カテゴリ:歴史 文化 古史料 著名人
○ お七の墓
◇ 太田南畝『一話一言』 ◇ 一部加筆 山梨県歴史文学館 瀬名貞雄云、八百屋於七が墓、小石川円乗寺にあり、上に梵宇ありて妙栄禅定尼とあり、この碑ふるき碑にて、先年火災の時より折れたりしを、そのまま上にのせてあり、又右同様に銘もぎりて、立像の弥陀を彫刻せしあたらしき碑その側にあり、是は近頃建たる碑なり。予、この故を尋けれども知れず候しに、ある人語ていはく、円乗寺の住持にこの子細を尋ねしに、住持答えて云う、 駒込天沢山竜光寺は、京極佐渡守高矩の菩提所にて、彼家の足軽など度々墓掃除に通ひたりし、何某とかいひける足軽、ある夜の夢に、かの墓掃除に参りける心地にて、小石川馬場の辺を夜深に通けるに、雞一羽出たるをみれば、頭は小女の首にて形雞也、彼足軽の裾を喰へて引ける故、その故を尋ねしに、小女のいふ、 はずかしながらわれは以前大罪に行はれし八百屋の七といふ者也、今以て此の如く浮み不申候故跡弔ひ給はれと頼みけるを、夢の心地にてうけがひたり、夢さめて思はざる夢を見し事と思ひたりしに、此夢三夜うち続きてみしまゝに、今は忍びあへず、駒込吉祥寺に行て尋けるに、是は小石川円乗寺へ行て尋ぬべしと挨拶ありし故参りたりとて、円乗寺へ伴の足軽尋来しゆえ、いかにも、お七が墓は存るといへども、火災の節折れたりしが、無縁のもの故たれか再興すべきと空しき体に候と住持答へしに、右足軽、墳墓を新にして、立像の弥陀を彫刻させ、お七が法名を彫らせ、立そへて、法事料を納て法事を頼けるよし、いかなる因縁にてかれが夢にみへ法会行ひける事かしれず、典後はかの足軽も見へずと、円乗寺住職物語の由。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月09日 18時38分31秒
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