋といひし、幼稚にして父をうしなひければ、 秘蔵の事をもえきかで有しに、時秋道に深くや有けむ。 永保のとし、義光、武衡、家衡を責んとし、戦場に趣給ひしとき、 江州かゞみの宿まで跡をしたひて馳参じ、御供仕むといひけるを、 義光深く諫給ひけれども、猶参まゝに足柄山もでこえてけり。 義光仰られしは、此山は関所もきびしく有べければ、 かなひがたかるべきと懇に申給ふをもきかで、さらにとゞまるべくもあらねば、 義光かれが思ふ所をしろしめし、馬よりおり人を退、芝をはらひ、 楯など敷て、大食調の譜を取出して、時秋につたへ給ひけり。 時秋相うけて帰り、豊原の家を興しけるよし、橘の季茂が記にみえぬ。 むかしの人の、道のこゝろふかゝりける事、かくまで殊勝にこそ有けれ。
【註】この話は、義光と時秋の生存年代が合わない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月30日 17時52分19秒
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