カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲州金の歴史 甲州金の極印松木氏の由緒書
泉昌彦氏著『信玄の黄金遺蹟と埋蔵金』「甲駿の巻」 一部加筆 白州ふるさと文庫
先祖 ++++++ 松木次郎三郎正利
甲斐国八代郡上浅利村飯室(西八代郡豊宣村)の郷、浅利与宗義遠の末葉にて代々右の村へ住居して参りましたが、原因にどんな訳があったのか、本家と不和となり、同郡中之郷に別家し、それより姓を松木と改めた郷士でありました。 双方の当主が不通のため家の旧記は分かりませんが、そのようなおりに次郎三郎は、式目信玄公の御代の天文中より御陣中の御用を折々仰せつけられ、永禄十二年二十五目に御朱印をたまわり、勝頼公の御代、天正五年二月晦日に御朱印を賜いて、只今所持しております(甲斐国志所載の判物)。
次郎三郎の男子には三太夫、宗左衛門、七右衛門、五郎兵衛、七郎兵衛とあわせて五人あり、三太夫は山梨郡小瀬(今の甲府市小瀬)に居住していたが、病身ゆえ独身のまま早世の由にございます。 市左衛門、七珍兵衛の族は、のちのち江戸表へ御奉公に罷りでました。 次郎三郎は三男七左衛門、四男五郎兵衛を召連れて由緒もこれあり、府中綿町へ転住して、その後剃髪にあらため小瀬村へ引込んで隠居したが、御朱印地所は分かりません。 松木七右衛門
右は次郎三郎の三男にて相読後に剃髪を改めたのは存じおります。甲府町の検断役を仰せ付け蒙り、天正十年午年に、同役衆三人一同は駿府へ召出されて権現(家康)様に御目見え申し上げ奉り、御ねんごろの上意を蒙り領物を仰せつけられました。 同年八月、御入用金の節もなお改役の者共が右左口(うばぐち)村まで罷り出でて、上曽根村竜花院に御逗留の折々ご機嫌を伺い、御駕籠の節も府中まで御案内したのは存じております。
五郎兵衛は御用を相勤めて当国の通用金ならびに国枡 (甲州桝)を奉り上覧に供しました。その節、判屋の儀についてお尋ねになりました。 武田御歴代の先祖より勤めて居た由を申上げますには、成瀬隼人守殿をもって先儀を相届け、なおまた五郎兵衛に相勤めます様仰せられました。 しかるに文禄年中に当府中柳町へ引移り、両人ならんで帯刀で勤めておりましたところ、その後召出されて右両人ともに江戸表へまかり越しましたが、このことも存じております。 伜が初年にて相勤めが覚束ない故に、巨摩郡乙黒村郷土山本八左衛門の伜茂兵衛と申す者を養子に貰いうけて跡目を相続いたしましたが、仔細があって山本法号清純と申上げました。 五郎兵衛のあとの判良のことは伜の弥右衛門が相続いたしました。
府中柳町一丁目の南角両側にて間口十三間の屋敷を判屋処と呼びました。しかるところ寛永年中に右弥右衛門が問屋役を仰せつけ蒙りましたので、判屋を勤めるにも御用に差支えがありましたので、判屋の役は他へ譲りますよう御沙汰がありましたが、判屋の儀は由緒もある役目のことゆえ、他へ譲ることは御免にして下さる様に申上げましたけれども、問屋役勤め中に判屋を相勤めるのは不都合なので当分の間是非譲るよう仰せ聞き、よんどころなく御受け申上げて妹婿の柳町組の圧三郎に譲り、極印並びに御奉書とも相渡し申しました。 右屋舗の十三間口のうち、戸口、四間分で相済むよう仰付け蒙り、弥右衛門の儀も極印へ立会いますよう仰付け蒙り、立合って極印を仕りました。 しかるところ、御届けどおり滞りなく吹き納めましたのに、どんな間違いがあったのでしようか、右 極印は甲府御奉行の竹川監物殿、渡辺弥兵衛殿へ御取上げに相成る由、そののち判屋の儀は、武井村郷士善太夫へ、婿がその一門より出ている竹川監物殿から譲り渡されてしまいました。 しかるに善太夫儀は段々に身丈が不如意となり、同郡木原村郷士次右衛門へまたまた婿の引出物として譲られましたところ、これまた身上不如意となり所持なりがたく、巨摩郡宮原村郷土、桜林源十郎へ仰せまかせ、荷引に相譲り、それより松本源十郎が今もって判屋敷を所持つかまつり、甲金不足しなどの御用も仰せつかっていました節は、古来の由緒をもって御町御支配どおり前事の御用を仰付かりました。
問屋弥右衛門は寛永二十年に病気になりましたので孫の伝右衛門に御役を仰せつけ、郡内ほか四千坪、毎年、御城米を百俵公許借の仰せつけ、しかるところ延宝六年戊午年に伊右衛門落馬いたし、役目務めがたくなりましたので、甥の松木甚右衛門(同九月二十九日に跡目を仰せつけられました。同九年三月二十三日五人扶持を蒙りました。 右は幼年の時より父物証承りました趣により、このたび記しおくものなり。
享和和三(一八〇三)年祭寅三月 松木成山正弥 花押 山本金左衛門様
以上、タライまわしされた極印の由来が、この由緒書にあきらかだ。また松木成山については甲斐国志でも取り上げている人物である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月05日 14時05分43秒
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