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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2021年01月10日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室
山梨県の歴史 天正8年(1580)~天正17(1589)
  武田勝頼 穴山梅雪(信君)の動向

 『山梨県郷土史年表』山梨県郷土史研究会編
   一部加筆 山梨県歴史文学館

◇ 天正8年(1580)

 ❖ 1,26 穴山信君、河内領湯之奥(下部町)の佐野文右衛門尉,
大崩佐野孫二郎の各私宅1軒の棟別諸役を免許
く門西美貞家文書・佐野文家文書> 
❖ 2.23 これより先,勝頼の祖父信虎の7回忌法要を行うため,
信濃佐久竜雲寺住北高全祝を招請したが老病のため謝辞,
この目勝頼が北高を慰問<竜雲寺文書> 
❖ 3.5  穴山信君,市松院やその末寺の門前百姓の諸役を免許
<南松院文書> 
❖ 3,7  勝頼,北条氏政を撃ち相模・伊豆を平定するため、
信濃埴科郡練光寺住泉良に戦勝を祈願させる<錬光寺文書> 
❖ 3.9  これより先,中郡前山之神郷(田富町)が水損のため,
勝頼は同郷の御家人らの普請役等を免許し川除の再興に努めさせる
<三井幸大家文書> 
❖ 3.15 勝頼、駿河浮島原に出陣,伊豆三島の北条氏政と対陣,
この日甲相の水軍が伊豆重須沖に戦う<正木文書> 
【筆註】この合戦の模様は伊豆天空の城にて模型・文書展示あり。
❖ 閏3.9 勝頼,亡き先妻竜勝寺殿(遠山氏・俗語生母)の菩提所,
高遠龍勝寺の寺規を定める。<竜勝寺文書>
❖ 閏3、23織田信長の将柴田語家,当時越中に潜居,
家運再興を策する小笠原貞慶に書を与え,
上方の形勢と織田・武田面氏の国勢の比較を提示し,
信長への帰属を勧める<笠系大成>
❖ 4.19 勝頼,駿河三保神社々家配下の左衛門四郎らが,
武田家の旱船役を勤めるのを賞し塩釜役を免許
<美保社家太田文書> 
❖      石山本願寺教如、激を甲州一向宗坊主衆・門徒中に飛ばし,
宗門の敵信長打倒を促す<超願寺矢文御書> 
❖ 5.23 真田昌幸,勝頼の命により上州沼田在城衆に軍令を頒つ。
<長国寺殿御事蹟稿> 
❖ 6.19 勝頼,黒川金山衆依田兵部左衛門尉・田辺民部右衛門尉らの,
毎月馬一疋往還の請役を免許<依田泰八家ら文書>
❖      この日勝頼,信濃坂城耕雲庵に祠堂錢利倍徳役を許し,
併せて門前新造在家3軒に郷次の普請役を免許<耕霊寺文書>
❖ 7、20 本願寺顕如,勅命を奉じ紀州へ退去後,
新門主教如らの軽挙を難じ,甲州坊主衆の自重を求める
<万福寺文書>
❖ 8、11  仁科盛信,高遠城に移り勝頼を助けて武田軍の退勢挽回を図り,
軍令を頒って兵備の充実に努める<等々力文書> 
❖ 8、   穴山信君,源三(石川氏)申請の伝馬を
江尻・興津・由比・内房・万沢・南部・下山・岩間・甲府まで
出すことを許す<石川要次郎家文書> 
❖ 8、16 勝頼,甲州秤座古河合太郎らの細工奉公を賞し
町榴1軒あて請商売役・利倍役・宿次の請役を免ずる
<守随彦太郎家文書> 
❖ 8.24 勝頼が去る18日の戦いに中島大和守が
功を立てたので感状を与える<中島紀次郎宗文書> 
❖ 8.27 これより先,秋山下野守・跡部淡路守・羽中田・鮎沢らと
上州箕輪城を守る。
❖      この日、勝頼、秋山らに鉄砲玉10万発の調達,
発埼など新検地を命ずる<森本願兵衛宗文書> 
❖ 8.   恵林寺住持快川,甲州叙上淑女君(勝頼夫人カ)
の侍女に蘭渓の字記を授ける<南松院文書>
❖ 9.18 これより先,武田親族衆一条氏が、
領内青柳(増穂町)に新宿を立てる。
❖      この日勝頼が棟別・普請役を除き,
青柳新宿に諸役を免許<中込政八家文書> 
❖ 9.28 穴山信君,遠江高天神城を救うため
徳川家康の軍と戦い敗れる<要法寺文書> 
❖ 10.28これより先,河内領西島郷(中富町)の江禅庵主が
穴山氏一族宗九郎の墓を路傍より座中に移して供養を続け,
この日信君が同庵の棟例話役を免許<江禅院文書> 
❖ 11.24勝頼,中沢四郎左衛門尉の細工の奉公を宜し,
向後その田畑の検地,新徳役,測酒役を免許
<中沢皆太郎宗文書> 
❖ 11.28勝頼,中郡筋井口郷の調衆井口庄左衛門尉らの検出した
同郷住人今福和泉守同心井口織部ほか9士の棟別役を免じ,
5貫705文を納めさせる<小河原村島田左衛門所蔵文書>
❖      この月末から12月上旬の間に穴山信君が出家して
梅雪斎不白と名乗り,花押も一変する<久遠寺文書>
❖ 12.3 穴山梅雪,居城駿河江尻城より
伝馬を興津・由比・蒲原・岩本に至らせる<田口文書> 
❖ 12.11勝頼,富士浅間社御師、高橋勘由左衛門尉の信州更級郡宮部郷
の荒地開発を宜し,知行に加える<高橋宗文書>
❖ 12.27武田勝頼,一条信就の開いた青柳新宿に,
二七の日を限り、市を立てることを許可<中込政八家文書>

天正9年(1581)

❖ 1.14 穴山信君,佐野七郎兵衛尉の新屋3軒の棟例話役を免許して,
早川谷中における材木の奉公を励ます<佐野弘宗文書> 
❖ 1.22 勝頼,逸見筋の韮崎に新城府を築こうとして
分国中より人足を集める。
この日普請奉行真田昌幸その旨を信州先方衆出浦氏に伝える。
<長国寺殿御事蹟稿> 
❖ 2.2  穴山梅雪,本領穴山の稲倉大明神に造営料5貫160文を寄進
<稲倉生山文書> 
❖ 2.7  勝頼の将、末木家重,嗣子政清に跡職を誤る<八田政統家文書> 
❖ 2.9  穴山梅雪,天輸寺領を検地<唐松院文書> 
❖ 2,15 勝頼,七里岩台上韮崎に新城を起工<民国寺殿御事蹟稿> 
❖ 2,   恵林寺に本光国師著快川書写の『見桃録』上下2巻を蔵する。
巻尾に「天正九年二月目再住花園現住恵林快川老衲」とあり,
上巻末尾に長禅寺殿一十七稔忌法語も掲げる 
❖ 3.6  勝頼,その将原貞胤の韮崎新城の普請に精励するを慰問し励ます。
<祢津晴雄家文書>
❖ 3.22 遠江の武田方高天神威が陥ち,
城谷岡部長教・栗田鶴寿ら城兵730人が討死
<家忠日記・信・落穂集> 
❖ 4.16 先に末木家重が嗣子政清に譲与した跡職を,
この日勝頼が認許<八田政統家文書>
❖ 5. 1  穴山信君,身延出久遠寺の門前百姓の踏段を免許<久遠寺文書>
❖ 5.5  勝頼,出宮郷(甲府市)青松院の門前在家8軒の棟別錢
ならびに郷次の請普請役を免許<青松院文書> 
❖ 5,6  勝頼,富士道場西念寺(富士吉田市)
道者人別4文の勧進を免許,堂宇の造営を援ける<西念寺文書>
❖ 5.20 勝頼,御嶽蔵王権現に対し,田地役を除き普請以下の踏段を免許
<御岳金桜神社文書> 
❖ 6.19 勝頼,早川入り湯島・良田両郷民に行商を勧め,踏段を免許
<旧西山村文書・深沢輝一家文書>
❖ 7.3  勝頼,武川筋の甘利南宮明神に禁制を出す<南宮神社文書>
❖ 7.4  勝頼,甲斐善光寺の条規を定め,これを柴田永寿に与える
<栗田文書> 
❖ 7,7  勝頼,中郡筋宮原部(甲府市)の鎌田真所ならび
興蔵寺に知行書立を与える<興蔵寺文書・宮原八幡宮文書> 
❖ 7.23 勝頼,勝村清兵衛尉・小長井宗兵衛尉両人に
甲斐田中桶結大工職を命ずる
<旧府中桶屋町清兵衛所蔵文書>
❖ 7.28 穴山梅雪,唐松院開院祖芳のために、
瑞世金10両,同夫人武田氏が同10両を
円蔵院桂岩徳芳に託して妙心寺に納入<南松院文書> 
❖ 8.20 勝頼,武川筋黒沢山大堺を指示<一木清兵高家文書> 
❖ 8.23 京都妙心寺住所化玄興が,
その師恵林寺快川紹喜の特命を受けて
武田・織田両家の和親を信長に説こうとしたが成らず
<虚白録・妙心寺史> 
❖ 9.2  勝頼,万力前熊野堂村次郎右衛門の看調進の功を賞し,
家1軒の棟別銭を免ずる<熊野堂次郎右衛門所蔵文書>
❖ 9.6  正親町天皇.恵社寺快川紹喜に大通智勝国師の徴号を与える
<恵林寺文書> 
❖ 10、15織田首長,上杉景勝を討つべく越後に出陣を策し,
小笠原貞慶に奔走させる<越佐史料> 
❖ 10.18これより先,勝頼が韮崎新城の9月落成を盟邦中に披露,
この日常陸佐竹氏の将梶原政景がこれを安房里見氏に報ずる
<武州文書>
❖ 10.29勝頼,駿河に派兵して北条氏政の軍と戦う<国志> 
❖ 11.6 正親町天皇,南松院の住持明院祖芳を妙心寺社特に勅請する
<唐松院文書> 
❖ 11、22これより先,北条氏政の将伊豆戸倉城主笠原級貞が武田方に降る,
この日勝頼がこれを上杉景勝に報ずる<越佐史料>
❖ 12.18織田信長,甲州進攻の準備として
黄金50枚で米8000俵を買い三河牧野誠に貯える<家・信> 
❖ 12.24勝頼,新府誠に移る,
       これより先,諏訪上社神長宮守失信真が新府中韮崎城の竣工を賀し,
守符・玉会を贈る,
この日勝頼,礼状を贈って謝す。
❖      信州開善寺・駿州霊泉寺住持速伝宗販,勝頼の武運長久を祈る
<開善寺文書>

  天正10年(1582)

* 1.25 信濃木曽義昌,弟上松蔵人を人質として織田信長に通ずる<当> 
* 2.2  勝頼,兵1万5000で義昌討伐のため諏訪に出陣<当代記・信>
* 2.6  義昌,急迫した情勢を信長に訴え,来援を請う<塚本文書> 
* 2.12 織田信忠,木曽救援に出馬<信> 
* 2.14 信濃伊那郡松尾城将小笠原信嶺,信恵に降る,
飯田城将坂西織部・保科正直は敗走<矢島文書> 
❖ 2. 16 勝頼の将今福昌和,義昌を鳥居峠に攻め敗れる<信>
勝頼の将大熊長秀,遠江小山城を脱して甲斐に逃げ帰る<家>
❖ 2. 17 伊那郡大島城将武田逍遥軒信綱,城を捨てて退く<信>
❖ 2.19 勝報夫人北条氏,願文を武田八幡宮に捧げ,武運長久を祈る
<矢崎鎌治郎家文書> 
* 2.20 上杉景勝,勝頼に援兵を送ることを報ずる,
*      この日勝頼が,景勝の応援を求める<上松家文書> 
* 2.29 織田信忠,高遠城将仁科盛信に降参を促す<武家事記> 
*      この日穴山梅雪,徳川方に降る<芦沢忠男家文書> 
* 3.2  高遠城落城,守将仁科盛信・副将小山田昌行ら壮烈な戦死<古今消息集> 
* 3.3  勝頼,新府中韮崎城を自ら焼き岩殿誠に向け退く,
*      この夜、柏尾大善寺に泊まる<理髪尼記> 
*      穴山梅雪,対徳川工作に功のあった竜雲寺清蔵主に感状を与える
    <下山竜雲寺文書> 
*      この日、家康が円蔵院・南松院・大聖寺・竜華院らに禁制を出す<各寺文書> 
* 3.4  梅雪、駿府で家康に謁し,太刀・言・馬を贈る,
家康は刀・鉄砲100挺を贈る<家>
* 3.10 家康,市川に着陣,翌日甲府で織田信忠に会う<家> 
*      勝頼,土屋次郎右衛門尉に成田郷曽子分62言文を賞賜
<旧西条村半兵衛所蔵文書> 
* 3.11 勝頼,小山田信茂の叛を聞く,
*      天目山への途中田野において織田方の挟撃を受け、
北条夫人・信勝と共に自刃,
勝頼(37)・夫人(19)・信勝(16),
従う者,土屋昌恒・小宮山内膳-安部診宝・小原忠継
小原忠国・麟岳長老らを始め士46人,
侍端女23人<国志> 
* 3.29 織田信長,甲斐国領主に河尻秀隆を封じ,
       河内領は除き、かわりに諏訪郡を与える<信>
*      織田信長,穴山信君の本領河内領を安堵<信・同志> 
* 3.   一条館落成,
* 4.2  織田信長,諏訪より台ケ原に陣を移す<信> 
* 4.3  織田信長,台ケ原より新府城の灰跡を視察,甲府に着く,
*      織田信忠,武田信玄旧館に仮御殿を普請し信長を迎える<信>
織田信忠命じて,恵林寺を焼きうち,
恵林寺快川・東光寺藍田ら長老11人,寺中老若ら150人焼死,
佐々木次郎を隠し置く罪による<信>
* 4.10 織田信長,甲府を出発し,右左口宿に着陣,
徳川家康が普請・警護し,10日出発して駿河に向かう<信> 
* 6.2  穴山梅雪,宇治田原辺で一揆に殺される(42)<国志>
* 6.6  徳川家康,武田旧臣岡部正綱に命じ,巨痲郡下山城を築かせる<家康公伝> 
* 6.15 甲斐国領主河尻肥後守秀隆,国人一揆に撃殺される<国志> 
*      北条氏政,渡辺庄左衛門に命じて郡内に進入させる<家康公伝> 
* 6.20 徳川家康の臣大須賀康高,家康の命により河内賂より入峡,
市川郷で国事の沙汰を行い、
成瀬吉右衛門・日下部兵右衛門が奉行となる<国志> 
* 7.3  徳川家康,浜松を出発して甲斐に入り,
* 7.9  徳川家康,中道往還より右左宿口に着陣,
* 7、10 新府城に進出して北条氏康と対陣<家康公伝>
*   12 九一色郷の士と郷中に諸役免許状を出す,
また24日まで滞在し,旧武田請士830入余り帰服する<国志> 
徳川家康,上九一色に請商人の課役免除,
甲府一蓮寺に禁制を出す<家康公伝> 
* 8.10 家康,新府城に入城<家> 
* 8.11 家康,日ノ出砦(日之城)を修築<家>
* 8.12 北条氏忠,1万の事を率いて郡内口より侵入、
八代郡黒駒で鳥居元忠・水野勝成と戦って敗北(黒駒の合戦)
<家康公伝> 
* 8. 16~17徳川家康,武川衆に本領を安堵<家康公伝> 
* 8.18 徳川家康,穴山信君の遺子、勝千代の本領を安堵<家康公伝> 
* 8.29 徳川宮座の臣大須賀座高・榊原庶政ら,巨摩郡豆生田(須玉町)
の北条氏庶の砦を攻める<家康公伝> 
* 8.   小田原北条氏直,5万の軍勢を率いて信州海野口から甲州に入り,
若神子に布陣<東実>
* 9.   徳川家康,甲斐新府(韮崎)にあって,
北条氏直の陣に対してしばしば戦を交える<家康公伝>
* 10.29徳川家康,北条氏直と和議を結び,甲信両国の経営を進める<家康公伝> 
* 10.  徳川家康,武田信玄・勝頼父子の菩提のため
岡部正綱に命じて恵林寺を修復,景徳院を建立させる<家康公伝> 
* 11,4 家康、右左口砦(中道町)を築造<家>
* 11,7 家康、勝山城(中道町)を修築<家> 
* 12.11徳川家康,新府の陣を撤して古府(甲府)に帰陣<家康公伝> 
* 12.12徳川家康,武田氏旧臣に対する所領安堵をほぼ終了,
甲府を出発,浜松に帰る<家康公伝> 
* 12.21徳川家康,平岩親吉を甲府城代に命じ,
岡部次郎右衛門昌綱・柴田七九郎康忠,加衛となる<国志> 
▽ 鳥居彦右衛門元忠,郡内領を領す<国志>

 
天正11年(1583)

* 3.28 徳川家康,甲府に在り,諏訪頼忠に信濃諏訪郡を与える<家康公伝> 
* 4.1  徳川家康、市川紙工の諸役を免除<国志> 
* 4.18
~20 徳川家康,甲斐国内の寺社の多くに寺社領を安堵<家康公伝>
* 5.9  徳川家康,甲府より浜松に帰陣<家康公伝> 
* 8.24 徳川家康,甲斐に入る<家康公伝> 
* 10.5 徳川家康,守随彦太郎に分国中に守隨秤のみ使用の免許状を発行<国志>

天正12年(1584)

*     武田八幡社(韮崎市)石鳥居造立,
銘「于旹天正十二年□月吉日本願□□神作是□□□之住人」

天正13年(1585)
 * 4.  徳川家康,甲府に在り,6.5浜松に帰る<家康公伝> 
*     徳川家康,甲府に新城を繩張,一蓮寺を倉田へ引っ越し,
同寺跡へ新城を計画。
後、普請は浅野左京,
石垣は平岩親吉,
諸造作は鳥居土佐守により完工<歴代譜>

天正16(1588)

*1 1 . 11徳川家康,甲斐久遠寺に五箇条の定書を下す<久遠寺文書>

天正17(1589)
 * 8.27 徳川家康、駿府大宮より甲斐新府に入る<家康公伝>
* 9.18 徳川家康、甲斐浄古寺(牧丘町)に域を修築,
内藤信成を守らせる<家康公伝> 
*      伊奈熊蔵,河内領・郡内領をのぞき国内9筋の検地を行う<国志>





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最終更新日  2021年01月10日 17時59分09秒
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