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2020年12月30日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

 新羅三郎義光 笙の事    松屋叢話(小山田與清)

 

清和天皇四代満仲之子曰頼信 。

其子頼義。于レ時将軍任ス 伊豫守ニ 。

其子有四人 。

一人出家快誉。

一人ハ義家。鎮守府ノ将軍號ス 八幡太郎。

一人義綱。號 加茂次郎 。

一人號義光。是新羅三郎也。

 

この義光は、かくれなく笙に得たる名人也。

豊原の時元の子時秋といひし、幼稚にして父をうしなひければ、

秘蔵の事をもえきかで有しに、時秋道に深くや有けむ。

永保のとし、義光、武衡、家衡を責んとし、戦場に趣給ひしとき、

江州かゞみの宿まで跡をしたひて馳参じ、御供仕むといひけるを、

義光深く諫給ひけれども、猶参まゝに足柄山もでこえてけり。

義光仰られしは、此山は関所もきびしく有べければ、

かなひがたかるべきと懇に申給ふをもきかで、さらにとゞまるべくもあらねば、

義光かれが思ふ所をしろしめし、馬よりおり人を退、芝をはらひ、

楯など敷て、大食調の譜を取出して、時秋につたへ給ひけり。

時秋相うけて帰り、豊原の家を興しけるよし、橘の季茂が記にみえぬ。

むかしの人の、道のこゝろふかゝりける事、かくまで殊勝にこそ有けれ。

 

【註】この話は、義光と時秋の生存年代が合わない。






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最終更新日  2020年12月30日 17時52分19秒
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